第55話

「海っ!」


 私は急いで病院までかけていった。

 汗でびちょびちょになったお気に入りのこの服(一番初めに海と買ったやつ)のことなんかお構いなしに、体育祭の時くらい早く走った。


「うわぁっ⁉ びっくりさせないでよ~。僕の寿命を減らすつもり?」


「大丈夫なのっ⁉ 私のこと覚えてる? 名前覚えてる? 年齢も――」


「落ち着いて落ち着いて‼ 月、僕はなんともないよ。ただ急にちょっとフラっと倒れちゃったってだけで」


「なんともなくないよ! もう大丈夫なの?」


「皮肉にも、父親の迅速な対応のおかげでこの通り、元気もりもりだよ! でも明日も様子見で検査するらしいからちょっと今週は練習出来なさそう……ごめんね……?」


 なんとか口元では笑っているものの、海の顔は引きつったまま。

 私は少しでも彼女に安心して欲しくなった。

 少しでも海には笑って、前を向いて歩いて欲しい。


「全然気にしないでよ。海の体が一番大事だよ」


 そんなことを願って、もっとベットに横たわる海の近づこうとした瞬間


 ――ガラガラ


 病室の扉が重く開いた。

 現れたのは真人さんだった。今日もぴちぴちの黒いスーツに袖を通して、高そうな輝く時計を腕に巻いて、目に見えない強者オーラを放っている。


「あなたは……」


「あ、あのっ。水野、です。海の友達の……」


「あー、水野さんね。こいつに勉強を教えていた」


 こいつなんて言わないで。

 私の彼氏に酷いこと言わないで。


 なーんてこと言えたら、彼女として最高にカッコいいのだが、私はチキンなのでそんな見栄も張れない……


「どうしてここに?」


「い、いやあ……海の家に行ったら真紀さんに海は病院にいるって言われて来ました……」


「そうでしたか。わざわざありがとうございます。それで海を訪ねた理由というのは?」


「そ、それは……」


 これは言っていいのかな……? 

 実は海とバンドを組んで文化祭に出るって。

 その練習そしているんですって。

 でもきっとそう言ったら真人さんは海を厳しく怒鳴るだろう。

 そんなことしている場合かって。

 受験生だぞって。

 そう悩む私であったが、思わぬ形でこの戸惑いは解決する。


「僕、文化祭で月とバンド組むんだ。それに向けた練習」


 なんと海本人の口からその言葉が出てきた。

 驚きながら海をちらりと見るが、彼女はなんのためらいもない表情だった。


「どういうことだ、海? 文化祭に出る? それもバンド? 冗談もいい加減に――」


「冗談じゃないよ。本当に僕はライブをするんだ」


「……ふんっ……どうやら本当らしいな。だがそれは無理な話だな。お前、自分の状況分かってるだろうな? 水野さん、申し訳ないがこの話はなかったことに――」


「月、知ってるよ。僕の記憶のことも。全部。ねー、月?」


「……っ⁉ それは、本当ですか?」


「え、あ、そのー……はい」


 キ、キラーパス過ぎて言葉に詰まるよ……


「なんで教えたお前? あれだけ誰にも言うなと言ったはずだ!」


 すごい勢いでベットに詰め寄る真人さん。

 その声色からは激しい怒りがはっきりと伝わってきていた。

 対する海も表情を一切変えることなく真人さんの顔を見つめていた。


「月は僕にとって大切な人だから、そんな簡単にこのことを口外するような人じゃない」


「そういう問題じゃない! 人に迷訳をかけるな! お前は散々、今まで俺たちに迷惑と苦労をかけてきたのを忘れたのか? 病気のせいでか? ならお前にも分かるだろ⁉ ただでさえお前は受験生だ。しかも昨日のことも碌に思い出せない! なのにそれに加えてバンドだ? ふざけるな‼ 楽器を弾いた試しなんかないだろ? そんなもん一から覚えてたら、埒が明かない。さっさと勉強に専念しろ!」


 病気のせいで? 

 この人、本当に親? 

 一番苦しいのは海本人なのに……っ!


 溢れ出る苛立ちを、必死に内に抑え込みながら私はひたすら我慢した。

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