最終章

さようなら、もう二度と逢えない貴方へ -1-


      ***


 カランコロンと息を切らした真白が現れる。紬が葵に倣ってプリンの一口目を頬張ったところだった。

 固くて濃厚なプリン。黒に近いほど濃い色のカラメルソースは、ババのオリジナルブレンドのエスプレッソがきいていて、甘くてほろ苦い。バニラビーンズのつぶつぶが混ざる黄色いプリンの上には、あっさりとした甘くない生クリームが綺麗にクネルされている。いっぺんに頬張れば、プリンの隙間を縫うように生クリームが絡み合って、葵が食べたがるわけだ、と紬も深く納得した。


 ――至福だ。

 隣には由衣がいて、紬の緩み切った顔を太陽の如く照らしている。

 まだ半分以上も残っているのに、葵は既に名残惜しそうで、小さく掬い取ったプリンをちびちびと食べている。真白は葵の隣に座ると、由衣を不思議そうに眺めた。

「初めまして、由衣孝彦と申します。探偵です」

「! 紬さんの上司ですね、初めまして宇衛真白です」


「真白さん。急に呼んでしまってすみませんでした。ご用事などは大丈夫でしたか?」

「全然。私も付いて行けばよかったって思ってたんです」

「それならよかった」

 由衣は足を組み替えると、にこりと人を安心させる微笑みを浮かべる。一瞬で由衣に絆された真白は呆けた顔で、口は半開きだった。

 紬は園寺からのメッセージを確認する。


「外、寒かったでしょ。ごめんね、ゆっくりしたいとは思うんだけど、もうすぐ園寺さん……警察の人がくるから、そしたら場所を移してやることがあるんだ」

「あ、加見さんと一緒にいるっていう人ですね。私たちも付いてっていいんですか」

「うん。環町に詳しい人に訊きたいことがあるから」

 紬はプリンを一気に食べきる。最後に生クリームでカラメルを掬い、ホットミルクをちびちびと飲んだ。



 メッセージ通り園寺と加見が店にやってきたのは、すっかりホットミルクも冷めてしまった頃だった。佐伯は交番で、幽霊に悩まされる人たちの対応に戻った、とメッセージに書いてあった。

「おう、由衣。変わんないな」

「久しぶり。和也は忙しそうだね。後ろの人は……神様?」

 紬は少しだけ身を固くする。加見は由衣に目を止めると「噂の探偵か」と呟いた。

「世話になる」

「恐縮です」


 列車から人が乗降できる駅は六つあり、等間隔に配置されている。そのどれも地名から拝借した駅名で、鉄道橋の上の駅は「環町入り口」。次の、丘の住宅街に近い駅は「病院前」。そのままぐるりと、「環町学校」「環川たまきがわ」「東の住宅街」「たまきビル」と続く。環ビルとはビル街で一番大きいビルで、待ち合わせの目印にされることが多いらしい。


 列車は左回りでしか動いていないらしく――結界を逆になぞることができないため――列車を使う人たちは大体「東の住宅街」から「環町学校」までを乗降する。環川駅は列車の間隔を一定に保つために駅として存在はするが、降りても何もない。だからもし結界の破綻が目に見えて分かるものであれば、誰も気付かないのは環川駅しかあり得ないと加見は言った。

「けど私たちは列車には乗らないよね。全然みんな歩ける距離だし。孤児院の子たちも列車に乗って学校には行かない」

 真白が言い切る。


「三十分に一本って、だったら歩いた方が早い時もあるし。駅までの行き来も考えると、ちょっとね」

「僕は使うこともあるよ。よく学校から列車に乗って、御霊とプリン食べに行ってた」

「あー、まあその距離なら、夏とかは乗るかも」

 列車はあまり重要な交通手段ではないらしい。紬たちは鉄道橋を上って、三十分に一本、あと数分でやってくるという列車を待っている。


 時刻は十七時を回ったところだ。日没から数分。環川駅に着く頃には逢魔が時と夜の狭間だ。

 環町入り口駅のホームは、真白の言う通り人がいない。同じ環状運転の山手線とはあまりにも捉え方の違う環列車。時間帯の問題もあるだろうが、ホームに人がいないのは新鮮だった。

 聞くところによると、列車も無人運転で、いるのはホームから転落する人がいないように見張っている警備員が一人。


 警備員は常に他の駅の担当者と、列車は時間通りに動いているか、無線で連絡を取り合っている。今のところ異常はなく、結界の破綻は列車の問題ではないと断定できた。

 遠くから列車の音がしてくる。「右から来ますよ」と警備員が教えてくれ、紬は列車を探した。薄暮の中、前照灯で闇を照らしながらゆっくりと進む列車が、ほどなくして見えてきた。


 ……少なくとも、紬の知っている電車の速度ではなかった。自転車と同じくらい。

 あの単行列車に乗って、また鉄道橋の上に戻ってきた時には、きっと事態は大きく変わっている。

 どきまぎする紬の不安をよそに、列車から三人ほど降りた。止まらない列車はそのまま、するりと紬の目の前まで滑る。


 観覧車に乗る要領だ。頭では理解していたが……観覧車よりは少しだけ速度の速い列車に、紬は踏鞴たたらを踏んだ。それに気付いた園寺に手を借りて、どうにか列車に乗り込む。真白と葵は慣れている様子だ。列車の中には先ほどの三人が降りた今、誰も乗っていなかった。

 駅から離れた列車は少しずつ速度を上げていく。

 紬は真白の隣に座った。向かいに座る葵と目が合ったので笑いかけると、ふっと目を逸らされる。葵は席の上で立膝になると、結界の違和感を探す。由衣と園寺は立ったまま、加見は運転席越しに線路を覗く。紬と真白も振り返って外を眺めた。


 紬の霊感は強いが、結界は目に見えない。結界の破綻箇所がもし目の前を通り過ぎても、それを視認できるかどうか……外を眺めながら、紬は不毛じゃないかと、悪戯に多い幽霊たちに辟易とする。列車と並走してどうするというのか。

 加見は神様の分身だが、実体としては人間に近しい。少しは神力もあるが、その全てには頼れない。大祭で紬を救った加見の神力は、占い婆やテルたちを救えなかった。テルたちを救った御霊は消失してしまったし、神の力とはいえ万能ではない。神力はそもそも贄の子から頂いた霊力が源であり、その力の大半は結界に費やされる。


 その結界が破綻して、幽霊が溢れた環町。神に修復するほどの余力がないのは火を見るより明らかだ。堕ち神も環町の内側で、次の悲劇を生み出そうと動いているのだろう。

 だからこそここで。列車の中で。環川駅に着く前に、霊力の補填をしなければならない。

 紬は由衣の隣に立った。

「由衣さん、」

「――そうだね。始めようか」


 由衣は咳払いをし、探偵の出で立ちでみんなを見回した。

「では、今から結界の修復をしましょうか」

 由衣は人が安心する笑みを浮かべて全員を見回す。

「え、でもそれって……」

 真白が素っ頓狂な声を上げたが、沈黙に響く自分の声に、語尾は弱弱しく消える。


 紬は真白に頷いて見せた。真白が心配しているのはトロッコ問題。結界の修復をするならまず初めに立ちふさがる壁だ。

「大丈夫、贄の子を見捨てはしない。由衣さんが贄の子をこちら側に呼び戻して、それで私が二人目の贄の子になる」

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