大祭の環神楽 -7-
宇衛家はみんな責任感が強い。祝詞奏上が始まると、舞台上の葵は誰よりも堂々としていた。綿々と遵守されてきた神様との盟約を、葵が今一度読み上げる。
「――掛けまくも畏き、
静かに、よく通る落ち着いた声。神様への感謝を述べるのを背に聞きながら、真白は鈴から玉串に持ち帰ると再び舞台に立った。葵の声に合わせて玉串の奉納をし、環町の代表として、代々受け継がれてきた巫女として、神様への忠誠を誓い、葵のつま先に口寄せるのだ。
「――大前に
宇衛の男子は御霊を内に招いた半神の身体を持つ。即ち神様への言付け人、巫女が相対するのは葵の向こう側にいる神様だ。
今は、御霊はいないけれど……。
加見も見ていない。本厄なのに意図せず形骸化してしまった儀式に一抹の不安を抱きながら、真白は下手側の袖へ戻る。葵の祝詞は真白の心配をよそに、一糸もぶれず続いている。
「堕つ神よ、
時刻は零時五十分。
戻ってきた葵は少しだけ吹っ切れた顔をしていた。
「お疲れ」
真白が声をかけると葵は小さく頷いて見せた。大祭も残すは焚火の点火のみ。宇衛のお役目は全うした。真白は巫女衣装を畳んで普段着に着替えると、葵を引っ張って焚火の近くまで走った。
「! あ、健吾さん……と、樹さん」
大きな体躯ですぐに分かった。真白の声で振り返った健吾は、屋台で買い込んだ食べ物をこれでもかと頬張っていて、目だけで真白に挨拶を返す。仕様がないなと笑った樹はひらりと手を振った。
「お疲れさん。宇衛はすげぇな」
「ありがとう! 綺麗だったでしょ?」
「おう」
神主の声が拡声機から流れる。いよいよ点火が始まるらしい。去年の壮観な火柱を思い出したら俄然目が離せない。
三、二、一、とカウントダウンを叫び、火柱がゴウと燃え上がった。
そのまま焚火から千切れた火は、首を擡げて火龍となり、天を駆け回りそうな勢いだ。赤々と燃え盛る熱気が頬を嬲り、真白は思わずたじろぎそうになる。強く、美しく、夜を裂く光の切れ目。
その中に、白い何かを見た気がした。
? あれ、……。
気のせいかもしれない。
真白は目を凝らしながらも背筋を這う蛇を想像して身震いした。
「どうしたの」
目ざとい葵が真白の顔色を窺う。
「今、なんか……」
火龍が大きく波打ち、白い腹を見せたのか――可笑しそうに身をくねらせ、鱗が赤い弧を描いたのか。
……ああ、あれは、
「――堕ち神だ」
絶望的な響きに葵が身を強張らせた。健吾と樹も腰をかがめて火の中に目を凝らす。同時に、何人かの叫ぶ声がした。
「「「足が!」」」
その悲鳴には聞き覚えがあった。真っ先に反応した樹が、人ごみをかき分けてテルを探す。
「テルくん――」
堕ち神の仕業だ。
浅くなる呼吸を落ち着けて、真白は焚火へ駆ける。後を付いてきた葵が何事かと問う視線を送ってくるが、丁寧に説明している余裕はなかった。
何人かの悲鳴。テルだけではない、被害者の中には。
「占い婆!」
接続だ。マーキングされていた。未遂で終わったのではない。
占い婆は必死に何事かを唱え、焚火へ向かう自身の歩みを止めようと脂汗を浮かべていた。
御霊もいない。加見もいない。堕ち神に対抗できる人がいない。
焦りは視野を狭める。葵が占い婆に飛びついて立ち止まらせようとする。肩を掴んで、腕を引いて、腰に手を回して。顔が赤くなるほど引っ張っても、占い婆の力ではない、すさまじい引力を止めることはできなかった。葵の力一つではびくともしない。真白も飛びついたが、歩みは寸分もまごつかず、真っ直ぐと焚火を目指している。
「駄目だ、このままじゃ……!」
炎の中に飛び込んでしまう。
最悪な想像を前に、けれど真白たちには立ち向かう術がなかった。
ずり、ずり、と引きずられる。辺りを見渡せば、逃げ惑う人たちとは逆、焚火に向かって嫌々歩かされている人が三人。テルと、肝試しの時に黒い靄に囚われたテルの友達。やはりそうだ。でも、紬がいない。
なんで……?
思考がうまく働かない。今までで一番強い力で占い婆を引っ張っても、後退させられる隙は皆無に等しかった。
火の粉が視界を横切る。焚火は目と鼻の先まで迫る。占い婆にしがみつく手が熱さに悲鳴を上げる。
まだだ、まだ……!
歯を食いしばって占い婆の名前を呼んだ。念事を唱えていた占い婆の目じりに恐怖が滲む。
「――放しなさい」
放念した占い婆が、そっと真白と葵の手の平を撫でた。
「でも!」
見殺しにはしたくない。葵と目を合わせるが、考えている暇もなく、炎の呼気が全身を炙る。息をするのも、目を開いているのも苦しい。
けれど目の前に広げられた死の苦痛に、体の表面を撫でられただけで、痛みに手が緩み、遅れてやってきた両親に力いっぱい引き戻された。尻もちをついて、遅れて全身が恐怖に震える。
見開いた視界の先で。火柱が唸りをあげて。
占い婆は炎に包まれ、苦痛に呻きながら焼かれていった。見上げれば、占い婆を焼いた火龍が、笑う三日月の下で踊っていた。
ガタガタと止まらない震えが真白を揺さぶる。
死ぬのが怖かった。
もう二度とこんな思いはしたくなかった。
視界の先で、同じ絶望が立て続けに四度。泣き叫ぶテルの声が、無残にも炎に飲み込まれる。止まれない恐怖に打ちひしがれたテルの友人たちも、流れるように炎の中に突き落とされる。
この日のために準備された焚火は、簡単な消火活動では消せない。大人たちは頼りないホースで水をかけたり、不燃布で火を叩いたりしている。しかし願い及ばず、炎の勢いは弱まるどころか、人間を呑み込んでさらに高く昇る。
樹と健吾は地面に手をついて、怒りながら泣いていた。
「クソッ……堕ち神め、一生恨んでやる……っ」
真白はその敵愾心に気圧されて、自分のことではないのに恐ろしくなる。樹の恨みは炎のようで、近付けば火傷する怒りだった。
――こんな時に、神様は、加見は、どこで何をしているのだ。
先刻まで儀式に参列していた。大祭に参加していた。今だって近くにいるはず。環神楽も祝詞奏上も、神様に捧げる人間の忠誠心だ。それを踏みにじった。
飲み込まれるな、と自分に言い聞かせても無駄だった。猜疑心は隙となる。分かっていても、神様が約束を反故にした。その事実が、ただただ信じられなかった。
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