第35話
「いよいよだね、月」
「うん……頑張ろ海」
先生からハチマキを受け取った後、人生で一番のダッシュをしたであろう私はなんとか二人三脚の招集時間に間に合った。
競技は私たちの苦労なんか知ったこともなく、淡々と始まる。
そして、今ついに目の前の三年生男子の競技が終了した。次は遂に私たちの番。
おそらく最初で最後の二人三脚。これまでたくさん練習してきた。
久しぶりになにかに楽しんで打ち込めた。
いじめてくる奴らの嫌がらせにも屈せずどうにかやってこれた。
それに……
「ねえねえ! 月の表情怖すぎるよ~! ほらっ、笑顔だよ! え・が・お‼」
今の私には海がいる。クラスからも大人からも学校からも親からも見放された私だけれど、海だけは私の手をそっと握り続けてくれる。
にかっと笑顔を弾かせる彼女の表情はまさに空に浮かぶ太陽のよう。
陽に照らされる銀の糸は私と同じシャンプーの匂い。
私を誘惑するようにつるんと綺麗に毛並みを揃えている。
「「続いて三年生女子の二人三脚です!」」
放送委員がそう案内すると同時に私たちはスタートラインに足を揃える。
ひもはちゃんと縛った。踏み出す足は外側の足から。
掛け声は「いっちにっ、いっちにっ」。
「それじゃあ行くよ!」
海にぎゅっと肩を捕まえて、私も応えるように海の肩を強く掴んだ。
「「位置についてー。よーい……どんっ!」」
――パンっ!
空高く空砲が鳴り、心臓が一瞬浮く。
私たちはせーので走り出した。悪くないスタート。
「いっちにっ! いっちにっ!」
海との息もばっちりだ。一番外側のコーナーだから、当然他の選手たちの姿は見えないけれど、でも多分私たちが一番早いっ! 早いに決まってるっ‼
いける! いける! 私たちならきっと……っ‼
「いちにっ! いちにっ!」
いける!
これはいける!
やっと努力が報われる。
何年ぶりだろうか。
なにかを成しとげられるってこんなにも嬉しくて、楽しくて、幸せなことなんだっ!
「いちにいちに」
コーナー終盤。
これが終わればあとは数十メートルの直線だけ!
他は……誰も見えない!
いける!
いける!
いける――って。
あっ。バタン……!
あれ?
なに、これ?
どうして私、地面に膝付いてるの?
あっ、待って。止まって!
私たちを追い抜いていかないで。
一番は私の、もの。私だけのものの、はず……だよ、ね?
「立ってぇー! 月ぃ! 急いでっ!」
気が付くと隣で叫ぶ海の顔が目の前にあった。
訳の分からないまま私は急いで態勢を取り戻して立ち上がる。
痛い。ああ。
絶対膝擦りむいてる。ぽたぽたと血が肌の上を流れていく。
いくら先頭だったとはいえ、既に一組に抜かされ今まさにもう一組にも。
ちらっと後ろを振り向けば、もうすぐそこに後方が迫ってきていた。
私は必死に走る。
走る。
走る。
残るは直線。
すぐ横には私のクラスの人たちの応援場所。
「なにやってんだよぉ~!」
「ふざけてんのかっ!」
「もっと早く走れぇ!」
そこで私はようやく気が付く。
私は焦るあまり、気持ちが前に行き過ぎていたのだと。
ほんとは「いっちに」のリズムなのに、いつの間にか乱れていたのだと。
そしてまた一つ気が付く。
私のせいで一位が取れなくなったのだと。それが無性に込み上げてきて、いつしか走りながら涙を浮かべていた。
すぐにその潤いは向かい風で乾くか、遥か後ろへと流れていく。
その源を押さえることはいくらしたって無理だった。
声も出せないでただ泣きながら走る。
いっそのこと今すぐ走るのを止めたい。
こんな見せしめのようなこと、続けてたくない。
垂れてきた鼻水をずーっと思い切り吸うと、ふと私の右肩から力が伝わる。
そうだった。隣には海がいる。
前を見て走っていてあくまで表情は見えない。彼女は今どんな気持ちで走ってるんだろう?
私への憤り、怒り?
海も私のこと、役立たずって思っちゃったのかな?
私だけでなく海の努力までも一瞬の高慢さで台無しにしちゃったんだから仕方、ないよね…………でも。
「ねぇー、はぁー、月ぃ! 僕ね、はぁーはぁー……今ね、すっごい楽しいよっ!」
私のせいなのに海は今もこうして……もうぉっ!
当の本人がこんなに弱気になってどうするのよ。
ゴールラインまであとちょっとじゃないっ。
それくらい頑張ってみろよ、私!
「うおぉぉぉぉ……っ!」
無意識にも、そんな情けない喚き声のような断末魔を空に向かって響かせる。
醜くても構わない。
それでも私はここにいるから。
海も「っはっは! いいね、月!」と高い声で荒れる息を吐く。
頑張れ私、頑張れ私、頑張れ私たち!
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