第4話

「ええー、新高校三年生の皆さんは、ええー、悔いの残らないような、ええー……」


 始業式でのとてもためになる校長の話を終えて、私はクラスに戻り自分の席に座っていた。

 目の前にある机はもうなにも無かったかのように跡形もなく綺麗になっている。

 はぁー……私の痛みもこんな簡単に拭いて消せればいいのにね。

 羨ましいや。

 この中高一貫校は良くも悪くも六年間を通してクラス替えを一切行わないため、別に学年が上がったからといって私に救いは無い。

 クラスとしては絆がこれでもかと深まるんだろうけど、それも私には関係ない。

 絆なんてこのクラスに本当にあるのかだって疑う。

 でも……今年は少し変化があった。

 今まで私のクラスの担任をしていた先生が定年退職をして、新しく都会から来た先生が担任を受け持つことになったのだ。


「あい。席に着けー。ホームルームするぞー」


 当の本人がドアを開けて入ってきた。

 初めて声を聞いたけど、思っていた以上に(男性とはいえ)声が鈍くて低い。

 でも確かにクラスの人たちの耳にははっきりと伝わっていた。

 年齢は三十代後半、いや四十代前半だろうか。

 少し白髪の混じった髪を雑にワックスで整え、口のあたりにはダンディーな髭を蓄えていた。

 本当に教師なの?


「えー皆さんこんにちはー」


「「こんにちはー」」


「今日から新しくこのクラスの担任になった、高野だ。高野恵たかのけい。一年間だけだけど、まあそれなりによろしく」


「「よろしくおねがいします」」


 みんな律義に返しているけれど雑な挨拶だなあと思う。

 なにより声に全く活力が無い。

 いかにもだるそうな感じがその一音一音に乗せられていた。

 そんな感じで先生を観察していると、ふと目が合ってしまったので咄嗟にふいっと顔ごと逸らす。

 あまり悪目立ちはしたくないし、どうせこの先生だって私の傷なんて癒してくれない。

 変に大事にされて、私へのいじめが酷くなる方がよっぽど嫌だ。

 私は俯いたまま。

 先生はそんなの気にしていないかのように、話を続ける声がする。


「えー早速だがこのクラスの新しい――と言っていいのか分からんが、取り敢えず今日からこのクラスに加わる人を紹介する」


 えっ……? 

 あまりにも急な展開に一気にクラスがガヤガヤとざわつき始める。


「おいおいマジかよ⁉」

「かわいい子が良いなぁ」

「友達がまた増えるね」

「どんな人かなー」


 男子も女子も軒並みその「転校生」に心を躍らせているのが彼らの声色とソワソワした様子から伺える。こんな田舎だからそもそもこんなことは珍しいのだ。


「じゃ、入ってきていいよー」


 先生がドアの方に向かってそう合図すると、みんなの視線は一斉にそちらへと向く。誰しもが固唾を飲んで今か今かと目を大きく開いていると……


「失礼しまーす!」


「「……っ⁉」」


 外の春の陽気に応えるような元気な声でそう挨拶をしたのは、ゲレンデの雪みたく白銀に染まったショートヘアをぴょんぴょんと跳ねさせる、一人の少女であった。


「みんな久しぶり! 覚えてるかな僕だよ! 星宮海ほしみやうみだよー」


 クラスのみんなはその顔と名前を知ったとたん、そんな彼女の陽に反射した雪のように眩しい笑顔とは対照的に、路地裏の影みたくシーンと静まりかえっていた。


「あれーみんな覚えてないのかなあ? おかしいなー。みんなとはちょっとだけど一緒に過ごした仲間だと思ってたのに。ねぇー青柳?」


 口元をにんまりと釣り上げて、煽るような声色で青柳の名を呼んだ。


「なんで、お前が……⁉」


 青柳と他の陽キャ四人組は明らかな嫌悪の眼差しを彼女に差していた。


「なんでって言われても、もう出所していいよって言われたんだもん。残念でしたー。また楽しくなりそうだね! よろしくぅっ!」


「チッ」


 そうして青柳は彼女から目を逸らした。どうやら顔も見たくないらしい。


「それで――」


 そう言いかけたところで、次に彼女は窓際にすぼんだようにいた私の視線を捕まえる。

 何処までも深く、色が抜けたみたいに白い瞳に私の心は吸い込まれそうになる。


 そう、彼女は――


「ただいま、月。遅くなったけど、僕が帰ってきたよ」


 五年前のあの日、一度だけ私を血に染まりながら救ってくれた張本人だった。

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