第57話

 次の週も海は私の前に姿を現すことは出来なかった。

 八月九日にメールが来たのだ。

 海曰く


「「親が私を無理やり長めに入院させて、勉強をみっちり教えてくるんだ。今週末も無理っぽいかな……ごめんね。親に隠れてギターの練習してるからそこは安心してね!」」


 らしいが、本当に海の病状は大丈夫なのかな……?

 海とこういう事情で練習が出来ないのはすごい寂しい。

 既に八月。

 刻々と文化祭までの時間は、私たちなんか気にせず、淡々と刻まれていく。

 その間、まめに吉原君とも連絡を取り合っていた。

 逐一クラス塗装の進捗状況や、逆に私たちの状況などを教えあっていた。


「「えっ、星宮さんの体調悪いの?」」


「「そうなの。だから最近はあんまり一緒に練習出来てないの……」」


「「それ大丈夫なの……? 良かったら俺が代わりに練習しといて本番もいざって時に……」」


「「吉原君、ギター弾けるの⁉」」


「「ま、まあね。水野さん程じゃないけど、昔ちょっとやってたんだ。それこそ水野さんの昼休みライブを聞いてね」」


 自分の知らない所でそんな影響を与えていたなんて驚きだ。


「「ありがとね、吉原君。でも大丈夫。私は海を信じてるから!」」


「「そっか……なら良いんだ」」



 八月十日。

 今日は受験生の模試の天王山である「冠模試」の日だった。

 冠模試はそれぞれの難関大の入試問題の傾向を存分に掴み、まるで本番の問題そのものを解く、いわば仮本番の模試のことだ。

 それぞれの塾の講師たちが腕をかけてその大学の問題にそっくりのものを作っている。つまり、この模試の結果は今後の志望決定に向けて非常に大きな判断材料になってくるのだ。


「はぁー……」


 会場に着いた私はいささか平常心では無かった。お母さんから言われたあの言葉。その屈辱を秘め、あの日から時間をかけて勉強してきた。

 この冠模試で堂々たる結果を出し、親をぎゃふんと言わせてやりたいのだ。そしてこれをきっかけに大学の諸々の費用の交渉も……

 ダメダメ。

 今は目の前の試験に集中しなきゃ。


「始めっ!」


 一斉に問題用紙をめくる音が教室中に駆け巡る。

 カッカッ、シュッシュッ。

 シャーペンが走る音が脳内に響く

 。難しい問題を前に鼓動が早く波打つ。

 でも一番頭の中にある意識は……


(今、海はなにを考えてるの?)


 私のペンだけ、ずっとその場で止まったままだった。

 


 八月十六日。

 遂に海から退院に連絡が来た。

 病状がしばらく安定するようになり、退院の許可が下りたらしい。

 これで今週末は久しぶりに海と一緒にギターが弾ける。

 海との練習出来なかった間、私は一人で猛特訓を――時々吉原君や女子たちとビデオ通話をして聞かせて――していた。

 その効果もあってか、いくらか手の震えも収まり、演奏することへの恐怖心が次第に薄れていっている。

 このままの調子なら万全の状態でライブに望めそうだ。



 八月十九日。


「久しぶりー月―‼」


「うわあっ――」


 海の家を訪れるとすぐに彼女の手厚い歓迎を受けた。

 玄関を開けた瞬間に私目がけて抱き着いてきたのだ。


「ほんと心配かけてごめんね~。もう頑張れるからさ!」


「う、うんっ。分かったから、ちょっと! ほっぺすりすりするの止めてー」


 私たちはリスか、と思わずツッコミを入れたくなるような状況であったが、久々の海の温もりに触れて、私の心もじわーんと熱くなっていた。


「入院中、たくさん練習したから! 月に早く特訓の成果を見せたいっ!」


「落ち着いて―海。取り合えず部屋行こうよ」


 はやる気持ちは私だって分かる。


 だって隣には元気な海の姿があるんだから。

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