ゴミ溜めと無菌室 -5-


 大祭で被害にあったのは五人。真白の言っていた通り、占い婆と孤児院の子供たちだ。占い婆は天涯孤独の身らしく、紬は園寺の後に付いて孤児院へ向かった。

 トギは園寺から事件の詳しいあらましを聞いて顔を顰める。

「堕ち神? が人間を殺したって?」

「特殊な町なんすよ。トギさんは霊感ないんすもんね」

「あってたまるか鬱陶しい」


 霊感のない人に事件を信じてもらうのは難しいのでは、との紬の心配をよそに、トギは反論もせずに黙り込んだ。

 亡くなった四人とも、親のいない子たちらしい。けれど孤児院は家族の形だ。一晩で四人を亡くした孤児院は暗がりに沈んでいた。


 紬は一度来た時のことを思い出して、一階の隅の事務室に園寺たちを呼ぶ。インターホンを押すと、事務室からではなく隣の部屋から加見が出てきた。五歳くらいの女の子は左足にしがみつき、男の子は腕にしがみついている。泣き腫らした瞳と、部屋の奥から聞こえてくる啜り泣き。

 加見は寝不足な顔をして「ああ、」と事態を察する。園寺とトギは潔く頭を下げて加見に謝った。紬も同じように頭を下げる。


「分かってる。あんたらのせいじゃない、謝罪はいらない」

 言って、加見は顔を曇らせる。

「謝るのは俺の方だ。力が足りずに申し訳ない」

 幾度も聞いた防災無線がまた流れている。園寺は「それで、」と話を切り出した。

「神様として、これからどのような対策をされるんですか」

「それなんだが……」

 加見は顔を曇らせる。


「まずは結界が破綻した箇所を調べに、逢魔が時に列車に乗ろうと思う」

 逢魔が時。神界と環町の境目が曖昧になる時刻。その時間なら解れた個所が視認しやすい、と加見は付け足した。

「今の環町は霊気が霧のように満ちていて、視界が利かない。それに分身を飛ばせなくなるほど大元の神は憔悴している。正直、結界を直す力すら残ってないんだが……」

 加見は言いづらそうに言葉を濁す。けれどその場にいる全員が、環町を救う方法を、そしてトロッコ問題に気付いてしまった。


「! 贄の子か」

 園寺は難しい顔をして独り言ちる。

 一年を経っても名前を呼ばれなかった贄の子は神界に囚われる。なぜ期間が一年なのか。毎年贄の子は新しい人が呼ばれるからではないだろうか。新しい霊力と古い贄の子。憶測でしかないが、加見が言わんとしていることは、つまり。

「一人を犠牲にして環町を護るってこと……ですか?」


「……二回も連続して霊力を取れば、人間は命を保てない。贄の子は一人しか神界に招けず、今誰がその場にいるのか誰も知らない」

「その誰かを助けるためには」

 紬は思わず声が震えて言葉を切る。園寺は察して強く頷いた。

「贄の子が誰なのかを推理して、名前を呼ばなきゃならない。探偵の腕の見せ所だな」


「もしかして……由衣さんを呼んだのって、こうなることを見越してたんですか?」

「いや、別件で呼んだだけ」

 園寺はしれっとそっぽを向く。

 大祭の夜に前回の本厄でなぜ堕ち神が手を引いたのか――園寺はある程度答えを予測していたのだろう。行きつく先は同じだ。


 誰も思い出せない。

 誰にも気付かれていない。


 環町に来たばかりの紬たちが推理するのは、難しいかもしれないが。

「贄の子の話、葵君にも聞いてみます。御霊と一緒にいた葵君なら、きっと私たちの知らないことを知ってるはずです」

 紬は言い切って、加見の諦念の瞳に反発した。

「まだ諦めないでください。あと少ししたら探偵の由衣さんが来てくれるんですから。きっと環町の謎を解き明かしてくれますよ!」


 贄の子は誰なのか。

 堕ち神から環町を救う方法は?

 年が明けてすぐの交通事故、隙を突かれた香々美の不審死、占い婆に憑依した堕ち神の急襲、大祭の焼死事件。環町の結界は解れ、幽霊が跋扈する、かつての姿からは想像もつかない現状。何十年と環町を護ってきた神様は、加見は、やるせなくしょげている。


 だが由衣は不可能を可能にする男だ。紬も由衣に救われている。そんな由衣なら海の底に沈んでいく環町のことも拾い上げてくれるだろう。

「トギさん、わざわざありがとうございました、もう大丈夫す。別件も放り出したままなんすよね?」

「……分かってんだろうな、また犠牲者出したらお前、謝るだけじゃ済まされんぞ」


 恫喝のように響くトギの声。けれど紬も色眼鏡を付ければ多少はトギの言いたいことを理解できるようになった。つまり、もしもトギが今ここで帰ってしまったら、また園寺だけが責任を取らなければならなくなる。トギ自身は環町に残って園寺の負担を軽くするつもりだった、体を張って頑張っている園寺の力になりたかった、と。

 ……そこまでは言ってないか?

 紬は首を傾げて園寺を見る。園寺は軽い敬礼をしてトギへの返事とした。

 正午が近付いていた。紬は園寺に断ると、鉄道橋近くにあるというババへ向かった。


 ババの正式な表記は『喫茶店BABA』だ。二度目の訪問、紬は一人で道に迷わないか不安だったが、迷うこともなく簡単に見つけられた。年季の入った立て看板にレトロな文字が踊っている。ババの入っている建物自体は改築したのか新しい。クリアなガラス張りの二階から上は、見上げてしまえば自殺者と目が合うけれど、ババの周りだけは温かく安心する雰囲気だ。まったりとした時間軸の中心で居心地がよさそう。

 半円形にステンドグラスがはめ込まれた扉を開けると、カランコロンと少し低めの鈴が鳴る。暖房で温められた空気がコーヒーの香りを纏って紬の全身を包み込み、濃い豆の香りを胸いっぱいに吸った。


 店内には七十を超えていそうな老爺がグラスを拭いていた。ワックスで灰色の髪を撫で、ベストを着たワイシャツの裾は七分丈まで捲り、自然とマスターと呼びたくなる出で立ち。革張りのソファ席とカウンター席があり、計算された薄暗さは布団の中のように居心地がいい。店の奥のテーブルでは幽霊がぼんやりと座っている。マスターの心遣いかコーヒーの入ったマグカップが置いてあり、そんなだからか幽霊も穏やかな顔だ。紬まで結界の中に再び戻ったような安心感に気が抜けた。

「いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ」


 マスターの渋い声がまたいい。紬は後から葵も来ると告げてカウンターの席に座った。

「会うのは二度目ですね」

「遠香紬といいます。都内の探偵事務所に働いてて、環町には仕事をしに来たんです」

「そうですか、お疲れ様です。こんなになって大変でしょう。それとも慣れているのかな」

 幽霊のことだろう。


「今まで抑えられてた分、幽霊も影が濃くて大変ですよね。マスターはなんだか平気そうですけど」

「私は十年前に引っ越して来たんですよ。懐かしいですね、この空気」

 穏やかな人だ。一緒にいると紬まで鷹揚な気分になれて居心地がいい。

 紬は他愛もない話をしながら葵を待った。時刻は十二時になったばかり。幽霊を知らない葵はババに来るのに難航しているのか、それなら家まで迎えに行けばよかったと思いながら、紬は言葉をとぎらせる。


「葵君、大丈夫かな……」

「確かに彼は約束の時間に遅れる子ではないですね。何かが遭ったのかもしれない」

「やっぱりそう思います? 探してこようかな……もしすれ違いで葵君がここに来たら、連絡するよう言っておいてもらえますか?」

「承りました。紬さんも、お気をつけて」

 もしかしたら、の悪い想像に急かされて、紬は足早にババを出る。真白のように怖くて動けなくて、どこかで蹲っているかもしれない。

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