ゴミ溜めと無菌室 -3-
「あ、はい……」
とは言いつつ、この数の幽霊を無視はできない。どうしたものかと悩んでいると、部屋の中央にいた子供がぬらりと立ち上がり、とぐろを巻く眼でこちらを見る。
おカア、さん――?
ヒッと声を上げたのは女将だ。女将は早口で後で布団を持ってくると言い、逃げるように部屋から出て行った。その後を子供がふらふらと追いかけていく。紬は廊下を覗いて珍妙な追いかけっこを眺め、部屋にいる園寺に声をかける。
「お札ってもう持ってないんですか?」
あの子供は女将に執着しているのではなく、手当たり次第に人を追いかける。構わなければ無害なタイプだから大丈夫だ。
「残念だけど。ま、あの子供どいて布団敷くスペースはできたし、いいんじゃね?」
「そんな簡単な……」
幽霊に睨まれながらでも眠れる、図太い神経をしているのは園寺だけだ。園寺は広縁の椅子に臆面もなく座ると、まるで幽霊などいないかのようにくつろぎ、電話をし始めた。紬はいつまでも突っ立っているのが馬鹿らしくなって園寺の向かいに座る。障子に張り付く幽霊の隣だが、気丈なふりをしていたら女の方から薄れて消えた。
園寺が電話をしている相手は、恐らく駐在の佐伯だ。大祭では合計五人が亡くなっている。警察はてんやわんやだ。
紬はポットからお湯を注ぎ煎茶を淹れると、真白にもらったスナック菓子を開けて机の真ん中に置いた。すかさず園寺の手が伸びる。紬は煎茶を飲んで背もたれに寄りかかった。
明日から、百八十度違う環町の朝が来る。
由衣に連絡ができれば、すぐにでも来てほしいと頼み込めるのに……。
携帯を新しくするくらい一日とかからずできることだ。それなのに連絡が来ないのが由衣らしくなく、漠然とした不安が紬の胸を燻る。
暗転したままの携帯電話。その液晶にふっと由衣の名前が浮かぶのを、ずっと願っている。
煎茶の中に、はらりと紬のものではない、長い髪の毛が落ちる。思わずしかめっ面をした紬は、嫌なものを見る前に目を閉じた。
刹那、携帯の着信音が鳴り響いた。液晶画面を見た紬は、「ひゃ」と悲鳴とも歓声ともつかぬ声が漏れた。
「由衣さん!」
通話ボタンを押して叫ぶ。目の前にいる幽霊のことなど頭から吹き飛んでいた。
『大丈夫かい?』
耳に馴染む由衣の声が、凝っていた紬を内側からほぐした。待ち焦がれた声。由衣の言葉。感無量で涙が出てきた。鼻を啜り、紬は携帯を額に当てて幸せに浸った。
「~っよかった……」
『すまない、紬君。待たせてしまったね、変わりはないかい?』
何も変わらない、穏やかな由衣の声に浸る。紬の周りでは変わったことばかりだ。
「由衣さん、環町の結界が壊れたみたいなんです」
『それは僥倖だね。私も環町に入れるのかな?』
「! はい、来てください。それまで頑張ります」
会える。それだけで力が漲る。
電話を終えた園寺が考え事をしている顔で紬を眺めていたので、紬は通話をスピーカーに切り替える。園寺は大きく息を吸うと一息に言った。
「由衣、こっちに来たら話がある。探偵のお前だ、もう気付いてるかもしれないが」
『? 分かった』
園寺とは裏腹に、あまりよく分かっていなさそうな由衣の声は朗らかだ。園寺の、重責を背負う警察の瞳は、何かを確信している。紬は由衣と十三時にババで待ち合わせの約束をした。
今回は探偵が推理をする場面はなさそうだけど、と考えて、紬ははたと思い出す。
――贄の子。
行方不明のまま、誰にも思い出してもらえない環町の誰か。
そうだ、大祭で園寺が加見に詰め寄っていた、あの話。途中で切り上げられたまま、あやふやになっていた。
――人間は選択肢を与えられたら、選ばずにはいられないだろう?
加見の諦念の呟きが脳内で反芻される。
環町に降りかかる災いを、堕ち神からの攻撃を、退ける方法があるのだ。それが提示されれば最後、園寺は決断をしなければならない。神が忌避する選択を。
ぞくり、と背筋が震えた。
紬はいつの間にか切れている通話に気付く。由衣は勝手に切らないので、犯人は園寺だ。紬の視線に気づいた園寺は立ち上がると「風呂に入ってくる」と浴衣を漁り始めた。
「大浴場に行くんですか? 勇気ありますね」
「今なら貸し切りだぜ?」
「幽霊と混浴ですよ」
「そんなもん、いないのと一緒だろ」
「強いなあ……」
紬は感嘆のため息を漏らして自分はどうしようと考える。さすがに園寺ほど割り切れない。が、大浴場の方が広い分逃げ場があると判断し、紬も園寺と一緒に行くことにした。
そして紬の選択は当たりだった。
暖簾を潜って一人になるが、大浴場は騒々しい。けたたましい子供の泣き声と念仏を唱える老婆、いつまでも髪を乾かしている女性。ない、ない、と何かを探してうろついている太った女。生きている人間から逸脱しない範囲の行動をする幽霊なら、ちっとも怖くない。
そして風呂上りに園寺と待ち合わせて部屋に戻り、好奇心から部屋の浴室をそっと覗いた。そこでは血の色の浴槽で瘦躯の男性が溺死していた。もちろん、いつまでも死を引きずる幽霊である。
一組の布団は大浴場に行っている間に届いていた。並べて敷かれており、丁寧にも、畳まずに放置していた紬の布団まで綺麗に敷き直してあった。そこはかとなく恥ずかしいが、後の祭りだ。
早々に眠ってしまうか、一晩寝ずに過ごすか――考えるまでもない。明日は由衣に久しぶりに会えるのだし、葵とババのプリンを食べる約束もしている。寝不足ではいられない。
園寺よりも先に寝ようと紬は布団を被った。
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