第⑦話

「……私のことぉー! なんも知らないくせにそんな口きくなよぉーっ! うちの家はなぁ、父子家庭なんだよっ! 私がまだ幼いのに二人は離婚してぇ……っ。ずっと父さんの手で育てられてきたんだよっ! 裕福なお前に私のなにが分かるってんだよぉーっ⁉」




 沢野は両手に力を込めて僕の胸倉をグラングラン揺する。


「だからっ、父さんは毎日毎日仕事で家にいなくて……私のことなんて一ミリも見やしてないっ! だからぁ……せめて学校でクラスの中心になって……振り向いて欲しいんだよぉっ‼」


 突如、明かされる彼女の裏側。

 僕の目にはほんのりと沢野の瞳に揺らめく透明なものがあるように見えた。

 それは確かにそこにあって……次第に抱えきれなくなって。

 頬を伝い私のワイシャツにポロンと落ちる。

 これが彼女の弱さ……


「でもっ! それでもこれは無しだろぉっ!」


「分かってる‼ 私だって……分かってるよぉっ! でももうここまで来たんだぁ! みんな私のことをそういう風に見てる。それで私のクラスでの威厳は保たれてる。ならもうこれで良いよっ! 私さえ良ければ……っ‼ もう私にはこうするしかないんだよぉーっ‼」


「なにも良くないっ! 月の気持ちを蔑ろにして! ただの自己満じゃないかっ⁉」

「ああそうだよ⁉ 人間、自己満でなにが悪いっ⁉ 私はねぇ……水野みたいなぽっと出が大嫌いなんだ! 私の努力を否定するかのように何気ない顔してクラスの注目を集めてっ……」


 悲しいかな。

 結局こいつも青柳と一緒で。

 大体と同じ、弱い人間なんだ。


「沢野……」


 後ろで僕の髪を引っ張っていた橋本の手が一瞬弱まる

 いつまでもこうしているわけにもいかない。

 ここに来て結構な時間が過ぎてしまった。僕はこの隙を付いて髪を強引に振り回し、橋本の姿勢をずらし、右ひじを思いっきり後ろに引いて、彼女の腹を突き刺すように当てた。


「うっ……⁉」


 少し痛くやり過ぎたかもだけど、これまでの月への傷と比べたら大したことない。


「橋本っ⁉」


 お腹を抱えて地面に倒れ込む彼女を見て沢野が悲鳴に似た声を上げた。

 同じ女子がうずくまるのを見てようやく本当の恐れを知ったのか、次第と僕を掴んでいた手は震え、弱まり……遂にはポンと両手を体の横に落とした。


「……良いか沢野? どんなことであろうとお前個人の事情が人をいじめて良い理由になんてならないっ! 決してあっちゃいけないっ! 人をいじめて良い理由なんて一ミリも無い……お前たちには見えてない心の傷はなぁ……一生残るんだよぉっ‼ ……分かったなら僕の視界から失せろ。腹が立って今の橋本みたいにしてやりたくなる」


 そう脅すと沢野は悔しそうな、悲しそうな顔を浮かべて、ゆっくりと座りながら後ずさる。


「ふぅー……さてっと。残すは……」


「ひどい仕打ちだな」


「……反町、お前が一番うざい。お前だって月のこと散々殴っただろ?」


「あれで殴ったっていうのか? 少なくとも俺には『触った』のようにしか」


 ほんと何処までもゴミみたいな奴。

 この一瞬だけ切り取れば僕の親よりも酷く腹立たしい。


「でも良いのか? ここでやりやっても星宮が百負けるぞー? その額の傷……それに唇だって裂けてんじゃん」


 そう言われて口元を拭ってみると……ほんとだ。

 白いワイシャツに淡いヘモグロビンの赤がじんわりと滲んでいた。


「ふんっ。知ったこっちゃ無いね。勝負ってのはやってみないと分かんないよ?」


「威勢だけは良いな……まあそう言ってられるのも今のうち……っ!」


 こちらへと一歩、また一歩と詰め寄ってくる。

 彼の言う通り僕に勝算は無い。普通にやったら確実にボコボコにされる。

 なにか手は無いのか……⁉ 

 せめて時間稼ぎでも……っ!

 拳をポキポキと鳴らす彼を目の前に私も臨戦態勢を取った……その時だった。


「反町ぃーっ‼」


 教室の扉を力一杯に開けたであろう音が鳴り響いて、僕たちの注目はそちらへと向かう。


「……青柳⁉」


「星宮、ここは俺に任せてお前は星宮のところに行ってこい! もう五時半過ぎるぞっ!」


「っ⁉ ほんとだ……気が付かなかった」


「分かったなら早く行けっ」


 僕はすぐにドアの方へとかけて行こうとする。

 しかし寸前のところで反町に腕を掴まれる。


「おいおい、そう簡単に逃がすかよ?」


「お前の相手はこっちだぁ!」


 なんと、青柳が反町の横からタックルをして地面に押し倒す。

 そして必死に自分の顔を殴ってこようとする反町の腕を押さえつけて振り向きざまに叫んだ。


「行けぇー!」


 教室から離れていく時にも、背中の方から怒号と肌と肌とがぶつかり合う音がした。

 青柳のこの勇気ある行動を、無駄にしてはいけない。


 僕は夢中で愛する人の元へと走った。

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