第83話
「でもね! お金で医療が買えても『健康』は買えない! お金で友達が買えても『友情』は買えない! お金で家が買えても『家庭』は買えない! お金で時計が買えても『時間』は買えない。つまりはそういうことなんですよ! 本当に必要なものはお金なんかで買えやしないんだ! なのにいつもあなた方はお金に物言って、星宮の気持ちなんか知ろうともせずに、なんでも解決しようとする! こんなことがあっていいんですかぁっ⁉」
人間を本当に幸せにするものは自分たちで手に入れるしかない……
「水野さんのお母様だってそうです!」
急に自分の話になって驚いたのか、彼女は体をビクッと跳ねさせて先生の方を嫌々向く。
「あなただって水野がいじめで苦しい時、一番傍にいたのになにをしていたんです⁉ なんで『大丈夫?』の一言もかけられないんです⁉ なんでもっと自分の子供のことを知ろうとしない⁉ なんのための家族だっ‼ ちょっとした水野への行動があれば、今こうやって彼女は深い傷を心に残すことも無かったのかも知れないのにっ!」
そこで先生は言葉を切ってもう一つ息継ぎをすると
「はっきり言って、あなたたち親は人間失格だっ!」
ぴしっと目の前の三人を指さして確かな声で先生は言い放った。
その姿はかつて私の親を否定した海と重なるものがあって、私は隣で先生から目が離せなくなっていた。
「これは一人の教師として、大人として言っている! こんなにも自分の子供に目を向けず、寄り添わず、自分勝手に子供を犠牲にして……あんたら一体何様なんだよっ! もっと大切にしろよっ! 家族だろっ! 子供だろっ! 親失格だよっ!」
「おいおい、それはちょっと言い過ぎだ……」
「真人さん、この人どうしましょう?」
「そ、そっちこそ何様なのよ! よその人に言われたくないね!」
「俺は……彼女たちの先生だっ‼」
敵意むき出しの先生の言葉に、流石に三人とも反論してくる。真人さんたちはあくまで顔色は変えていないけど、明らかに声色が低く、苛立ちを隠せていない。
私の母親もそれに加勢するように言い返す。まるで虎の威を借る狐みたい。
「もう私は我慢できない! こんな近くで自分の生徒が苦しんでいるのを見ていられない! 親が守ってくれないのなら私が責任を持って守るしかないでしょうっ‼」
その言葉は、私たちの元に駆けつけてくれた彼だからこそ言える言葉で、確かな信頼と重みが内在していた。
「今の発言、訂正するなら今のうちですよ先生? 教育委員会のお偉いさんの方に私の知り合いが居てねぇ……結構仲良いんですよ?」
真人さんが両手に顎を乗せながら細い目で先生の視線を捉える。
「ええどうぞお構いなく。その仲の良い人にでも言えば良いじゃないですか? 『とんでもない奴がいる!』って。またお金でも使うんでしょ? ほんと最後までみっともない親だよ‼」
「わ、私の方からもPTAの方に言わせてもらいますからねっ⁉」
「はいどうぞ。娘のことならそんな行動なんてしないのに、自分のこととなるとすぐにするなんて、自分で『自分はダメな親です』って言ってるようなもんじゃないですか」
先生が皮肉を言ったところで、すぐに三人の「ゴミ親」はこの教室から出て行ってしまった。
「はぁー……疲れたー」
「先生……」
ボンと椅子に座った先生はそのまま腕を伸ばし、椅子の背もたれに沿って体を伸ばす。
「どうした?」
「その……ほんとにあんな言って良かったんですか……先生間違いなく教育委員会から……」
教員免許は流石に剥奪されないと思うけど、謹慎処分か、何処かここよりもっと田舎に飛ばされるか、いずれにせよ重い罰が課せられることは明白だろう。
「いいんだよ別に。ずっと思ってたことだし。もう誰かを傷付けたくないからね……きっと、いつか、誰かちゃんとした大人が言わないといけなかったことなんだよ……」
「……やっぱり私、先生のこと誤解してました」
「誤解?」
「最初は全く頼りの無い、私がこれまで見てきた悪い大人と大して変わらないと正直思ってました。清潔さも無いですし、覇気だってありません、身なりも汚らしいです」
「ひ、酷い言われようだな……」
「でも違いました。干渉しすぎずにずっと私を、私の本質を見てくれていました。適切な時に適切な言葉をかけくれて……先生は他の大人とは違いました。優しい心を持っていました」
「な、なるほど……そう言われると逆に照れるな」
私は先生の正面まで周り、頭を下げて改めてお礼を伝える。
「だから……本当にありがとうございました。高野先生。先生は最高の先生です」
顔を上げると、先生は目を丸く見開き、少ししてその瞳が移ろい始めて
「ああ、こちらこそ。水野や星宮は私の自慢の生徒だ」
涙は流さなかった。
泣いてしまったらお互いキリがないから。
大人ななんてみんな同じだと思っていた。みんな悪い人間。
自分のことしか考えていない自分勝手な大人……
でもそれを打ち破ってくれた高野先生。
私は先生の遠回しな優しさに触れて、心の冷たさが少しずつ溶けていくような気持ちがしたんだ。
だからもう一度心の中で唱えよう。いや、何度だって。
――先生、ありがとうございました。
♭
嗚呼……先生になって良かったなぁ。
あいつは……見ててくれてるかな。
♭
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