第25話

「っふ~、疲れた~」


「私も、はぁーはぁー……久しぶりに動いた……」


 気が付けば太陽はゆっくりと遥か水平線の向こうへと落ちていき、辺りは陽の残光で照らされて、それはまるで黄金の稲穂の中にいるようであった。

 結局最終下校時間まで練習していた私たちはそんな声を漏らしたが、すぐに夏を予感させる風に攫われていった。


「でもでも! やっぱりやるからには一位になりたいじゃん!」


「また言ってる……それはそうだけど……」


 本当にそんなこと可能なんだろうか? 

 今まで本気になって物事に取り組んでこなかった私には答えを導き出せなくて、曖昧な返答しか出来ない。


「そ・れ・に! 今は月と一緒だから。月となら取れる気がするんだ! 万が一、取れなかったとしても、この練習した日々は決して忘れない、私たちの大切な思い出になるから」


 海の視線は明日の方向を見据えていて、夕日に映えるその横顔はとても綺麗だった。


「そういえばさ」


「なに?」


「海はよく『思い出を大切に』って言うよね? なんか意外」


「意外って……月は大切にしたくないの? 僕は絶対に忘れたくないから………ほらっ!」


 ふと肩に下げていたバックの中をガサガサと物色すると「じゃじゃーん!」という効果音と共に現れたのは「思い出ノート」と書かれたノートだった。


「ま、まさか海……全部そこに書いてるの⁉」


「勿論だよ! 月との思い出は僕の宝物だから」


「ちょ、ちょっと見せてっ」


 驚きで半ば取り上げる形になってしまったが、その中身をパラパラと見ると……本当だ。

 今までのことが全部書かれている。

 いつどこに行ってどんな会話をしたのかが、綺麗な字で書き連らねられていた。

 「なんか書いてるな」と以前から海の部屋に行く度に思っていたのだが、まさかこんなことをしているとは。

 服や化粧品などのショッピングに行ったこと、プリクラを撮ったこと、勉強会をしたこと、図書館に行ったこと、海の部屋でだらだらしたこと。

 ちょっぴり喧嘩したこと。

 そして学校に戻ってきてからのあの激動の二日間のことも。

 決して良い出来事だけでなく、悪いものまで。

 自分の病院に通っている記録まで、ここには記されていた。


「海、こんなに病院行ってたんだ……本当に大丈夫なの?」


「ああ、うん。まあね。心配は無用だよ」


「なんだっけ? 精神状態の確認とか言ってたよね?」


「そ。毎回変な器具付けられて大変なんだよ~。僕は大丈夫って言ってるのにね」


 そんな呆気なく自分のことについて話す海は本当になんも問題は無いように見えて、心配しすぎかなとも思った。

 兎に角、本当に今まで私たちに起きたほぼ全てのことがこのノートには記されていた。


「こ、ここまでとは」


「引いた?」


「引いてはないよ。ただなんでここまでするのかは気になるけど……」


「今の僕の夢はこのノートを全部埋めるくらいの時間を月と過ごすことなんだよっ!」


「そう、なんだ」


「だから明日からも練習頑張ろ! それで一位を取って最高の思い出をここに記すんだ!」


 なんで私との思い出をそこまで大切にしているのかは分からない。

 そもそもなんで海は私を選んだんだろう? 

 五年前助けたから? 

 それなら選ぶのは私の方だ。

 私はまだ海について全然知らない。

 そりゃあまだ会って二ヵ月も経ってないしね。

 でも逆にこんな短期間でここまで私のことを考えてくれる人なんて海以外にいない。

 海のことを知らない不安は出会ってからまだ拭えない。

 だけど、この手を掴んでくれる海の手が今の私には優しく暖かすぎて、絶対に放したくないと思う自分も確かにいるのだ。

 今の私には、この手しかない。


 だから――


「うん。取り敢えず頑張ろうか」


 その手を握り返すように、そっと息を込めて答えた。


 ああ、夜風が気持ち良いや。

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