大祭の環神楽 -4-
境界線沿いに松明が見えた。人の歩く重心に揺れる火がこちらへ近づいてくる。次第に人々の全貌が分かると、紬は思わず後退った。
ぞろぞろと列になって。腰の曲がった老人たちがこちらを目指している。
「なんだ……?」
園寺はしかめっ面で腕を組む。佐伯は環町から出るわけにもいかず「どうされましたか」と声をかけるが、答える老人はいなかった。
紬は由衣との通話を思い出していた。奇怪な踊りを踊る、由衣を無視する老人たち。タエは環町に嫉みの混じった憧れを抱いていた。
「――井守村の」
老人たちの纏う空気は異質だった。取り残された人もまた、長年の感情が変質して幽霊のように黒ずんでいた。
「あー、由衣の行った村の」
園寺は辟易したように頷いて、もう目の前まで迫った老人たちに、止まれと手の平で合図をした。先頭で松明を持った厳めしい顔の老爺が、木の幹を震わす声色で食って掛かる。
「そこを退け」
「環町に入れない人たちがここに何の用ですか?」
「……儂らは何十年も苦境を強いられてきた。友人や家族と引き離され、生まれ育った地を奪われ……今日まであの小さな村で惨苦に見舞われてきた。霊感などという目に見えぬもので選別されたのだ、納得などできるものか」
「それで? 環町に入れないのに何をするんですか?」
「ある男が訪ねてきた。環町の本厄のこと、人が死んでいること、そして人間に擬態した神様がいること。儂らは神様に願いに来たのだ。環町に入れてくれないか――と」
紬は由衣を思い浮かべたが、違うと首を振った。由衣は老人たちを嗾ける真似はしない。そんな人ではない。
加見は苦々しい顔で老爺を見ている。老人たちは事実をはき違えて環町を
園寺は加見の反応に行きつく先を悟り、老爺に「駄目だ」と端的に告げた。と、列の後ろの方から老人たちをかき分けて、小太りの男が前へと転がり出てきた。
「――武人さん。探してたんですよ。俺ら警察を撒いて何をするつもりですか?」
井守村の老人たちを扇動したのは武人だったのだ。最初の頃と違う、園寺の冷めきった態度に武人は臆する。が、それも一瞬で武人は真正面から園寺に向かった。
「ぼ、僕は……香々美が不審死だなんて、そんな嘘で誤魔化されると思うなよ……! 警察が真実を隠すなら、こっちにだって考えがあるんだぞ!」
目に宿るのは悲しみと憤りが綯い交ぜになった決心だ。紬は何度もこの手の覚悟を見たことがある。生と死を分かつ絶対的な線引きを前に、人は現実を振り切って境界線を越えようとする。
死者が生きたいと願うのか、生者が逢いたいと手を伸ばすのか。或いはその両方。
紬は知っている。だから武人の、今にも零れだしそうな涙目に胸が苦しくなった。
園寺は静かに武人の呼吸が落ち着くのを待った。大勢が集まっているのに焼けるほどの静寂が境界の内と外を繋ぐ。紬は携帯で時間を確かめると、もう零時を回っていた。
しまった……真白の神楽を見逃した。
きっと今、あの神楽殿で舞っている。楽しみにしていたが、目の前の武人を放って引き返す気にはなれなかった。紬は心の中で真白に謝り、加見に視線をやる。勘のいい加見は紬の視線が何を物語っているのかに気付き、仕方がないと瞬きをした。
冬の夜に汗を浮かべ、白い息を汽車のように吐き出す武人。どうしようもなかったのだ。事実を隠匿されて不鮮明な理由で捜査は打ち切られ、残ったのは何だったのか。あの時香々美に何が遭ったのか、真実を欲している彼と、せめて真正面から腹を割って話したい。
「……いいですか、園寺さん。せめて本当のことを」
「紬ちゃんがそう思うなら。止めないよ」
「武人さん」
紬の真剣な瞳に、武人はどこか安堵していた。
「香々美さんは……堕ち神に殺されたんです」
「――オチガミ」
環町が抱える疾苦だ。何十年も前から環町を孤島にした呪いで、何十人もが堕ち神の餌食となった。香々美は部外者だから巻き込まれないと信じていて、けれど堕ち神の目は紅く曇っていた。
「環町は今年、本厄なんです。この町にいる人は、いつ堕ち神に目を付けられるか分からない。香々美さんも犠牲者の一人です」
「……幽霊に、殺されたって言うのか」
愕然と、武人は突拍子もない話をどうにかかみ砕こうとする。
「堕ち神は幽霊じゃないです。ええと……」
どう説明するか迷った紬に代わって加見が端的に告げる。
「人間を呪い、その呪いが跳ね返って自身も堕ちた。それが堕ち神だ」
武人が願った真実は、受け止めきれないほどの理不尽だ。悄然としゃがみこんだ武人の背を園寺が優しくさすった。
「あんま無謀なことしないでくださいよ。守るこっちも大変ですから」
「…………香々美、香々美は、もう、本当に」
二度と逢えない。
霊感のない武人は奇跡を見ることもできない。
紬は武人の丸い背中に目を落とし、どうにか慰めの言葉を探した。
「堕ち神は――」
武人の灰色のダウンジャケットに手を置くのは園寺だ。紬は瞠目した。ダウンジャケットに視線を固定して、固まった言葉を繕う余裕もなかった。
井守村の老人たちは草臥れて褪せた服を着ていたはずだ。境界線の向こう側には園寺と武人と老人たち――それだけだ。
紬の全身が震え、鳥肌が立った。足首が熱を帯びて痛み、頭の先までかっかと燃える。
あの……桃色は。
「っ園寺さん」
紬の尋常じゃない様子に、園寺の手がダウンジャケットから離れる。
「どうした?」
「武人さんの、後ろに」
「堕ち神だ」
加見が凛と断言した。老人たちのどよめきの中、佐伯の喉がヒュ、と震える。
大祭の夜、人の集まる境界線。こうなる予感はあった。紬はうすうす感じていた不安を隠したまま、お囃子のリズムに隙となる感情を混ぜて、どうにか体面を守っていた。
「……まじか」
「香々美の、仇がそこにいるんですか」
俯いていた武人と目が合う。狂気的な決心がちらつく武人のまなざし。紬は硬直したまま「駄目です」と呟くことしかできなかった。
「でも僕にはもうそれしか」
武人は憑りつかれたようにぬらりと立ち上がり、桃色の鼻緒も武人の背に隠された。
紬は加見の服の裾を握り、そうっと顔を上げた。
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