第80話

 ほとんど正気を保てないまま、私はようやく玄関へとたどり着きその扉を開ける。と同時に、一気に道路へと飛び出して、声を挙げながらひたすらに走る。


「誰かぁー! 助けてぇーっ!」


 ふと後ろを振り返るともうすぐそこには彼の姿が。

 私は靴を履いてきてない。

 そして彼はサッカー部。このままじゃ確実に捕まる。

 誰か、誰かっ! 

 誰でも良いからお願いぃっ‼


「誰かぁー‼ 助けてよぉーっ‼」


 外はもうとっくに暗くて人の気配も少ない。

 お願い……誰か……っ。


「海ぃー‼ 助けてぇーっ‼」


 そんな有り得ない望みを叫んで目を瞑る……もうすぐ後ろに足音が聞こえる。

 もう捕まってしまう。

 そんなの……嫌だぁつ‼ 

 こいつに……こんな奴に触れられたくなんかない‼


「……くっそぉー‼」


 ――ドンっ


 ッ⁉ 

 突然、なにかにぶつかった。

 前を向けていないからなにが起きたのか分からない。

 早く立ち上がらなきゃ……‼ 

 ありったけの力で立ち上がり、ようやく視界を開かすと……


「ごめんね、月。遅くなった」


「えっ……海……⁉」


 そこには絶対にここにいないはずの海の姿が確かにあった。

 何度目を擦ってみてもやっぱり目の前には、私の海が優しく微笑んでいた。


「海……なんで……」


「理由は全部あと。僕はなにをすれば良い?」


「……彼を……吉原君を……」


「うん」


「それから……私を……助、けて……」


「分かったよ、月」


「おらぁー! そこでなにしてんだぁー……って……その姿、まさか……星宮⁉」


「はろー。元気ー?」


 地面に座り込む私の目の前で遂に二人が向き合った。

 鋭くて少し冷たい風が鼓動をさらう。


「お前……僕の彼女になにをした⁉」


「……彼女彼女うるさいなぁ! お前が全部の元凶なんだよっ……ああムカつくなぁ……!」


 自分の頬をがりがりと掻きむしり、目を大きく見開いて海を威嚇する彼。


「まあ話は終わってからにしますか。吉原、準備は良い?」


「あぁ? 女が男に勝てると思うなよ?」


 いくら青柳を倒した海とは言え、今日の沢野とのいざこざで相当なダメージを負っているはず。

 一見不利なように思えて心配する気持ちが膨らむが……

 いや、海ならやってくれる。

 海は強い。こんな状況でもいつも海は相手に屈しなかった。

 だって海は私をあの日救ってくれたんだから……!



 ――ボンッ!



 次の瞬間、聞いたことも無い鈍い音が私の耳に届いた。


調

 そう、誰かが呟いた。低い声だった。

 戦慄の音色だった。そして……


「っ……」


 声も出せずに、ただ殴られた衝撃に漏れた声を放ったのは……


「海ぃー⁉」


 私の目の前で海がバタンと膝から倒れていく。


「海⁉ 海⁉」


 いくら体を揺さぶっても彼女は返事してくれない。

 左の頬は酷く腫れあがっていて、いかに重いものだったかが一瞬で悟れてとても痛々しい。


「意識が……ない」


 魂が抜けたように倒れている海はこの状況にはあまりにも似つかわしい綺麗な顔で目を閉じていた。すぐに彼女の胸に耳を当ててみた。……ドクンドクン。

 大丈夫、呼吸はしてる。


「ちっ。変な労力使わせんなよ」


 顔を上げると、そこには自分の右こぶしをさすりながらこちらを向く彼がいた。


「分かったか? お前らじゃ俺に勝てない。さっさと俺についてこい」


「……だ」


「ん? 聞こえない」


「……やだ」


「もっと大きく‼」


「絶対に嫌だぁっ!」


 これまでの人生で最も大きな声を出した気がする。

 彼は一瞬身をビクッとさせたものの、すぐに表情を元に戻した。


「なら仕方ないな……あんまり水野は傷つけたくないんだが……一発やって分からせるか」

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