第9話・大人の階段を上ったってこと?

「おはよう」


 朝、街の宿屋。

 俺はフィオナの部屋に入り、彼女にそう声をかけた。


「ん〜〜〜〜、もう朝?」


 フィオナが瞼を擦りながら、眠そうに声を発する。

 衣服は乱れ、見えちゃいけないところまで見えそうになっている。


「……って、どうしてノアが!? 今までどれだけ探しても見つからなかったのに……しかもこの状況って、もしかして!? やったあ……夢が叶った。私、ちゃんとノアにサービス出来てたかな?」

「訳の分からないことを言うな」


 そう言って、俺はフィオナの頭を小突く。


「相変わらず、お前は朝が弱いな。《光の勇者たち》を追放された俺を見つけて、フィオナから誘ってきたじゃないか。そして冒険者の再登録をして……ここの宿屋に泊まることになった」

「そういえば、そうだったわね。それから私たちは大人の階段を上り──」

「違う。宿屋では別々の部屋を取っただろ? 事実を捻じ曲げるな」


 嘆息する。


 ちなみに……昨日の夜は大変だった。

 フィオナが『金欠』を理由に、俺と同部屋になろうとしたのだ。


 しかし俺はともかく、フィオナは《極光》時代の莫大な貯金があり、金欠とは程遠い生活を送っている。

 俺も昨日の流星の巨猿(おおざる)討伐による報酬金を貰っていたので、宿屋に宿泊出来るだけのお金はある。

 そうなっては当然、男女が同じ部屋に泊まるわけにもいかない。


 妥協案として、フィオナが隣の部屋に泊まり、朝になったら俺が彼女を起こしにいく……という約束を強引に取り付けられたのだが、まさかたった一晩でその記憶がなくなっていると思わなかった。


「自分で起きられるようになれよ」

「だって、そうなったらノアが起こしにきてくれなくなるじゃない」

「……はあ。お前、俺がいない時はどうしてたんだよ」

「早起きする必要なんてなかったからね。冒険者って、そういう時間に縛られない職業じゃない?」

「それも場合によるだろうが」


 とはいえ、こうしてフィオナを起こしにくることは、そこまで嫌じゃない。


 こいつ、寝顔が可愛いんだ。

 ほっぺをぷにぷにしても起きないし、変な寝言を言ってて面白いこともある。

 そのことを俺だけが知っているので、一種の優越感みたいなものも抱いている。


 だが、それを彼女に伝えるのもなんだか癪なので、こうして黙っているというわけだ。


「取りあえず、今後の方針について話し合おう」


 昨日はバタバタしていて、落ち着いて話し合えなかったからな。


「まず俺たちのすることは、《極光》の他二人との合流……だったよな」

「そうね」


 フィオナの表情が真剣味を帯びる。


「最強を目指すにあたって、他の二人も欠かせないわ。ノアと私には劣るけど、あいつらも強いからね」

「劣るかどうかはともかく、俺たち四人が揃って《極光》だ。そういう意味では、まだ《極光》は再結成してないのかもしれないな」


 フィオナは自分の強さを誇りに思っている。

 何故か、俺のことだけは買ってくれてはいるが、ことごとく他人は足手まといだと切り捨てる。


 そんなフィオナが唯一、「足を引っ張らない程度には、動いてくれる」と評価するのが他二人──天城てんじょうの守護者と鏡槍きょうそうの姫だ。


 天城の守護者、ライラ。


 鏡槍の姫、メリッサ。


 共にS級冒険者であり、俺たち四人が揃ったらいくつかのを除いて、向かうところ敵なしである。


「ライラとは連絡が取れたんだよな?」

「うん。あの手鏡があったっからね」


 とフィオナはベッド脇にある小さなテーブルに置かれている、手鏡を指差す。


 それは一見、なんの変哲もない手鏡だ。

 しかし少し魔力を込めると、たちまち遠方にいる者とも会話することが出来る便利な魔導具へと様変わりする。


「あの子、ノアが《極光》に戻ってきてくれるって言ったら、すごく嬉しそうだったわよ。相変わらず、表情はあんまり変わってなかったけど」

「まあそれも、あいつらしいだろ。だが、ライラかあ……俺も久しぶりに話したかった」

「私もそうしてもらおうと思ったわよ。でもあの子、久しぶりにノアと話すんだから、こんな手鏡越しよりちゃんと会って話したい……って。ほんと、よく分かんないこだわりがあるみたい」


 フィオナはそう肩をすくめる。


「そんなわけで……すぐに私たちと合流するために、ここに向かっているはずよ」

「それはよかった。俺も早くライラと会いたい。いつぐらいに、この街に着くんだ?」

「あの子はちょっと離れたところにいてね。ちょっと時間はかかるけど、今日には着くみたいだわ」

「そうか。あいつにしては時間がかかるな」

「うん。まあ仕方ないわよね。国境も越えないといけないみたいだし」


 とフィオナが口にする。


「鏡槍(メリッサ)とは連絡が取れたか?」

「いや……やっぱり取れない。同じ手鏡は持っているはずだけど、捨てたのかしら?」

「捨てたんだろうな。そういう自分勝手なところも、あいつらしいっちゃあいつらしいが」

「こういうことがあるかもしれないから、絶対に持っとけって言ったのに……まあノアもいないのに、メリッサに言うことを聞かせるなんて端から無理だったのよ」


 呆れたような口調でフィオナは言う。


「じゃあ、メリッサを探しにいかないといけないな」

「そうね。でもその前にライラと合流しなくちゃ」

「行き違いになっても、また面倒臭いからな」


 今後の指針が決まった。


 まずは天城の守護者ライラと合流する。

 その後は、鏡槍の姫メリッサを探しにいく。


 あらためて、こうして他二人の名前が出てくると、あの黄金の日々を思い出して胸が躍るのであった。


「とにかく、ライラが戻ってくるまで特にすることはないわね。だったら、ノア。ここで一日中、爛れた関係を……ん?」


 なんだか聞き捨てならない言葉が聞こえた気がするが、フィオナが話を打ち切る。

 手鏡が震えて、通信の合図を知らせていたからだ。


「ライラかしら」

「そうかもしれないな」


 なら、早く出た方がいいだろう。

 フィオナが手鏡を持ち、そこに微量な魔力を込める。こうすることによって、相手との通信が開始されるのである。


 しかしそこに映し出された顔は、想像とは違っていたものだった。


「ギルド長?」


 手鏡にはカワウソ……じゃなかった。いや、なにも違わないが、ギルド長の顔が映し出されていた。


『早朝から、すまない。しかしどうしても絶刀のお嬢ちゃんたちに頼みたいことがあってな。黒滅も一緒か?』

「うん。ノアとは一晩、ここで一緒に寝てたわ」

「誤解されるようなことを言うな。……それでギルド長。俺たちに頼みたいことってなんだ?」


 そう続きを促すと、ギルド長は神妙な面持ちでこう話し始めた。


『うむ……昨日、《影の英雄団》のアジトが見つかったという話はしたな?』

「ああ。それで《光の勇者たち》がそこのアジトに侵入している……ってのも」

『そうじゃ。しかし《光の勇者たち》は任務に失敗した。《影の英雄団》に惨敗じゃよ。ボロボロの状態で、隣町のギルドに戻ってきたらしい。とはいえ、今は高級な魔導具や薬をふんだんに使って治療したため、命に別状ないんじゃが……』


 それを聞いても、俺はさほど驚かなかった。

 ある程度、予想出来ていたことだったからだ。


「じゃあ……《影の英雄団》に関する資料はなにも手に入れられなかったってわけ?」


 フィオナが質問すると、ギルド長は首を縦に振った。


『もう《影の英雄団》はアジトから逃げたかもしれぬ。じゃが、せっかく見つけたヤツらのアジトじゃ。このまま見過ごすわけにもいかん。そこで隣町のギルドは、この街【カマブーズ】に協力要請をしてきた』

「まあ妥当な判断でしょうね」

『しかし《光の勇者たち》が惨敗するほどの相手じゃ。《影の英雄団》がまだアジトに残っているというのは、確証ないものの……そんじょそこらのパーティーに、これを頼むわけにもいかない』

「回りくどい言い方をするな。そういう話を俺たちにするくらいだ。それを俺たちにやって欲しいということだろう?」

『……そうじゃ。昨日今日ということもあって、申し訳ないと思っている。しかしこれはお主ら《極光》にしか頼めないのじゃ。どうじゃ? 受けてくれるか?』

「フィオナはどう思う?」


 とはいえ、彼女の表情を見ていたら答えは分かりきったものだがな。

 何故なら、今の彼女はすぐにでも部屋を飛び出してしまいそうだったからだ。


「もちろん、受けるわよ。見過ごせないわ。ノアは?」

「《光の勇者たち》の尻拭いっていうのが、ちょっと引っかかるがな。とはいえ、俺もフィオナと同じ考えだ。それに……」


 彼女をこれ以上、一人にさせるわけにはいかない。


 俺がパーティーを抜けた後、彼女にはいっぱい寂しい思いをさせてしまったのだから。


「それに?」

「……いや、なんでもない。ギルド長、すぐに向かう。詳細な場所を教えてくれ」

『恩にきる。場所は……』


 俺たちはギルド長からいくつか言葉を交わし、通信を切った。


「よーっし! ノアと久しぶりに正式な依頼ね」


 武器屋前の戦いは突発的なものだったし、魔物の大量発生スタンピードの一件も依頼というより試験の一環だった。

 フィオナの嬉しそうな表情を見れただけでも、ここに帰ってこられて本当によかったと実感した。


「出来れば、ライラと合流してからにしたかったがな」

「仕方ないわね。こうしている間にも、《影の英雄団》がアジトからいなくなってしまうかもしれないんだから」

「だな。悠長なことはしてられない」

「そうとなれば急ぐわよ!」

「ちょ、ちょっと待て!」


 部屋を飛び出しそうになったフィオナの首根っこを掴む。


「……?」


 すると彼女は不思議そうな顔をして、首を傾げた。


「そ、そのままの姿で出ていくつもりか? 寝間着のままだぞ」


 実際、今のフィオナは肌の露出も多く、正直かなり刺激的だ。

 スレンダーな肉体に、真っ白な肌。白基調の寝間着も相まって、今の彼女はまるで現世に降臨した女神のようだった。

 俺はこういうフィオナの姿を見慣れているので良いが……他の男どもが今のフィオナを見たら、興奮で血管がはち切れるかもしれん。


「ノアと一緒に戦えるのが嬉しすぎて、つい忘れちゃってたわ。じゃあすぐに着替え……」

「こ、ここで着替えるな! 俺がいるんだぞ!? 俺は部屋から出ていくから……」

「えーっ、ノアには私の全てを見て欲しいのにー」

「痴女か? お前は痴女なのか!?」


 こういう久しぶりなやり取りも、今の俺には楽しかった。

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