大祭の環神楽 -5-
毒々しい赤い花と、豪奢な金糸――堕ち神に、最後に貢がれた着物だ。そして頭があるはずの場所には黒い靄が渦巻いていて、紅い瞳が二つ、異様にはっきりと見て取れた。堕ち神は武人を見ている。武人は眦を決するが、悲しきかな、敵が見えない。
「このっ……クソ! お前のせいで!」
武人は拳を震わせて声涙倶に下る。
「楽しみにしてたんだぞ! 毎年、ここにくれば解放される、また一年頑張ろうって思えるって! 今年だって僕を心配しながら出かけてって……っ! なんで香々美なんだ! 違うだろう!」
しゃくりあげながら、手足をがむしゃらに振るって、香々美の仇を討とうとしていた。紅い瞳に感情はない。明後日の方向で暴れる武人を抑え込もうと、園寺が奮闘している。
紅い瞳は井守村の老人たちに目を滑らせる。何も見えないけれど、何かまずいことが起きた。それだけを理解した老人たちは我先にと遁走した。
紅い瞳は再び園寺と武人を眺める。その時、偶然にも園寺と堕ち神の視線が交わった。
あ……まずい。
紬は加見の腕をゆすぶる。
紬の予想通り、堕ち神の靄は肥大化して園寺に襲い掛かる。堕ち神は園寺と目が合ったと思い込み、霊感がある――環町の人間だと誤認したのだ。園寺は堕ち神の憎悪を感じ取ったのか、咄嗟に腕を振り上げて頭を守った。けれど堕ち神の手は、園寺の腕をすり抜けて喉を掴む。園寺が空中に浮く。
「園寺さん!」
紬の足首が異常な痛みにひりつく。背後の神楽殿の広場の方で悲鳴が聞こえてくる。
ずり、と引っ張られた。
! なに……?
転びそうになった紬は、咄嗟に加見にしがみつく。足首を掴む手の感触に悲鳴を飲み込む。そこには何もいないのに、足首だけが燃えるように痛い。足を引きずる何かは広場を目指している。
向こうでも、起きたんだ。
異常を察した加見は素早く紬の足首に手の平を翳した。冷気が流れ込んでくる感覚が、紬の身体で燻っていた熱を覚ます。
結界の外側で何かが爆ぜる音がした。園寺が地面に倒れていて、その場にもう堕ち神は影も形もなかった。
「え、園寺さん……?」
武人が這って園寺を抱き起す。遠目からでも園寺が頭から血を流しているのが分かり、紬は戦慄した。
うそ。
境界線のことなど頭から飛んでいた。
紬は痛みの痕に足を引きずりながら園寺に駆けよる。園寺は堕ち神に手を離された時、近くの岩に頭を打ち付けたらしかった。血の付いた岩と、園寺のこめかみから流れる血。神社から外れた闇の中、遠くの提灯に幽庵に照らされた園寺の顔は、陶器の滑らかさで血の気がない。園寺に意識はあり、涙目の紬に無理やり笑って見せた。
「……来ちゃダメじゃん」
「大丈夫なのが分かったらすぐ戻ります」
園寺は環町に運び込めない。救急車を呼ぶにも時間はかかるだろう。頭を怪我した園寺を、車のある環町の入り口まで移動させ、何十分も先の病院まで……。
紬は堪えきれずに瞬きをして涙を零す。
「環町には入れるよ。園寺さんをこちらまで運びなさい」
断言したのは加見だった。
「え、でも園寺さんに霊感はなくて、さっきのも運が悪かっただけで」
「見えようが見えまいが、堕ち神に目を付けられた被害者だ。十分環町に入る条件は揃ってる。だろう?」
園寺は乾いた笑いを零した。
「確かに、感謝します」
佐伯が救急車を呼ぶ声がする。紬は園寺に肩を貸して環町の境界線を潜った。
神楽殿の方から髪の毛が焼けたような臭いが漂っている。紬の足首は思い出したようにヒリヒリと痛んだ。
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