第76話

「吉原君の家って学校から近いの?」


「うん。歩いて十分くらいかな。大丈夫そう?」


「大丈夫」


 お互いの顔がほんのり見えるくらいまで太陽は傾き、月が替わって光を届けてくれている。

 彼の自転車の車輪がちゃりちゃりと鳴る音がこの静寂な田んぼだけの世界に刺激を与えている。

 気のせいか秋の虫たちもこれに合わせて鳴いているようにさえ思う。


「それにしても本当に良かった。久しぶりに水野さんの演奏を聞けて」


「そこまで言われるとちょっと恥ずかしいけど……喜んでくれたらなら嬉しい」


 そう私がはにかむと微かに吉原君も笑う姿が隣に見えた。


「それに海だって多分喜んでるよ。海、すごい練習してたんだー」


「そう、なんだ……ちなみに、さ。星宮さんとは沢野さんが言っていた通り、本当にそういう関係なの?」


「うん。そうだよ。みんなと変わってるのは私たちも分かってるけどね……でも仕方無いの」


「そっか」


 なんでだろう。

 私の答える様子を見て、彼の表情が一瞬見えなくなったのは。

 きっと私たちが進むにつれて、いよいよ太陽が消えてなくなるからだろう。



「どうぞ入って」


「お邪魔しまーす」


 あのまま無言が続き、少ししてから彼の家に着いた。

 中の様子はすごい綺麗に整えられていて、うちとは大違いだ。

 流石、と言ったところだろう。


「お母さんは多分自室にいるから挨拶しなくて良いよ。星宮さんは先に部屋に行ってて。階段上がってすぐ左の部屋ねー。俺はお茶とか薬とか持ってくから」


「うん、ありがとう」


 私は彼の案内通りに階段を上って部屋に入った。


「失礼しまーす……」


 誰もいないけど一応そう言っとく。吉原君の部屋は想像通りとても綺麗だ。

 たくさんある参考書も教科ごとにちゃんと本棚に閉まってあるし、掃除が行き届いていて清潔感がある。


「ふーん……って……あれ? このペン入れって……」


 しばらく辺りを見渡していた私は、ふと机の上に置いてあった肌色の布のペン入れが視界に入った。

 というのも、それは高校に入ったくらいに当時使っていたものと色も形も似ていたのだ。

 結局あいつらにどっかに隠されて、実質使ったのは一か月くらいだったけど。


「おんなじの……持ってたんだ」


 その流れで机にある棚に目をやると、やはり私がかつて持っていたお気に入りのバンドの姿がプリントされたファイルが収納されていた。


「こんなものまで一緒だったなんて……吉原君も好きだったのかな……?」


 今度は私は興味本位で机の引き出しを開けてみると……


「こ、これは……」


 するとそこにはとある一本のリコーダーが入っていた。

 見た感じ、最初は吉原君のかなと思っていたけれど……

 手に取って張られているネームシールを見てみると……



『水野 月』



 書かれていた名前は正真正銘、私の名前だった。

 え? 

 私の……なま、え?


「どういう、こと……?」


 そこで私の思考は呆気なく停止する。

 ちょっと待ってちょっと待って。

 一旦落ち着いて。

 なんで私のリコーダーがここにあるの? 

 だってあれは五月くらいに沢野たちの嫌がらせで盗られてて……戻ってこなくて……

 あれ、でも……あの時吉良君なんて言ってたっけ……?



『リコーダーも盗まれたんでしょ?』



 あの時点で私のリコーダーが盗まれたことを知っているのは海だけ。

 海にしか言ってない。

 なのになんで吉原君が知ってたの? 

 ならこのペン入れとかファイルとかも……?

 そう考えた瞬間、一瞬にして背筋に寒さがかじりつき、息が止まる。

 リコーダーがここにある理由は本人に聞かないと分からないけど、今この瞬間、私の中の本能が「ここに居てはいけない」と緊急信号を送っている。

 私は震える手をぎゅっと握って急いで荷物を持って部屋から出ようとすると……


「どうしたの水野さん?」



 開けた先に待っていたのはお茶を積んだお盆を持った吉原君だった。

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