第72話

 職員室を後にした私たちは、事実、一番気になっていることに目を向けなくちゃいけない。


「さて、と。これはどういった風の吹き回しかな、青柳?」


 そう――何故、彼が私たちを助けてくれたのか。

 本来ならこんなの敵に塩を送るようなものだ。

 きっと反町がこのことを知ったら問答無用で殴りかかってくるに違いない。


「信じて、貰えないんだろけど、さ……。助けたかったんだよ、二人のこと」


 それは私の知っている彼らしくない弱弱しい声色だった。


「そりゃそうさ。こないだまで月のことをあんなに苦しめてたのはあんたたちだろ⁉ どれだけの思いで月が生活してるか分かってるのか? 良くもまあ今になって潔くなったもんだよ」


「や、止めて海……一旦、話聞こうよ……聞いて、みよ?」


 興奮する海を宥めるも、そうする私の手も少し震えている。

 そんなん当たり前だ。いじめてた張本人だもん。怯えない方がおかしい。


「中一の時……俺たちはクラスの注目の的だった水野が嫌いだった。俺たちはみんな……同じ小学校からここに来てんだ。小学校の頃は俺たちがクラスの中心で……注目の的で……それがすごい嬉しくて……中学でもって、みんなで話してたんだ」


「それで?」


「星宮がいなくなったのを良い事に俺たちは水野を蹴落とそうとした……さ、最初はほんの……出来心だったんだよ……本当に……っ! ちょっと意地悪すればすぐ心が折れるだろうって……でも違った。いつの間にか俺たちは歯止めが効かなくなって……どんどん度合いが増してって……気が付けばもう元には戻れない所まで来てた……っ」


 青柳が苦しそうに息を詰まらせる。


「……そうやって時間だけが過ぎていった……いじめてることに罪悪感なんて殊更なかった。それが俺たちの当たり前になってた……本当に……ごめん……っ」


「……独りよがりな謝罪は良いから続けろ、青柳」


「……でも……星宮が帰ってきて状況が少し変わった。みんなが星宮のことを怖がってた。もう一回やられるんじゃなかって……結果として俺は星宮にまた殴られた……すごい……痛かった。こんなに痛いだなんて……体の内側まで衝撃がきて……吐き気がした。殴られる時に星宮の顔が見えた。今まで見た中で一番怖かった。それから水野の顔も見えた……久しぶりにまともに水野の顔を見た……酷い顔をしてた。感情が消え去った顔、魂が抜けた顔……それを見て俺はようやく気が付いた……遅すぎたんだ……ほんとに……っ、本当にぃっ……!」


 一度そこで息継ぎをする。

 青柳の顔を見たらその頬には透明な水滴がポロポロと伝っていて、次第に彼の動機は激しくなり、鼻を勢いよくすする音が私たちの耳に届いた。


「俺は……俺はっ……! とんでもないことをしてしまったぁ……っ‼」


 それは青柳がたとえこの前まで私をいじめていた悪者だったとはいえ、内側から後悔が漏れ出した本心だった。


「ごめん……水野ぉっ……ごめん星宮ぁっ……俺はぁ……俺はもうっ……取り返しのつかないことをしてっ……‼ ごめん……ごめん……ごめん……っ!」


 そう叫んで目の前で泣き崩れていく青柳。

 こんな弱弱しい彼は見たことが無かった。


 そこで私はあることに気が付いた。

 人間の誰しもが弱い部分を本当は持っているということを。

 ただ表に出さずに隠しているだけなのだと。

 

 他人にさらけ出すのが怖いんだと……

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