第19話

「それはさ、月をちょっと試そうと思ったんだ。信じてもらえるか分からないけど」


「私を……試す? どういう、こと?」


「月はあの時、私の『良い親だね』って言葉にちゃんと怒りを覚えてくれた。月にしっかりとした親への反抗意識が――自分の意志が――あるのかどうかってことが知りたかったんだ」


「分かんないよ……一体さっきからなんの話をしてるの?」


「僕は自分の親を反吐が出るほどに大嫌いだ。自分たちの価値観を押し付けてくる最低野郎だ。そしてそんな親を肯定する周りの大人たちも……本当に大嫌いだ」


 っはー……と息を吐く音が聞こえてくる。


 チクタクチクタク――時計の音が規則正しく奏でられる。


「月の母親が僕の親を肯定した。その時点で僕はもう彼女に失望した。だから今度は月を試そうとした。月があの親を肯定するならそれはイコール僕の親を肯定することになる。そんな人間と僕は関わりたくない」


「じゃあ、私は……」


「月は僕が予想していた通りの反応をしてくれた。僕に煮え切れない怒りを向けてくれた。僕の親を否定してくれた。勿論、月が否定しない場合はそこで絶縁してただろうけどね。やっぱり私の大好きな月は大好きな月のまんまだったんだ」


「……」


 おおよそのことは分かった気がしたけれど、なんだか歯がゆいものを感じた。

 それは自分の親がクソ呼ばわりされたことではない。

 むしろそう言ってくれてとても嬉しかった。

 心から私はあの親の存在を憎んでいたから。

 海が理解者であったことに安堵さえ覚えているのだ。

 問題は海のやり方だ。

 嘘をついてまで私を試そうとするなんて……海の手のひらで転がされてたってことじゃん。

 もっと他に確かめる方法はあったはずなのに。

 これじゃあまるで……


「海はサイコパスなの?」


 他人の気持ちなんて関係ない。

 相手がどう思おうとしったことではない。

 他人の痛みが分からない。

 独りよがりな、自己中心的な考え方。


「面と向かってそう言われると、なんか流石の僕でも嫌だけどなあ。でもまあ今回ばかりは本当にごめんなさい。許してくれると嬉しいんだけど、ね」


 今思えばそうだ。

 人を簡単に殴ったり、涙を舐めたり、今こうして平然と笑っていたり。

 彼女は本当にサイコパスなのかもしれない。

 だがそれを彼女は認めないだろう。

 サイコパスが自分をサイコパスだなんて言わない。

 どうしようかと考えるも、案外私の思考は鮮明であった。

 なにより彼女は昨日と今日、私をあいつらから守ってくれた。

 騙し討ちはされたけど、それ以上に私は彼女を心から頼っている。

 なにをするか分からなくて危険。

 でも海は、私だけは大好きだと言う。

 私という存在をこの世界で唯一認めてくれる、この世界に居ていいんだと言ってくれる。

 だから今は――


「分かった……許す」


 ちょっとわがたまりは残っているけれど、取り敢えずの妥協であった。


「ほんと⁉ ありがとう! やっぱり大好きだよ~月~!」


 私の許しを得て嬉しいのか、傍に駆け寄り思いっきりハグされる。

 彼女のぷにぷにとした柔らかい色白の頬が私のそれをイヌみたいに擦る。

 近くで見るとより一層さらさらとした彼女の白銀のボブが、時より私の鼻を刺激して妙にこしょばい。

 うわあ、すごい良い匂いだな……ってダメだダメだ! 

 なにを浮かれている!


「もうっ、分かったから! 一旦離してぇー!」


 最後は無理やり引き剥がしたものの、海はまだ物足りないような寂しい顔をしている。


「じゃあまた今度来た時、いっぱい遊ぼうね! まあ明日なんだけど」


「そっか……いつでもここに来ていいんだもんね」


「僕、今まで月と遊べなかった分、一緒にしたいことが山ほどあるんだよ!」


「そう、なんだ」


「いやぁ、僕は今すごい幸せだよ! これからどんどん忘れたくない思い出を作りたいー!」


 何故だろう。その時の海の笑顔を見て、私の心が温かくなったのは。

 なにかジーンとした、でも雲みたいに手で掴めないあやふやなものが、胸を大きく膨らませている。

 彼女がサイコパスなら、きっと私はエンパスだ。

 こんな彼女を受け入れてしまう私はいけない人? 

 でもこんな彼女でも私にとってはあの夏の太陽のように思えたから……


 この知らない感情は、なに?


 今の痛みきった私には、まだなにも分からない。

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