第4話

「ねぇ、話をする前に、この契約書にサインをしてくれる?」



それは、ここで見聞きした事、この家の存在を他者に話さない事の契約。

もし話してしまったら、命を奪われるというかなり重い契約だ。

先程とは違い真剣な眼差しで契約書を読むヴィンス。

そして、何のためらいもなくサインしようとした。

焦ったのはパトリシアの方で、思わず契約書を取り上げてしまった。

「ちょっと!ちょっと!ちゃんと読んだ?!考えた??下手すると死んじゃうのよ!?簡単にサインしないでよく考えて!!」

焦ったように叫ぶ彼女にヴィンスは、不思議そうに首を傾げる。

「なんで?」

「なんでって・・・・これは、私の・・・最後の良心よ。何も聞かずに、私と関らなければ、ヴィンスは苦しむことは無い、から・・・」

そう、この契約書は本当に最後の警告のようなもの。まだ引き返せると。

そんなパトリシアの気持ちなどお構いなしに、彼女の手から契約書をひったくり、ささっとサインをしてしまった。

そして契約が成された証拠に、金色に光った。

「なっ・・・何を・・・ヴィンスっ!あなた、死んじゃうわよ!!」

「トリシャ、何言ってるの。死ぬわけないだろ?」

「そりゃ、口外しなければ死なないけど・・・」

「あのさ、トリシャが何か事情を抱えているのはわかっていたさ。多分、俺だけじゃなく周りの奴らもな」

確かに・・・と、パトリシアもあの婚約破棄騒動を機に、がむしゃらに依頼をこなした。

国王への交渉と、元皇女であり第二継承権を持っていた母から叩き込まれた帝王学のおかげで、女王となるべく教育は短時間で終わり、残った時間を全て冒険者として使っていたのだから。

「俺はね、何があってもトリシャを裏切らない」

「・・・・失望もしない?」

「しない」

「嫌いに、ならない?」

「ならない」

即答のヴィンスに勇気を貰うかのように、パトリシアは覚悟を決めた。


「本当に、ここで見聞きしたことは他言無用よ。そして・・・私は、私の欲望の為だけにあなたを縛ろうとしている」

「トリシャだけの欲望?」

「そうよ。あなたの気持ちなど一切考えない、私だけが幸せになる為の事をあなたに要求するんだから」

「うん、いいよ」

綺麗に笑うヴィンスは、なぜかとても幸せそうだった。

だが今のパトリシアには、そんな彼の表情を読み取る事すらできないほど、緊張していた。

そしてテーブルから少し離れた所に立ち、右耳に付けていた紫水晶のピアスを外した。


ライトブラウンの肩までしかなかった髪が銀髪に変化し、まるで天の川が流れるかのようにすらりと腰まで流れ、朝焼けの様なオレンジと紫の瞳は宵に向かう紫へと変わっていった。

トリシャの時も整った顔立ちをしていたが、その比ではないほどの美しい容姿へと変貌。

ヴィンスは呆然としたように、それを見つめた。


「私の名前は、パトリシア・ライト。アントニー・ライト伯爵の娘でもあり、この国のラウル・サウス王太子殿下の婚約者でもあるわ」


改めてのパトリシアからの自己紹介に、ヴィンスは小さく頷き、彼女の前に膝をついた。

「私の名はヴィンセント。訳あって家を捨てた身。これまで通りヴィンスとお呼びください」

「・・・・ヴィンス、私の話を聞いてくれるかしら」

「喜んで」

二人は手と手をとりあいソファーへと移動し、離れることを惜しむように寄り添い座ったのだった。


パトリシアはこれまでの事を、なるべく客観的に話した。

そしてこれから自分がやろうとしている事、不確定な未来の事も。

「私が結婚するまでの約四年・・・もないわね。私の恋人になって欲しいの」

震える声、揺れる眼差し。全てが彼女の心情を表わしているようで、ヴィンスは答えを返す前に彼女の気持ちを確認した。

「・・・・ねぇ、トリシャ。もし俺がこの家の存在に気付かなかったら、何も言わないつもりだった?」

「そうね・・・言わなかったと思うわ。好きに生きるつもりだったけど、大切な人を傷つけてしまうと、怖気づいてしまっていたの」

パトリシアの言葉に、ヴィンスは「大切・・・」と小さく繰り返す。

「でもね、殿下にお前も好きにしろと言われたとき、一番最初に浮かんだのがあなたの顔だった。あなたと生きたいと思った」

「俺と生きる道もあったのに、女王になる事を選んだんだよな」

そう、パトリシアはあえて女王になる道を選んだ。

「王妃と女王とでは使える権力が全く違うの。王妃のままだったら、婚約を破棄していたわ」

二人は依頼をこなす為に、色々な所をまわってきた。

貧しい村も、富める街も、そして領主や貴族たちを見てきた。

問題のある所は、のちに必ず行政や貴族の援助が入っていた。

今考えると、それは裏からパトリシアが手をまわしていたのだろうと、今になってわかる。

彼女の母でもあるルーナも冒険者時代は同じような事をよくしていた。それは住む国が変わってもやることは同じで、一緒に各地を回っていたパトリシアは身をもって学び経験してきた事の一つだった。

そしてそれは自然と身につき、振るえる権力の大きさについても考えさせられた。

「王太子殿下は頭と下半身が緩いという噂だけど、全くその通りなの」

「・・・・・・・・・・・・」

が国王になったら、何が起こるか想像ができるから怖いのよ」

きっと帝国がしゃしゃり出て来る事は間違いない。今の皇帝には沢山の側室とその子が存在する。

婚約破棄をすれば、きっとその中の一人を送り込んでくるに違いない。

ただでさえ内政干渉を虎視眈々と狙っている帝国。

国民を蔑ろにはしないだろうが、何をやるにも帝国の顔色を窺ってなど遠慮したい。


パトリシアは、ギルドでの依頼を通じ、沢山の人と出会い沢山の人から幸せを貰えた。

貧しい中で苦しい中で、お金をかき集め依頼してくる彼らが、愛おしくてたまらない。


「全てを救えるなんて、私はそこまで自惚れてないわ。でも、今以上にできる事があるのなら、それを私は掴む。

上の人間が愚かだと、苦労するのは国民。冒険者として各地を回っていて、その理不尽さに触れてきて身をもって感じたから」

それに・・・・と、一度言葉を区切ると、まさに為政者の微笑みを浮かべた。


「自己犠牲だなんて、そんな綺麗事言わないわ。私は自分の欲を通すために女王になるんだもの」

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