ゴミ溜めと無菌室 -4-


 そして朝。

 紬は腹に絡みつく腕の重さに目が覚めた。一瞬、園寺の寝相が悪いのかとも思ったが、すぐに違うと脳が覚醒した。蛇のように絡みついているのだ。最悪な目覚めである。

 紬がどうやって起きようか思案していると、コーヒーカップを片手に、園寺が紬の布団を一気に剥いだ。瞬間、腹の重みが消える。部屋にはコーヒーのいい匂いが漂っていた。

「おはよ。大丈夫?」


「……助かりました。おはようございます」

 隣を見ると園寺の布団は畳まれている。園寺はコーヒーを飲みながら優雅に広縁で寛いでおり、大浴場に行ってきたのか髪が少し濡れたままだ。時計は朝食までまだ一時間ある部分を指している。完璧な旅館の過ごし方。紬は少しだけ自分を恥じてさっさと身支度をした。着替え終わる頃には園寺が紬の分のホットミルクを用意してくれていた。

「え、牛乳どこにあったんですか?」


「フロントに電話したら持ってきてくれた」

「へー……ありがとうございます」

 紬は何泊もしているのに、園寺の方が旅館に精通している。程よく温かいホットミルクを飲むと、紬の胸にじわりと喜びが広がった。

 由衣に会える。やっと。

 紬は嬉しくて嬉しくて、ふふふと笑みを零す。


 やはり紬は由衣がいればどこまでも頑張れるのだ。由衣の存在が紬の世界を輝かせている。会えるというだけでこんなに嬉しいのだから。

 朝食はどうなることかと思ったけれど、ロビーで寝泊まりした人たちと一緒に朝食会場で食べることになった。みんな寝不足な顔で猫背になっている中、園寺のすらりと優雅な姿が一際目立っていた。


 朝食を食べ終えた紬は園寺に付いていく。どちらにせよ昼までは暇だし、探偵として由衣がやってくるのなら紬も助手の役目を全うしなければならない。園寺は「トギさんと約束してる」と憂鬱な片鱗をちらつかせながら交番へ向かった。向かう途中、園寺は紬に説明をした。

「環町には警察署がないんだ。警察としては幽霊を正式に認めるわけにもいかなくてね。けど、それだと霊感の有無で人選せざるを得ない環町では難儀するだろ? 任命されて、入れませんでした、じゃ仕事にならねえし」


「駐在の佐伯さんは人選されてるんですよね?」

「あいつは霊感があるって普段から公言してたらしいから、ちょうどいい駒にされたな。まあ、ここでの生活気に入ってるならウィンウィンじゃん」

「今日はトギさんの他に誰か来るんですか?」

 園寺は覚悟を決めるのに一拍を置いて言った。


「いや。昨日俺がいるのに五人亡くなったって聞いて、任せきりに出来なくなったんだろうなー……あーあ、こっぴどく怒られそう」

「そのトギさんって、園寺さんより偉いんですか?」

「管理官って地位自体は同じだけど。年齢も勤続年数も違うし、敬意を払う相手だよ」

 紬は「ふうん」と頷いたが、園寺の憂鬱が少し移って閉口した。


 環町の交番は丘の上にある。宇衛の家の近くだ。もうすっかり覚えた道のりだが、景色はさっぱり違っていた。生きている人間よりも幽霊の数の方が多い。塀から頭が突き出していたり、地面に黒い影だけが広がっていたり。宿場町の風情が気に入っていた通りなんかは、幽霊たちも気に入ってしまったのか、悲惨な有様だった。いつの時代の幽霊か、胸から刀が突き出した散切り頭の武士が歩いている。あーあ、と落胆した紬を園寺が揶揄う。


 丘の上の交番に着くと、巨体の男が佐伯と一緒にいた。

「トギさん、わざわざすいません」

 紬が思っていたよりも軽い口調で園寺がトギに話しかける。ダルマのような顔をしているトギは、強い眼力で園寺と紬を見た。

「部外者連れてくんな、園寺」

「関係者っすよ。俺が手伝いを依頼してる由衣探偵事務所の遠香紬ちゃん」


「あ……初めまして」

 紬はどもりながらも挨拶をする。自分よりも大きくて強そうな相手に対しては萎縮してしまう。トギはケッと毒付く。

「緊張感がねぇなぁ。昨日何が遭ったか分かってんのか?」

 随分辛い言い方だ。佐伯も紬と同じく萎縮してしまっている。狭い交番の中で逃げ場もなく、紬は身を固くして火の粉が降りかからないかと危惧するしかない。が、一心に避難を受けている園寺は飄々と怒りの矛先を交わしていた。


「どうにか止められるかと思ってたんですけど、堕ち神のが一枚上手でした。すみません、次はヘマしません」

「人命がかかってんだ、ヘラヘラしてんなよ。ったく、何でこんなのがキャリアなんだよ」

 園寺の態度は損だ。紬は誰よりも環町を憂い、先手を打って被害を防ごうと奔走していた園寺を知っている。何でも卒なくこなすから努力が見えにくいが、誰だって努力なしでは園寺の今の地位に辿り着けはしない。相応の努力と実力が身を結んだ結果が今だ。それはトギも分かっているのだろう。だからこそ、自分は手を打ちすらしなかった罪悪感で園寺に当たっている。


 紬は唇を尖らせて言葉を漏らした。

「何もしなかったくせに」

「……何?」

 トギが紬の前に立ちはだかる。

「おい、それ俺に言ってんのか?」

「自分の胸に聞いてください」


 紬がぼそぼそと言い返すと、トギのこめかみに、ミシ、と青筋が浮く。園寺のあちゃー、という顔がさらにトギを助長する。

「……〜いいか、俺は別件で忙しかったんだ。環町は園寺に任せていた。昨日の被害者たちはみんな園寺のせいで死んだんだ。俺を非難するなんてお門違いだぞ」

「園寺さんのせいじゃありません! 何も知らないくせに、自分を正当化するためだけに人を非難するなんて、それでも園寺さんと同じ管理官ですか!?」


「紬ちゃん、いいから。今から四人が住んでた孤児院に謝りに行くのに、トギさんも同行してくれんだ。ちょっと口が悪いだけの立派な管理官だよ」

「ちょっとどころじゃないでしょう!? 口が悪いのを免罪符にして言いたい放題してるなら、それは性格が悪いからです!」

「言い過ぎ言い過ぎ。落ち着いて」

 園寺がなぜトギを庇うのか。カッカと燃えている紬は園寺に交番の外に連れ出されてやっと息を整えた。園寺は額に手を当てて口をへの字に曲げる。


「トギさんいい人だから、ほんと勘違いだから、落ち着いて」

「あれのどこがいい人なんですか」

「口が悪いって言ったろ。トギさんが別件で忙しかったのは本当だし、環町を任せられてた俺がしくじったんだから責任は俺にある。なのにトギさんはわざわざ時間を割いて、一緒に謝りに行ってくれるんだ」

「……それが本当なら、本当に口が悪いですね」


「ずっとそう言ってるじゃん」

 園寺はハー、と息を吐くと曇天を仰いだ。

「誤解を受けやすい人でさ。口が悪いのは……まあ、直して欲しいとは思ってるけど」

「直すべきです」

 いくら言っていることが真実でも、言葉には力がある。伝え方一つで色を変えるのが言葉だ。選ぶ単語に人間性は顕現する。いくら正しい意思を持って発した言葉でも、人を傷付ける言葉かどうか吟味もせずに、簡単に単語を選んではいけない。鋭い言葉は刃となり人を傷つける。それは正義ではない。


 トギは園寺以上に損をしている。紬は申し訳ないとは思いつつも、このままなら好きにはなれないと感じていた。が、それは紬の感情で、誤解があったのなら態度を改めるべきである。紬は室内に入るとトギに謝り、佐伯のクラゲのような顔を落とし所とした。

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