第15話

 無事LHRが終わると次は通常授業。

もう私たちは受験生なのだと思い知らされる時間割であったが文句ばっかりも言っていられない。

 その後、二時間分の授業を終え、お昼休みになる。

 私は教室にさっきの居心地の悪さを感じて食堂へとすぐに向かったが、その間、海も黙って着いてきて結局一緒にご飯を食べた。

 事件はここで起きる。

 教室へ戻ってくると異様な空気感を感じた。そう、私の心をぞわぞわさせる、締め付けていく恐怖。

 その正体は、自分の席に座って次の授業の準備をしようとしたとたんに分かった。


「あれ……」


「どうしたの月?」


 今まで黙っていた海がキリッとした声を上げる。


「私の持ち物……全部無くなってる……?」


「えっ……いやいやどういうこと? 全部? 教科書も筆箱も?」


「うん……ノートとかファイルとか、カバンにあったもの全部……」


 カバンの口を大きく開け、逆さまにしてなにもないことを見せる。まさにもぬけの殻……「カラン」って冷たい音がその空白から響いたように聞こえた。


「だってさっきまであったじゃん!」


 海はまだ状況を飲み込めていない。

 あたふたしながらカバンを必死に漁っているものの、やはりそこにあるのは「無」のみだ。

 くすくすという音が私の耳に触れた。

 でも変に考えたくなかった。


「取り合えず……探さなきゃ。次の授業、受けられない……から」


「うん……そうだね。取り敢えずそうしよう。僕も手伝うよ!」


 今は海との接し方なんてどうだっていい。私たちは身近な所から隈なく探し始めた。

 おおよそ検討はついていた。こんなことをする人のことなんて……

 そして皮肉にも、私の荷物類は探し始めてからすぐに見つかった。


 ――ゴミ箱の中に。


 しかもおそらく購買で買った食べ物が汚くすりつぶされて一緒に捨てられていた。


「な、なんだよこれ⁉ こんなことっ……許されるはずがないだろっ!」


 隣でこの有様を見た海は唾を吐くような勢いで叫んだ。

 正直、私からしてみても相当ひどい仕打ちだ。新しい三年生の教科書も買って、ノートも心機一転。ほとんどが新品だった。それにかけたお金も全て、今ここで無駄になった。


 ――すぅ……


「……つ、月⁉ 大丈夫?」


 気が付いた瞬間、私は海に両肩を掴まれていた。


「え、あ、ど、どうしたの、海? そんなに悲しい、顔して」


「それはこっちのセリフだよ月! 本当に大丈夫⁉」


「さ、さっき、からどうしたの? 私は別にいつも通り――って、あ、あぁれ?」


 そこでようやく私は気が付いた……私は泣いていた。

 瞳に熱いものが溜まる。

 どうにか零れ落ちないように目を大きく見開く。

 世界がぼやけていく。

 でも――いつもなら抑えられたけど――今だけはどうしようも出来なかった。

 ポロッポロッ、ポロポロ、ボロボロッ。


 小さい雫が頬を伝い、口に入る。


 しょっぱい。


 大きい雫が鼻を伝い、口に入る。


 痛い。


 もう私は、私自身でいられなくなった。

 限界だった。

 なんでっ……なんでこんなことするの⁉ 

 私はなんも……悪いことなんかしてないよぉっ!

 ただの……っ、普通の高校生なのに……っ。

 ただ……普通に生活したいだけなのに……っ‼


 友達がいなくたって構わない。

 浮いていたって構わない。

 徒歩で通っても構わない。

 雨でも構わない。

 親が弁当を作んなくたって構わない。

 音楽と関われなくたって構わない。


 なのに……なのになんでぇーっ! 

 それさえも「運命」は私から奪っていくの⁉

 涙が溢れて仕方が無い。ただひたすらにズキズキと心が痛い。

 まるでハンマーで叩かれて裂けたひびがどんどん深く、鋭くなっていくガラスのように、私は再生不可能なほどに壊れる。

 永遠と降り注ぐ塩の雨は私を落ち着かせてはくれない。

 頬が火傷しそうなくらい熱を持った涙は私の傷を癒してはくれない。

 涙なんて流したところでなににもならない。


 ――ぺろん


 すると。

 私の壊れる姿をそっと見つめていた海が、ふと私の汚い頬に手を差し出してきた。

 彼女は私の涙にそっと触れると、一粒それを掬ってそのまま口へと運んだ。


「な、舐めた、の……私の、なみ、だ……」


「うん。しょっぱいね。それでいて、すごい熱い」


「汚い、よ……」


「汚くなんかない。月はすごい綺麗だよ。この世で一番、綺麗」


「うぅ……なんでそんな、海は、私の、ことを……」


 手をギュッと握って心の底から出た、無意識の震える声。


「だって言ったじゃん。僕は月が大好きなんだ」


 小さい子供に本を読み聞かせるような、甘くてしっとりとした声だった。

 その優しさに誘われるようにして私は


「……たす、けて……海」


「……勿論だよ、月。いい? 涙はね、血なんだよ。同じ成分で出来てるんだ。だからこんなにも傷ついて静かに『血』を流してる月を僕が放っておくわけないよ」


 海はふんわりとした手つきで私の頭を撫でて、自分の胸へと抱き抱える。

 彼女の胸の中はこれまでに感じたことのないくらい幸せが詰まっていた。


「……誰の仕業? 月」


 昨日はなにも言えなかったけど、今日は言える。

 言いたい。

 熱よ、届け。


「……あいつら」


 がくがくと腕を振るわせながら、私は教室のある一点にいる「黒」を指さした。


「分かった。月はここで待っててね」

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