第34話

 集合時間まであと六分を切った。

 私は血眼になってもう一度探したが、お目当てのハチマキは姿を現してくれなかった。

 嗚呼。

 ほんとにこのまま私の体育祭が終わっちゃうのかな……結構、私なりに頑張ったんだけどな……海だって居てくれた。

 この髪だって……ね。

 ふと彼女が切ってくれた、肩にちょこんとかかったボブの髪を撫でる。

 ほんとに良い匂い。

 まるでいつでも海が隣でいるみたいに、私を包んで守ってくれている。

 突然、砂と草木の焦がれた匂いと、生徒の応援の熱気とが詰まった温い風が私のそれをさらりと明日の方向へとさらう。

 その行き着く先が知りたくて、髪がなびく方向に顔を向ける。

 するとポツンと一人、見覚えのある大人が静かに立っていた。


「……先生?」


「ここにいたか、水野」


 今日も相変わらず、先生の声は低くてどこかだらしない。

 せっかくの行事だっていうのに無精髭は蓄えられたまま。

 でもいつもと違う所が一つあるとすれば、クラスのオリジナル体育祭シャツを着ているところだろう。

 先生がピンク色……ちょっと気持ち悪い。


「ここにいたって……私になんの用ですか? 以前の件のことなら話す気はありませんよ」


 実を言うと、初めて先生に呼び止められたあの日以来、何度か先生に話かけられていた。

 でもその度に彼が言うことといえば「俺に話を聞かせてくれ?」だの「俺が力になる」だの。

 大人ってすぐそういう嘘を付くよね。

 散々悪い大人の嘘に騙されてきた私にとっては、聞き慣れたセリフだった。どうせこの人だって他の大人と一緒だ。救ってはくれない。

 偽善だ。


「違う違う。別件だ」


「じゃあなんですか……?」


「お前、探し物してるんだろ?」


「えっ……」


 思わず言葉にならない声が漏れてしまうが、すぐに開いた口を結ぶ。


「なにか……知ってるんですか?」


「ああ。知ってる。付いてきて」


 言われるがままその後ろ姿を追っていくと、誰もいない閑散とした校舎内へと入っていく。


「あっ! 月っ!」


 右に続いていく廊下の奥の方から聞き慣れた声と呼び名が聞こえてきた。

 手を振りながら走ってくる海。

 近づいてくるにつれ、彼女は私以外にもう一人いることに気が付いたらしい。


「こっちも全然見つからなくて――って。げっ、高野先生もいるじゃん……どうしたの?」


「いや、これはなんというか……」


「お前たちが探してる物の場所を訳あって知ってるんだ。もうすぐそこだから星宮も付いてこい。時間、ないんだろ?」


「嘘っ⁉ 先生知ってるの⁉ なんで知ってるの……って。まあ聞きたいとこだけど後にするよ。取り敢えず案内してっ!」


 先生は一切表情を変えないまま、でも足取りは早く。

 そして先生が立ち止まった場所は……


「ここって……」


「男子トイレかよっ! クソっ!」


 校庭でもなく、ある意味校舎内でもない。

 そして普通に考えて私たちが絶対に探そうとしない――出来ない所。それこそ、この男子トイレだったのだ。


「まんまとしてやられた! 入れないことを知ってあいつらは……っ!」


「まあ落ち着け。俺が取り入ってくるから」


 トイレから出てきた先生は右手に握ったピンク色のハチマキを私に差し出してきた。


「あい、これだろ」


「……はい。あ、ありがとう、ございます。すみません。最初あんな態度しちゃって……」


「別に良いんだ。お互い様な。それより行かなくていいのか? もう時間は――」


「うわっ! 月、もうあと三分だよ! ここから走って行けばなんとかなるかもっ!」


 トイレ前に設置された時計を指さしたかと思うと、海は私の腕を掴んで早く早くと急がせてくる。

 もっと先生に聞きたいことがあるけど……仕方が無い。また次の機会にしよう。


「それじゃ先生! サンキュー!」


「ほんとに、ありがとうございます」


「あぁ……頑張ってこい」


 たったそれだけ。なんの変哲もない一言なのに、ひどく心が温まる。

 内側からじんわりと燃えるなにか。

 言語化出来ない灯が私の心を明るく照らす。


 先生への感謝を胸に、あいつらの嫌がらせになんかに負けてたまるかと自分を躍起させた。


「いよいよだね、月」


「うん……頑張ろ海」

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