大祭の環神楽 -6-


      ***


「まじであの厄除けの札の効果すげぇよな。紬ちゃんに会いに来るのに必須アイテムじゃん」

「人を悪霊みたいに言うのやめてくださいよ」

「ウケる」

 頭の包帯は痛々しいが、夕方には退院だ。園寺は片手で携帯を操作しながら、プラスチックのスプーンを咥えている。プリンはとうに食べきっているが、まだ捨てる気はないらしい。紬は試しに自分用に買ったプリンを渡してみる。園寺は何の疑いもなく、あっという間に平らげてしまった。


 環町の病院は丘とビル街の真ん中ほどにあり、立派な四階建ての建物だった。あの大祭の日、園寺はなぜ堕ち神に見逃されたのか。紬はまだスプーンを咥えている園寺にせっついて説明を求めた。

「由衣にもらったんだよ」

 園寺がまた神社の裏に行くとあって、心配した由衣がくれたのだという。園寺は「持つべきものは友だな」と宣っているが、紬は久々に由衣の動向が知れて胸がじんわりと温かくなった。


 あの夜。厄除けの札は堕ち神にも効果てきめんだったとはいえ、岩に頭をぶつけた園寺は救急車で運ばれた。幸運にも怪我は何ともなかったが、大事をとって一日だけ入院することとなった園寺の病室に、紬は看護婦に無理を言って一晩泊まり込んだのだ。朝病室を出る時には園寺はまだ寝ていたが、午後の面会時間にはけろっとしていた。

 スーパーで山ほど買ったお見舞いの食べ物は既に半分以上ない。学校帰りの真白を呼び出したはいいが、真白は大祭の心の傷が癒えないのか、病室の隅で縮こまっている。見兼ねて、紬は本題に移る。


「真白ちゃん、あの広場で何が起きたのか教えてくれる?」

 あの夜、赤いサイレンをけたたましく鳴らして現れた救急車は四台。救急隊員に運ばれる園寺の後を追って、紬は広場を通った。焚火は消化され、そこに見えたのは――。

「……零時から三十分くらい環神楽があって、その後に葵と祝詞奏上が二十分、焚火は夜中の一時に火をつけることになってました」


 真白は感情を抑えた声でプログラムを読み上げる。一拍の沈黙の後、膝を抱えると静かに泣きながら吐露した。


      ***


 真白は千早に腕を通し、神楽鈴を胸に抱く。頭の上でしゃなりと揺れる金色の天冠はずっしりと重たく、カイロで温めていた足は緊張に汗ばんだ。神楽殿の上手側の袖で、真白は大きく息を吸う。

 環神楽。子供の憧憬の的で、大祭の雅やかな目玉。高揚感に満たされ、逸る鼓動すら心地いい。

 秒針が零時を通り過ぎる。


 真白は神楽殿の中央へ歩んだ。鈴を揺らさないよう慎重に。足袋は足に馴染んでいる。

 手を空に翳す。ピンと張りつめた空気が神楽殿の外まで広がるのを感じ、続いて鈴を鳴らした。

 提灯に照らされた夜が、本厄の大祭を彩っている。


 そして、中心にいるのは私だ。


 得も言われぬ満足感に緊張も飛び、ただ環神楽を踊ることのできる喜びに浸った。体は息をするように迷いなく舞う。体を俯瞰する心の浮遊感。誇らしそうな宇衛の両親も、爪をいじっている葵も。おしゃべりの合間にチラチラと神楽を見る学校の同級生も、腕を組んで泰然と見守っている樹も。みんな見えた。

 けれどそこに、紬の姿はなかった。加見も見当たらず、少しだけ落胆する。

 見に来るって言ったのに……。


 環神楽は他の地域の神楽とは違い、祝詞奏上の前に奉納する。というのも環神楽は波乱万丈な歴史を歩んだ環町を一から辿る舞であり、祝詞奏上では神様との盟約を守り続ける意思を見せるためのものだからだ。環町に成らざるを得なかった厄災から、神様に守られた平和な町へ、その軌跡を真白は演じる。

 鈴を六回鳴らして環を描き、堕ち神の脅威を祓う結界が完成する。年に一度の贄の子と引き換えに、そうして環町は神様の庇護を得る――。


 最後にリン、と鈴を鳴らすと、真白のよく知る温かい拍手が広場を包んだ。真白は上がる息をどうにか抑え込み下手側へ退場する。

「……っはあ! やった」

 巫女衣装を雑に扱うことはできないので、その場に座り込みたいのをぐっと我慢し、真白は壁に背を預ける。舞台の袖でずっと見ていた真白の母は、真白と同じくらい安心した声色で労った。


「お疲れ様。とても上手だった」

「よかったー、ああ、まだドキドキする」

「すぐに祝詞奏上だから、水でも飲みなさい。……葵はどこかしら」

「あ、さっき上手側の袖から引っ込んでくの見たよ」


 真白は受け取ったペットボトルの水をぐいと飲み干す。葵は魂の友を喪ったのだ。死に別れる辛さは真白にだって分かる。そっとしておいてあげたいのは山々だが、地主の息子の役目は果たさなければ。たったの二十分だ。

 母が葵を連れてきた。伏せた目からは未だに寂しさが滲んで見えたが、真白は気付かないふりをして背を叩いた。

「準備はいい?」

「……うん」

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