第84話
それから数週間後、海がようやく意識を取り戻したと先生伝手に連絡が届いた。私は放課後になると急いで病院へと駆けていった。
病院に着いて看護師さんに病室まで案内してもらう。
「こちらのお部屋になります」
――コンコン、ガラガラガラ
「入るよ、海」
ドアを横にスライドさせると、見慣れた病室が視界に入ってくる。
以前ここに来た時は散々海と言い合った。怒って泣いて悲しんで……あの日の記憶が鮮明に頭の中で想起される。
「久しぶり、月」
私の声を聞いて起き上がった海は意外にも落ち着いたやわらかい声色をしていた。
「本当に良かった……体調の方はどう?」
「うん、良い感じだよ。まだ少し変な気分がするけど……見ての通り、僕は元気さ!」
ありったけの笑みを浮かべる海に私はホッと一安心する。
でもそれは私への取り繕いだったのか、すぐに海は視線をベットに下ろして悲し気な表情になってしまった。
「どうしたの海……」
「……ううん、元気なんだ。元気なんだよ僕は……なのに……っ」
「なのに?」
「なのに……ごめんね月……あの日の……あのの日の記憶が……思い出せないんだ……」
「っ……」
ある程度覚悟はしてたのに、やはり現実に起こってしまうと言葉に詰まってしまう。文化祭前の時点で、海は寝ればなにか一つ記憶を忘れてしまうことは分かっていた。
それが今回吉原君に殴られたという不意な出来事によって強制的に眠ることを余儀なくされた……消える記憶はランダム……当然、文化祭のことを忘れることも無いわけでは無かった。
「そっ、か……」
結局、私の口から出たのはそんな言葉だった。
もっとなにか言えることがあるんじゃないのか私⁉
いつも私が助けられてきたんじゃないのか⁉
「せっかくあんな大きな舞台で一緒にライブできたのに……楽しい文化祭だったはずなのに……なんにも思い出せないなら意味、無いよね……こんなことになるなんて、いきなりだったからノートにも記録してない。っはっは……ほんと、僕なにやってるんだろうね」
そうじゃない! 海は……っ!
「違うっ‼」
気が付けば脳よりも先に体が動いていて。
私はベットから体を置き上がらせている海の頭を包み込むようにぎゅっと抱きしめていた。
「海は最後の最後まで私を助けに来てくれたっ。私は覚えてる。この目で見た! 文化祭だってそう! 何度も海の笑顔を隣で眺めてた。一緒に笑って、驚いて、はしゃいで……ずっと……ずっと海のこと見てたっ‼」
言葉が溢れる。酸素が足りない。
鼓動よ、もっと早くなれ!
「だから何度だって言うよ! 何度だって話すよ! 思い出せないなら私が全部教えてあげる! 海が忘れちゃっても……しっかりと海から貰った大切な、色んな思い出は、私が全部覚えてるからっ! だからそんな悲しい顔しないで……今度は私が海を助ける番だよ!」
そうだ、そうだよ。
今こそ私が海への恩返しを果たすべきなんだ。
こんなのじゃ足りないかもだけど、それでも少しずつ海の力に私はなっていきたい。
いつも海に頼りっきりになるんじゃなくて、海から頼られる存在に。
対等な存在に。海の「彼女」として。
「月……」
私の胸の中でポツリと呟く声が微かに聞こえた。そして私の背中へと手を回して私たちは抱き合う形になる。少しして海の声がまた聞こえてきた。
「……僕、少年院でほんとに死にたかったんだ。毎日毎日同じような生活。喜怒哀楽なんてほとんど無い日々……最初はね、そんな日々も寝れば忘れることがあるから耐えられてたんだけど……ある日、いきなり張っていた糸がポツンと切れちゃったんだ。それからはもうなにもかもが嫌になって……心の底から死んでしまいたいと思ってた」
「うん……」
「でもね。寝たら過去の出来事忘れちゃうはずなのに、唯一無くならないで僕の頭の中に残り続けたことがあるんだ……そう、月を助けたあの日のことなんだ。あの日のことだけはずっと僕は忘れなかった。月の悲しそうな表情も、逆に助けた時の優しい笑顔も、言葉も……。だから僕はそこで思ったんだ。『ここで死んだらダメだ』って。早くここから出て学校に行って、月と過ごしたい。月の隣にいたい。月の横顔を見ていたい。月の温もりを肌で……いつしかそんな気持ちが僕の胸の中で膨らんで、それが生きる糧になってたんだ……」
「そう、だったんだ……」
「だから僕は月さえいてくれれば幸せなんだ。ほんとに……心の底から今もこうして僕を温かく包み込んでくれる月のことが大好きなんだ」
「……私も、海のこと好き、だよ……」
しばし無言の時間が流れる。
その間、この温もりに胸を打たれて鼓動がバクバクとしているのを密かに感じる。私の胸の中にいる海にもこの音が伝わっているのだろうか……?
ちょっぴり恥ずかしい。
なら、私も海の鼓動を聞いていたいと思った。
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