第74話
私は後夜祭でのライブのために体育館の裏手に来ていた。
海が用事があると言い出してから一時間ちょっとが経過したけれど、なかなか帰ってこない。
心配になる気持ちをグッと抑え、「はあー……」と心を落ち着かせてると
「ごめんごめん。少し時間かかっちゃったー」
「海……! って、どうしたのその傷⁉ シャツだって……血が付いてるじゃないっ⁉」
真人さんたちに会いに行ったんじゃないの?
それでこんなことなるわけがないよね?
「まあちょっとね。あいつらとその……」
「えっ……沢野たちと……やりやってた、の?」
「うんまあ……そういうことになる、かな」
「そ、それって……大丈夫なの⁉」
「……うん。なんとか、ね。青柳も助けに来てくれた」
「あ、青柳が⁉」
もう色々と情報が多すぎて訳分かんないけど、表情を見る限り大丈夫そうなのは確かだ。
「海……この後弾けそう?」
「勿論! そのために急いでここに来たんだから」
暗いステージ裏。
弾ける笑顔の花を咲かせる海のおかげで、心の陰りは一瞬で消え去る。
「そして次が最後の組になります! 皆さん盛り上がっていきましょうぉー! それではお入りくださいっ‼」
委員のアナウンスに沿って私たちは遂に体育館ステージの日の目を浴びることになった。
「うわっ、すごい人!」
「ほ、ほんとだ……」
後夜祭用に体育館には一面に椅子が設置されてるはずなのに、端っこの方には立ってる人までいる。それもかなりの人数で、本当にこれが生徒主催のものなのか疑ってしまうほどだ。
「中学生もいるからかな?」
「あ、そうか……じゃあほとんど私たちのことを知らないね」
そもそも私のことも、いじめられてることさえも知ってる人はクラスの人だけ。これから私は、私の背景を知らない人たちの前でこの歌を届けるんだ……
なんだか不思議な気持ちだ。
「緊張してる?」
微笑しながら訪ねてくる海に私はそれ以上の笑顔でこう返す。
「いや、むしろ楽しくなってきたよ」
「なんか月らしくないね」
「今ならなににだってなれるよ」
「じゃあ、いくよ」
「うんっ! いこう!」
一・二・三・四の合図で私たちは一斉にピックを動かした。
♭
『モラトリアムが私を掴んで離さないから』
残酷なのは私が独りだからじゃなくて 私を独りにする他人がいるから
過去はどうやったって変えられなくて 未来はどうしたって訪れやしない
夢のままなら幸せなのに 苦しみが心を蝕んで 寂れた天井がまた目の前に広がる
君だけは私の光 世界 君だけは私の隣に居てくれる
なにからも逃げた私を追いかけて そっと私の醜い手を掴んでくれた
柔らかい唇 一糸まとわないそのライン
愛に塗られたその温もりが この世のすべてだったら良かったのに
この世界に正義なんてありやしなくて 眠れば善悪が逆転する
記憶も記録も曖昧で 誰とも共有できないこの喜怒哀楽
夢のままなら幸せなのに 起きたら足元に過去が散らばって消えていく
冷たい鉄に囲まれた世界の片隅で 私はここにいるよと叫ぶんだ
染める白い髪 汚す醜いこの赤い手
君だけは僕の友達で 恋人で 君だけは隣で僕に肩を預けてくれた
ぎこちないその優しい言葉も 今はなんだか恥ずかしいよ
薄っすらピンクに染まる頬 ぷるぷると震える華奢な身体
僕は君さえ居てくれればいいのに 明日になったらこの温もりも忘れちゃうのかな
何度だってこの愛を叫ぼう
何度だって横顔を見つめよう
何度だって思い出に浸ろう
何度だってあなたの温もりを感じよう
何度だってこの運命を確かめ合おう
誰がなんと言ったって
今この瞬間だけはここにある
私たちは愛に満ちて、ここにいる
モラトリアムは終わらない
♭
私たちは夢中に演奏した。
必死に歌った。
ただひたすらにこの音にすべてを乗せた。
一切のミスも無い完璧な演奏。先生のギターもしっかりと味が出ていて、寧ろこっちの方が良かったかもしれない。
私たちを助けてくれた人たちの姿がふと脳裏に浮かんだ。それは吉原君や女子たち、そして先生や青柳。
一年前の私じゃ考えられなかった今という瞬間。
それはやっぱり隣にいる君のおかげ。
――パチパチパチ‼
溢れんばかりの拍手喝采がこの場を埋め尽くす。
――嗚呼
なんでだろう? 生
徒一人一人の顔まで今は鮮明に見える。
――嗚呼
みんな笑ってくれてる。楽しんでくれてる。
今この瞬間、私たちは同じ気持ちを共有し合っているのだ。
やっぱり音楽って素晴らしいなぁ……その光景があの頃のクラスの風景と重なって、私の目頭は急に熱くなった。
ダメダメ。こんなところで泣いちゃ、後がもたない。
きっとこの場から去ってしまえば私はものすごく泣きじゃくるだろうから。
だから。
「皆さん! 本当にありがとうございましたぁーっ‼」
残り僅かの体力すべてを振り絞ってそう叫んでから、私は深々とお辞儀した。
「素晴らしい思い出をありがとうぉー‼」
海も習って深々とお辞儀をした。
私たちの視線はみんなから見えない所で重なり……
「ありがとう月」
「ありがとう海」
これで私の文化は終わりを告げた。
やっぱりね。
今だけはここにあるんだ。
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