第58話
「す、すごい……!」
海の部屋で彼女の演奏を静かに聞いていたのだが……こんなにも上達してるなんて正直思ってもみなかった。
海はほとんど初心者なのにも関わらず、ギターを弾く時のポイントを上手く抑えていて、効率よく覚えているようだ。
「どうだった、どうだった⁉」
海は今にも瞳から星が零れそうなほどの満面の笑みを向けてきた。
「すごいよ海! ここまで上手くなってるなんて信じられないよっ!」
「でしょでしょ! もっと褒めて~」
えへへ~と分かりやすくデレる海が小動物みたいで可愛らしく「よしよし」と小さい頭を撫でてあげた。
相変わらず海の髪はさらさらとしていて、砂浜のように白くて繊細なボブは魅惑的に私の目の前で揺れていた。
「じゃあ試しに一回、通しで合わせてみよっか」
「うんっ!」
「いくよ……1・2・3・4!」
私の掛け声に合わせて、一斉に弾き始める。
……すごい。
ちゃんと形になっている。所々ミスはあるけど、割り切って演奏していた私は心の中で感嘆していた。
だっておそらく海は何度も忘れて覚えてを繰り返してるはずなのに、ここまで私のギターに追い付いて弾いている。
これは本当に努力の賜物だ。
「……♪」
曲の一番を弾き終えたところで一度演奏を止めた。
「ほんとにすごいよ、海! どれだけ練習したの⁉」
「いやあ、ずっと勉強じゃ息苦しいからね。隙間時間を見つけて練習したんだよ!」
「そ、そんなに?」
「うん。それくらいしないときっと良いライブにはならないでしょ? どうせやるなら、あいつらの圧力なんかに負けないで、楽しくやりたいじゃん!」
そうだ――私たちが楽しく演奏してみんなを喜ばせること。
それがあいつらにとって一番の屈辱で一番の失態だろう。
音楽を通して一度自分を殺された私が、音楽を通して生き返る。
やり返しも良いところだ。
「それに……」
「それに?」
海は付け足すように口を開いて甘くはにかむと
「月と一緒に弾けるのは……これが最初で最後かもしれないから」
「……えっ? それって……どういう」
「実はね……病気、やっぱ悪化してたんだ」
「……⁉」
「前はね、夜寝たら前の日の記憶忘れちゃってたんだけど、今なんか昼寝とかでも忘れちゃうんだ。要するに寝たり意識がなくなったりしたら忘れるんだって」
「そ、そんな……っ」
人間寝ないなんて不可能だ。
昼寝だってそう。
気が付かない間に海の記憶は蝕まれていく。
「だからね、あんま寝ないようにはしてるんだ。すぐ勉強のこともギターのことも忘れるかもしれないしね。ちなみに今日は徹夜三日目だよ」
「み、三日目⁉」
信じられない言葉を聞いてすぐに彼女の目元を見ると、ほんのうっすらと――メイクがきれいでほとんど分からないが――クマが出来ていた。
「ダメだよ海! ちゃんと寝ないと! ……あっ、でも寝たら……」
記憶は無くなる。
こんなん、手詰まりじゃん……
「今日は流石にちゃんと寝るから安心してよ。ギターも段々と指が覚えてきたから自然に弾けるようになってきたし。もう二学期まであと二週間くらいでしょ? お互い大変だけど、頑張ろうよ! で、最高の思い出にしようよ! またあのノートに書かせてよ!」
手をグイッと引っ張って、優しく包み込んでくる。
そこでいつもにはない違和感に気が付いてふと海の手に目をやると……たくさんのマメが出来ていたのだ。
海……ほんとにありがとね。
私のために。
自分からこれを言い出さないのも海らしい。
実に愛らしい。
だから――
「うん。最高の思い出を一緒に刻もう!」
この何十年に一度の夏の暑さも吹き飛ばすような、五年ぶりの爽やかな風が私たちの間を囁くようにかけていった。
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