第10話
「ここが月の家?」
颯爽に自転車を漕いだ海は私の家に到着するなりそんな言葉を漏らす。
「そうだよ。みすぼらしいでしょ」
どうせそう思っているのだろうと、先に自虐的に印象を下げておく。
「そんな意味で言ったんじゃないよ? 月はすぐネガティブになるんだからー」
海はすぐにフォローしてくれたけれど、私は恥ずかしい気持ちで一杯だった。
海には早く帰って欲しいと心から祈る。
「ご両親は?」
「お母さんは家。お父さんは……多分仕事かな」
お母さんは酔いつぶれて、お父さんは頭を地面に付けて働いている、の方が正確だったかもしれない。
ただ、家以上に海には私の親を知られたくなかった。それ以上に恥だから。
「ふーん……じゃあ、家にお邪魔させてもらっても良い? 折角ここまで来たんだしさ」
一番私が恐れていたことを無邪気に聞いてきた。
「っ……それはダメ。家の中は入っちゃダメ」
変に疑われないよう気を付けつつ、最大限の否定の意思を表す。
「お願いだよ~! 月のご両親にも挨拶しときたいしさ」
「なんで挨拶なんか必要なのよ……」
万が一、海はお金持ちの子だとあの人が知ったら、きっと逆上するに違いない。私への当てつけか!と。
ひょっとしたらその理不尽な牙は未来の私へと向けられる可能性もある。
「そこをなんとか! あ、そうだ! だったら代わりに明日、私の家に放課後来ていいよ! たくさんおもてなしするからさ! 楽しいよ?」
「……っ⁉ そ、それは」
確固たる意志を持っていたはずなのに、その言葉を聞くとそれは少し溶け始めていた。
お金持ちの家ってどんなんなんだろう?
長年密かに抱いていた好奇心が心の扉を開けてひょっこりと姿を見せていた。酷く甘い誘惑。
「ならっ! 明日だけじゃなくて、月が好きな時に好きなだけ家に来ていいよ! 私がいる限り、ずっと! これでどう⁉」
いつでも行っていい、の?
いくらなんでも海と親なら、あまり関わりたくはないとは言えど海と一緒にいた方がマシ。
あの親の顔を見る機会が減るの?
なら……
「本当に……いつでもいいの?」
「うん! その方が僕も嬉しい!」
「なら……いいよ」
「ほんとに? やったー」
右手を空に高く突き上げ大袈裟に喜ぶ海の白い瞳が、より一層冬の吐息みたく澄んでいた。
「で、でも今回はその、一階だけ。お母さんも多分、そこにいるから……」
「了解しましたー!」
元気よく敬礼する海。
こんな彼女に今の私の部屋を見せたらたまったもんじゃない。まあゴミの散らかっているリビングを見られるのもたまったものではないが。
「それじゃあ早速」
海は軽やかにステップを踏んで玄関へと向かい、ドアノブに手をかける。
「お邪魔しまーす!」
「……ただいま」
普段なら絶対に言わない言葉だけど、海に合わせて小声でつぶやいとく。
靴を脱いでリビングへ行くと、案の定酔いつぶれたお母さんが机に突っ伏して眠っていた。
朝いなかった時よりもお酒の空き缶の量が増えているように思える。
「ご、ごめんね海。私のお母さん、いつもこんな感じで……」
「へーそうなんだ。僕は全然いいけど……起こしてもいい?」
「まあ、いいよ。起こさないと話せないしね」
そんな当たり前のことを確認した海は「すみませーん!」とお母さんの肩をやや乱暴気味にグラグラと揺らす。
「んっ……う~ん……なんだよ……帰ってたのかぁ?」
眠りを妨げられて嫌だったのか、ダルそうな声を上げて目をゴシゴシと擦っている。
「う、うん。今日はちょっと、お母さんに用事が……」
「用事……?」
「そ、そう。ほら、隣に立ってる子、なんだけど」
まだ寝起きで意識が朦朧としているお母さんに海の方を指さす。
するとようやく彼女の存在に気が付いたのか「うわあっ! 誰⁉」と一瞬体をビクッとさせて目を見開た。
「こんにちは、月のお母さん! 僕は星宮海。今日から月と同じクラスに戻ってきた者です」
「星宮って……まさかあの星宮⁉」
「ってお母さん、知ってるの?」
「そりゃあそうわよ! ここら辺で星宮といったら、大地主のあの星宮家のことよ! もともとあった広大な土地に、なにを作ってるのかは忘れたけど……でっかい工場を立てて大成功を収めたっていう。しかも今、更に全国にも進出してどんどん規模が大きくなっているって噂も聞いたわよ! もう天下の星宮家って呼ばれてるくらいだもの!」
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