第5話

彼女は元々、人の上に立つために生まれてきたんだろうな・・・と、ヴィンスは改めて思った。

トリシャは、自己犠牲ではないと言ってはいるが、他人から見れば立派な自己犠牲だ。

そんな彼女について行くには、傍にいるには、並大抵の神経ではいられない。

全てを受け入れるくらいでなくては。愛しさも嫉妬も憎しみも、すべて、すべて。

―――愛する女が他の男の子を生むことも・・・

だから、彼女が壊れない様に愛さなくては、支えなくてはと強く強く思うのだ。

そして、ヴィンス本人、まさかここまで人を愛するとは思ってもみなかった。


ヴィンスことヴィンセントはサウス国やイスト帝国よりも遥か遠い、海を挟んだ大国の名のある侯爵家の長子だった。

美しい母親と瓜二つとまで言われているだけあり、幼い頃から美しい子供として有名だった。

ヴィンセントが十歳の時に病の為に母を亡くしたのだが、悲しみも癒える間もなく父が後妻を連れてきた。

その女と言うのが母親とは正反対の可愛らしい容姿なのだが、ヴィンセントを見る目がねっとりと絡みつく様な、母親ではなくあからさまに女の目をしていた。

父親の容姿はどちらかと言えば何の特徴もなく、普通。美女と謳われた母親とは、絵にかいたような政略結婚だった。

そんな母とそっくりなヴィンセントには、誰もが目を奪われ、中には厭らしい目で見てくる輩もいた。―――義母の様に。

義母が家に住み始め、しばらくは何事もなく過ごしていた。

ヴィンセント自身も警戒し、あまり関らない様にしていたのだが、時間が経つにつれ義母が異常なほど触れてこようと、何かにつけて目の前に現れるようになったのだ。

気持ち悪いほどの猫なで声で、名を呼びながら。

そんな日が続いたある夜、身体が重く息苦しくて目が覚めれば、裸の義母がヴィンセントの上にまたがっているではなか。

昼間に見せていた媚びる様な顔ではない。獲物を食い殺すかのような獣のような眼をしながらも、厭らしい笑みを浮かべ舌なめずりするその様は、物語に出てくる悪しき魔女そのもの。

あまりの恐怖に声が出なかったが、彼女がヴィンセントの身体をまさぐり服に手を掛けた瞬間大声を上げる事が出来、驚いた使用人達により女は取り押さえられたのだった。

初めて見せるその女の本性に、激怒した侯爵にすぐ離縁されるかと思ったが、女が妊娠している事が判明。子が生まれるまでは別邸に監禁されることになってしまった。

人の弱い所を見抜き、取り入る事が得意な女。初めこそは憤っていた父親だったが、次第に態度が軟化していくのが見て取れたのだ。

あのねっとりとした視線、身体をまさぐる手のひら、絡みつく様な吐息・・・すべてが気持ち悪く思い出す度、嘔吐を繰り返すヴィンセント。

精神的にも肉体的にも追い詰められていく最中、幼いながらもこれからどうしたらいいのか冷静に考え始めた。


あの女がいる限り、きっと同じことが繰り返される。

現時点ですでにあの女を許し始めている父親は、信用できない。

父親であろうとも、いつかは自分の敵になるかもしれないから。

そうなった時、どうする?襲われているのに、逆に襲われたのだと騒ぎ立てられたら?

あの狡猾で色情狂いの女なら、いずれ実行に移すはずだ。

それにあの女の腹の子は、本当に父親の子なのだろうか?


そんな疑問を持ちながら、ここに居ては身の危険を感じると、ヴィンセントは家を出る事を決めたのだった。

元々、父親とは親子とは呼べない希薄な関係だった。母親だけだったから。自分を愛してくれたのは。母が亡くなった今では、家を捨てる事には何の躊躇いもない。

そう考えるも、まだ成人も迎えていない子供が一人で生きていけるはずもない。

だが、幸いなことに当時の剣の師匠がS級冒険者だった。

世界各国をまわっている途中、父親でもある侯爵に頼み込まれ、この国にいる間を条件に彼に剣を教えてもらっていたのだ。

指導は厳しいが、これまで回ってきた国々の話を沢山してくれる、年の離れた兄の様に慕っていた。

だが、この国に滞在するのもあと僅か。ヴィンセントは師匠でもあるザックに、この国を出る時に連れて行ってくれないかと懇願したのだ。

事情を聴いたザックはしばし考え込み「自分の事は自分でやる」事を条件に、出奔の片棒を担いでくれる事を了承してくれた。

ばれた時に、誘拐犯として手配されるかもしれないというリスクもあると言うのに。そんな危険をも顧みず手を差し伸べてくれるザックは、ヴィンセントにとってまさに英雄だった。

兎に角、ザックが疑われない為に単独行動と思わせるよう計画を立て、自分が持っていた金品を全て持ち出し、手紙と魔道具を一つ置いて家を出たのだった。


その後、実家がどうなったのかは知らない。

置いてきた魔道具は、自分の時に使われたきりで倉庫に仕舞われていた物で、生まれた子の父親が本当に侯爵なのか判定してくれる優れものだ。

意趣返しのつもりで、手紙と共に置いてきただけ。

二人はすぐに国を離れ、彼らの手の届かない所へと移動した。

ヴィンセントはヴィンスと言う名でギルドへ登録。

面倒見の良いザックに、独り立ちできるまで色々仕込まれながら一緒に冒険を続けた。


成長するごとに美しさが増していく、ヴィンス。

だが、女性のどんな誘惑にも靡くことが無い「氷月の剣士」と、本人のあずかり知らぬ所で呼ばれるほどになっていた。

今ではだいぶよくなってきたが、あの時のトラウマはなかなか克服する事が出来ず、女性に触れられるだけで気分が悪くなり、ひどいときには嘔吐するほどだった。

それなのにトリシャとの出会いはヴィンスにとって衝撃以外の何物でもなく、今でもその時の事を鮮明に思い出せるほどだ。

肩先で揺れる柔らかそうなライトブラウンの髪。これまで見た事のない不思議な色合いの瞳の可愛らしい少女。

話では、最近独り立ちしたばかりの冒険者だという。

だがその時で既にA級間近なのだと言うのだから、周りの冒険者たちがざわつくのも頷ける。

ただヴィンスが驚いたのはその事ではない。

傍にいても、何も感じないのだ。

女性が近づくだけで感じる、気持ち悪さや息苦しさ。未だ恐怖を感じるのか動悸が激しくなる時もあると言うのに・・・

何も感じなかったのだ。

反対に心地良い空気が、ヴィンスを包み込んでくれる。―――只々、不思議だった。

そして気持ち悪さとは別の動悸が、ヴィンスを襲う。

どこか気持ちが浮き立つような、そんな胸の高鳴り。

既にヴィンスも独り立ちをしS級に属していたが、時折ザックとバディを組み依頼をこなしていた。

トリシャと初めて出会ったのが、ザックと依頼完了の報告をしにギルドへと寄った時だった。

ヴィンスの様子を見たザックは嬉しそうに「一目惚れか?」とからかってきたのだが、まさにその言葉がストンと落ちて納得してしまったのだからしょうがない。


十八歳にして、遅い初恋だった。


既に独り立ちしているとはいえ、拠点も決めず世界各国を旅していたヴィンスだったが、トリシャのいるサウス国を拠点としあまり国の外に出る事をしなくなっていった。

ひとえにトリシャの傍にいる為に。

だが、彼女は神出鬼没で最近ではあまり顔を見る事がない。

彼女のあの姿は多分、本当ではない。ヴィンスはなんとなくだが確信していた。

もしかして、この国の貴族なのではないか・・・と。

だが、容姿を変える魔道具は事になっている。

もしそんな魔道具があって容姿を変えているとしても、気持ちは変わることは無いのだが。

初めて心を奪われた、ただ一人の人だから。


神出鬼没だった彼女が、ある日から突然、頻繁にギルドに顔を出すようになった。

しかも受ける依頼は、かなり難易度が高くそれに比例し報酬も高い。

何が彼女の環境を変えたのか。心配になったヴィンスは、トリシャの傍を離れないようにした。いつでも手助け出来るようにと。

ちょうどその頃からだ。ヴィンスに対する態度も軟化してきたのは。

元々彼女は、誰とも深入りしないよう、壁を作っていた。それはヴィンスに対しても。

だが、そんな中でも、何かあればヴィンスに頼ってくれる。同じく壁を作られても、彼女にとって自分の存在は他の者とは違うのだと自惚れていた。

二人が正式にバディを組む事が、その答えのようで舞い上がっていたのだが。

―――自分が全く知らない所で、彼女が土地を買ったとの情報。

結局、自惚れていただけなのか、それとも、何か試されているのか・・・そんな思いを抱きながら、彼女を問いただし今に至るのだ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る