大祭の環神楽 -3-


「! ほー?」

 紬は真白に聞いた話を余さず伝えた。

「真白ちゃんは大祭で神楽を舞うんです。忙しそうであまり詳しくは聞けなかったんですけど」

「明日にでも聞いといてくれる? 手遅れにならないといいけど」

「分かりました……あの、武人さんは?」


 大祭は賑やかで明るいが、園寺の後ろは真っ暗闇だ。祠までの道のりを必死に進んでいた彼は、またあの場所に向かったのだろうか。

 園寺は焼きそばの最後のひと口を頬張る。膨らんだ頬のまま後ろを振り向いて、暗い道の先に向かって肩を竦めた。

「まだ見てないね。心配しなくてもいずれ来るだろ」

「この後どうするんですか?」


「神様に会いたいな。呼んでこられる?」

 加見のことだ。紬は探してくると言い置いて大祭の渦中に戻った。

 加見は孤児院長だが、子供たちの世話はあまりしていないようだった。孤児院の事務所で訪ねてきた男子高校生たちが親の役割をしていたのだろう。今夜ばかりはさすがに目の届くところにいるかもしれないが……。いいや、と紬は思い直す。

 本厄の大祭、加見は部外者ではない。人間に交じってはいない。紬は真白の言葉を思い出す。


 何とかと何とかがこれから始まるって言ってたっけ……。

 儀式の一番近いところで見ている可能性が高い。加見のために催されている大祭だといっても過言ではないのだから。

 神楽殿は遠巻きに眺めた方が舞台の上がよく見える。太鼓の地鳴りは止んでいて、祭りにしては静かで厳かな雰囲気だ。ちょうど、真白の母親と思しき女性が何か儀式をやっているところだった。真白と同じ巫女の格好をしている。手には升を持っており……米だろうか、どうやら神様に供物を供える儀式のようだ。舞台の脇には神主や真白、葵の姿も見受けられる。そして――


「いた」

 加見も舞台に上がっていた。人間らしいスーツを着用している。よれよれの服装しか知らない紬にとっては相乗効果か、やけに神々しく見えた。

 あの様子では連れ出すのは無理っぽいな。

 紬は腕を組んで儀式の進行を見守る。


 何とかと何とかが終われば、零時の真白の環神楽までは時間が空く。その間なら連れ出せるとして、あと何分だろう。

 けれどその心配も無用だった。真白の母親がしずしずと舞台から降りると、脇に控えていた人たちも姿を消す。続いてどこからかお囃子の演奏が聞こえてきた。がらんどうになった神楽殿の脇から、社務所へ向かう神主や宇衛の人たち。紬が向かおうとして、宇衛の列から逸れた加見が、一足先に紬の方へやってきた。


「どうした、もの言いたげな視線が擽ったくて仕様がなかったぞ」

「……私の周りにいる人はみんな察しがいいですね」

 小太鼓のリズムに合わせてピーピーと笛が鳴る。祭りの曲だ。喧噪の中、紬は会って欲しい人がいると耳打ちして加見を境界線まで連れて行った。

 園寺はどこから調達してきたのかチョコバナナを頬張っていた。その横には何度か見かけた警察官が背を向けている。


「! 駐在の佐伯さんだ」

「あ、どうも、これはこれは加見様」

 振り返った佐伯は加見を目に留めると仰々しく驚いた。柔和な顔つきで、割り箸を持っていない方の手で敬礼をする。どうやらチョコバナナは佐伯が買ってきたらしい。

「で、貴女は……?」

 佐伯は不思議そうに紬との距離を測る。味わって食べ終えた園寺が「紹介するよ」と手のひらを上に向ける。


「由衣探偵事務所の助手の遠香紬ちゃん。探偵の代わりに俺らの手伝いをしてくれてる。紬ちゃんはなんとなく知ってるでしょ? これが佐伯な。――それから、どうも加見さん。警視庁刑事部捜査第一課管理官、園寺和也です」

 園寺が慣れた手つきで開いて見せた警察手帳には、澄ました顔の園寺が映っている。加見は鷹揚に頷いた。


「お前が園寺か、本厄の件では随分世話になっているようだな。俺からも礼を言わせてもらう」

「いえいえ。出世のためです」

 園寺は真正面からの感謝をのらりくらりと躱してしまうきらいがある。紬は小突いてやりたかったが、境界の向こう側に出るのはまだ怖かった。園寺は肩を竦めて冗談だと示すと、口を挟まれる前に加見に真面目な話を切り出した。

「お尋ねしたいことがありまして。よろしいですか?」


「ああ」

「前回の本厄、随分と被害が少なかったようですが……。十三年前の本厄では九人、そして二十七年前の前々回の本厄では五十人近く亡くなった。人数に差がありますよね。加えて、俺が調べた前回の本厄で起きた事故は全て五月までに起きていた……つまり、ある時を境にして、堕ち神が手を引いたように思えるんです」

 佐伯が不安げな顔で加見を窺う。彼が過去のデータをまとめたのだろう。紬は小声で佐伯に尋ねる。


「十三年前も環町にいたんですか?」

「二年前に環町の交番に配属されたんだ。それまでは他県にいて」

「じゃあ全然知らないんですね」

「そうなんだよ……」

 園寺は意味深な笑みで佐伯に目配せをしてから、加見に向き直った。

「前回の本厄は、今までと毛色が違ったんじゃないですか?」


 賑やかなお囃子が終わって静寂が流れてくる。

 加見は憂いを帯びた瞳で「そうだ」と呟いた。

「まだ言うつもりはなかったんだが……人間は選択肢を与えられたら、選ばずにはいられないだろう?」

「さあ、それは聞いてみないと何とも」


 森がざわめいていた。夜陰の風が環町に吹き込んでくる。紬は鼻をひくつかせた。

 深緑の青い匂いに煙が混じっている。何かが燃える匂い。焚火がもう始まったのかと祭りの広場を窺うが、静寂の中に煙の臭いが強まることはなかった。それにこれは……知っている匂いだ。実家では毎年冬になると石油ストーブで暖を取っていた。暖房の乾燥した生暖かい風が苦手な母は、ホームセンターで灯油を買ってきて――


「灯油……?」

 そうだ、灯油だ。

 紬の怪訝な顔に、加見が助け舟とばかりに飛びつく。

「結界の外からか? ……ああ、確かにするな」

 堕ち神は結界に触れると焼ける。あの焦げ臭さとは違うが、紬の嫌な予感は的中するのだ。

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