第42話
体育祭の片付けはあっという間に終わった。
あんなに学校全体は熱気で溢れかえっていたのに、今ではもういつもの静けさを取り戻している。
去年までなら「早く戻って欲しい」なんて思っていたけれど、今年は戻ってしまうのがちょっぴり寂しく感じる。
次の日からは虚しくも試験勉強に勤しむことになった。まさに天国から地獄。
「いい? こことここの面積が1対2ってことは点pが……」
「ああもう分かんないっ!」
「海、やんないと試験はまだしも受験で散々な目になるよ?」
「じゃあもう受験しないっ! 月と一緒にいるぅ!」
「また変なこと言って……」
勉強を始めるとすぐに駄々をこねる海をなんとかして机に向かわせる。
ほんとはすごい嬉しい言葉なんだけどね。
ちゃんと自制をしなきゃいけない。
「ほんとに海は記憶力が無いね」
「急に辛辣……」
「だってこの問題は昨日教えたばかりじゃない。もう忘れちゃってる」
「あははー、そうだっけ?」
「のくせして、私との思い出はあのノートにちゃんと書いてるじゃない」
「そりゃあ、僕と月との大切な記録じゃない」
えっへんと両手を組んで自慢げになる海。
「だったら同じように勉強もノート取りなさい」
「いたっ」
軽く海の頭にチョップする。
でも本当に不思議だ。こんなにも物事を忘れちゃうの?ってレベルだ。
しかも最近は本当に直近のことまで忘れだした。
ほとんどの些細な事、些細な会話は次の日になると、海はぽっかりと忘れてしまっていた。
試験まであと三日を切った。
今日は一人、海の家で勉強していた。
というもの、海と一緒に家に帰ると真人さんと真紀さんが待ち構えていた。
「海、定期健診の時間だ。行くぞ」
「え~? 今から私たち試験勉強しなきゃいけないんだけど!」
「そんなこと言ってられないでしょ、海。ちゃんとお父様の言葉を聞き入れなさい」
真紀さんがそう言っても、海は全然納得していないようだった。
「水野さん、だったかな?」
「は、はい…っ」
「娘は勉強をちゃんとやっていますか?」
出てきた言葉は意外にも、心配とも取れるものだった。
ちなみに、最初は私のことを嫌っていた真人さんたちであったが、あまりにも入り浸ったせいでもう半ば諦めたのか、私が海といることは許容している。
「はい……海は頑張ってると、思います」
駄々をこねてる海の記憶を必死に頭に押さえつけながら、なんとか嘘を付いた。
「質の方は?」
「質、ですか……海はちょっと記憶力が曖昧ですけど、それなりに効率良く勉強してますよ」
「曖昧……か」
そこで急に先ほどまでの心配が消えたような気がした。
二人はなにやら重たそうな表情をして顔を見合わせている。こちらには聞こえない声量でこそこそと話しているようだ。
「じゃあ、海。行くぞ」
「……ちっ。最悪だ。なんで僕が行かないと――」
「『僕』って言うのはやめなさいっ! 何回言ったら分かるの⁉」
するといきなり、真紀さんが今まで見たことも無いくらいの怒りの表情を海に向けていた。
「はーい。すいませんねー」
「分かったならほらっ! 早く行きますよっ!」
そのまま海は真紀さんに腕を掴まれて連れていかれる。
「月―、早く帰ってくるから部屋で勉強しててよー! すぐ行くからさ~!」
「あ、う、うん。分かった」
こんなちょっとしたハプニングがあって私は今ここにいる。
勉強し始めてから二時間ちょっと
。少し疲れてきたので休憩しよっかな。適度に脳を休ませるのは効率の面にも大きくプラスに働くからね。
そんな、休憩することに言い訳したところで部屋を見回っていると、本棚のある部分に見覚えのあるノートが入っていた。
「これは……」
海の私との思い出ノートだ。
ページをめくるともう体育祭のことが鮮明に書かれていた。
しかも……あの夜の日のこともあった。文字で書かれてるのを見て思い出すとすごい恥ずかしい。
顔に熱が上っていくのを感じた。
「こ、こんなにあのこと書かなくてもいいのに……」
海にとってはあの夜のこと、大切な思い出なんだ。
そう思うと、私がいかに海に大切にされてるかがなんだか伝わってきて、自然と笑顔が零れる。
「で、これは……」
ふと、このノートが置かれていた隣にあったノートが目に入った。
白い無地の表紙でなにもそこには書かれていない。
他のとは違う雰囲気を醸し出していた。
私は中身が気になって本棚から取り出し軽い気持ちでページをめくった。
そこには――
『僕は過去の記憶を忘れる病気にかかっている』
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