第3話・黒滅の剣聖

 どうして駆け出したのかは分からない。


 もう二度と、俺は本気で戦えないと思っていた。


 しかし後ろにフィオナがいて──守るべき人たちがいて、俺の体は勝手に動いていた。


 フィオナと一緒なら、俺はもう一度黒滅こくめつを──。



「なんだ、てめえ!? てめえもオレのを奪いにきたのか?」



 男の前に対峙すると、彼は目を血張らせて声を荒らげた。


「商品……?」


 見ると、男の後ろに車輪の付いた大きな木箱がある。

 その木箱がゴソゴソッと音を立てて、上下左右に揺れている。

 中に生き物が入っているのか……? だとしたら、どうしてこの男はなにかを恐れているように、体を震わせているのだろうか。


「なんにせよ、こいつを取り押さえてから話を聞けばいいか」


 呟いて、俺は剣を構える。


「一応言っておくが、俺はお前の商品を奪おうとしていない。しかしお前の行動はあまりにも目に余りすぎる。今すぐ投降すれば、穏便に済ませてやってもいいが?」

「うるせえ! オレの商品を奪うなああああああ!」


 ダメだ。薬のせいで錯乱している。


 俺は溜め息を吐いて、彼の動きをまずは観察した。


「オレの邪魔をするヤツは、全員死んじまえええええええ!」


 男は持っていたハンマーを、俺に振り落とそうとする。

 これだけの巨大なハンマーを軽々と持ち上げるとは……先ほど、C級冒険者という声が聞こえてきたが、それに偽りはないらしい。


「死?」


 体勢を低くする。


 そして、ミスリル製の鎧なんかに当たったら、すぐに粉々になってしまいそうなオンボロ剣に魔力を込めた。


 剣の刀身が真っ黒に染め上がる。


「死などというものを、軽々しく口にするな。何人たりとも、俺の前で死者は許さぬ。それが俺自身であってもな」


 一閃。


 一筋の黒い閃光が、彼の体と武器を捉える。


 すると男の身を包んでいた鎧、そしてハンマーがバラバラに引き裂かれた。


「さっすがノア!」


 後ろからフィオナの喜びの声が聞こえる。


「ど、どうじで、オレの鎧とハンマーが……?」


 突然の出来事に、男は目を白黒させている。


「簡単な話だ。今、俺はお前を斬った」


 そう言って、剣を下ろす。


「バ、バカな!? そんなボロい剣で、ミスリル製の鎧が斬れるわけがねえ! いや、仮にどんな名刀であっても、そんな芸当を出来るはずが……」

「ノアなら出来るのよ」


 フィオナがまるで自分のことのように誇らしげに、男に対してこう言葉を紡ぐ。


「ノアの握った剣が黒滅こくめつになる。黒滅で斬れないものは、この世にない。あなたは世界最強の冒険者、黒滅の剣聖を相手にしてるのよ? ミスリルなんて、彼の前では紙屑同然だわ」

「そ、そんな……」


 男は呆然として、その場で膝を突いた。どうやらあまりの衝撃によって、正気を取り戻したようだ。



 俺の握った剣が黒滅となる──。



 フィオナの言っていることは事実だ。


 俺は生まれながらにして、光魔法に適正があった。

 光魔法は攻撃に防御、強化に支援といった様々なことが出来る万能の魔法である。

 俺が握る剣はそれがたとえオンボロでも、光魔法によってどんな名刀にも勝る剣となる。

 多少、耐久力の違いはあろうとも、仮にゴミ捨て場で拾った剣であっても、俺の光魔法で黒滅さいきょうにしてやろう。


「こんなのじゃ腕鳴らしにもならないわね。ノア、やっぱり《極光オーロラフォース》に……」


 とフィオナが言葉を続けようとした時であった。



 グギャアアアアアアア!



 木箱の中から、悲鳴にも似た鳴き声が聞こえた。

 それと同時、木箱を突き破って、中から大量のゴブリンが出てきたのだ。


「こいつの言う商品ってのは、ゴブリンのことだったのか?」


 ゴブリンは魔物だぞ?

 そんなものを商品として扱うなんて、どうかしている……!!


 街中での魔物の登場に、周囲の人々は逃げ惑う。彼ら・彼女らの瞳には恐怖が浮かんでいた。

 そして大量のゴブリンは俺に向かって、一斉に殺到した。


「た、大変だっ! 早く逃げちまわないと! ミスリル製の鎧を斬った時は驚いたが、いくらあの男でもあれだけのゴブリンを相手にするのは不可能……」


 と慌てる武器屋の主人の一方、


「だから大丈夫だってば」


 フィオナは涼しい顔をしていた。


 ゴブリンは向かってくる速度を緩めない。

 この場で一番強い人間を俺だと判断し、排除しようとしているのだろうか。


 だが。


「それは無謀だな」


 俺は剣を構えず、ただゴブリンが近付いてくる光景を眺めていた。


「お、おいっ! あの男はなにしてやがんだ!? どうして剣を構えない。このままじゃゴブリンに殺されちまう!」


 俺やフィオナ以上に、武器屋の主人が慌てふためていた。




 ──こんな話がある。


 黒の光に愛された最強の冒険者。

 彼が振るう剣は黒い閃光──黒滅となって、ありとあらゆるものを斬り裂く。


 彼に近付こうとしても、黒滅の嵐がそれを阻んだ。

 凡百な人間では、彼に触れることすら叶わない。


 人々はその最強の冒険者を、尊敬と畏怖を込めてこう言った。

 黒滅こくめつの剣聖──と。




 それがかつて、俺が呼ばれていた名前──。


「っっっっっっ!!」


 後ろで武器屋の主人が息を呑む音が聞こえた。

 だが、一匹目のゴブリンが俺に触れようかとした時、黒い嵐が吹き荒れた。


 黒の光は祝福でもあり、呪いでもあった。

 魔法を発動させている間は、俺に近付くものを全て黒滅が斬り裂く。

 これにより、俺はただ魔力を放出しているだけだというのに、ゴブリンが次から次へと斬り裂かれていく。


 死角や間合いなどといったものは、俺には不要だ。

 何故なら、黒滅が俺に近付くものを薙ぎ払ってくれるのだから。



「あ、あ、あれだけいたゴブリンが!?」



 それは一瞬で終わった。


 地面にはずたずたになったゴブリンの死体が大量に転がっている。

 一方の俺は傷一つ負っておらず、それどころか息切れすらもしていなかった。


「だから言ったでしょ?」


 フィオナが武器屋の主人にこう告げる。


黒滅ノアは誰にも負けないって」

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