大祭の環神楽 -2-


 だが、寝すぎると悪夢を見るものだ。由衣が消えてしまう夢を見て、紬はハッと目を覚ます。体を起こすと鈍い頭痛が紬を揺さぶり、夢見と合わせて更に気分は落ち込む。真っ暗な携帯の画面をタップして時間を確認すると、昼どころか夕方だった。


「……うわ」

 寝起きの声はひしゃげていて、体は朝よりも重たい。紬はゾンビのようにどうにか布団から這い出すと、大祭へ行く準備をした。足首の火傷の跡はまだ疼いている。軟膏を塗ってその上からガーゼを貼るが、体を屈めると全身が痛かった。ここ数日、一日中歩き回っているせいで、運動不足の体がいよいよ悲鳴を上げている。


 なぜか由衣との電話は繋がらないし、一人で知らない町を歩き回る日々。最初のうちはすぐに由衣から折り返しの電話がかかってくると思っていた。その余裕があったからこそ、町も新鮮で楽しめていたが、今となっては……最早、楽しみは旅館の夕食だけだ。朝は楽しめるほど体が目を覚ましていない。


 由衣は約束を破る人ではない。何かが遭ったのかもしれないと園寺に安否の確認を急かしたが、携帯が壊れたらしいと言っていた。お陰で紬の携帯の画面はずっと真っ暗だ。宇衛の二人にも加見の孤児院に行って以来、連絡していなかった。大祭の練習で忙しいだろうし、何より特に頼むこともない。葵にはまだお礼ができていないので大祭が終わったら……明日には誘ってみようとは思っている。


 ――今日は何かが起こる。


 これは予感ではなく確信だ。大祭に向けて、町の空気も園寺の警戒心もピリピリしている。紬は地味な服に着替えると神社へ向かった。既に薄暗くなってきている黄昏時。紬と同じように大祭へ行く人たちをちらほら見かける。園寺からは未だ連絡がない。

 神社には屋台や櫓が設営されており、夜に開催する祭りだけあって、神社を余すことなく照らす提灯が縦横無尽に空を駆けている。櫓の近くには大掛かりな焚火の準備がしてあり、粗朶が山ほど積まれていた。


 大祭が始まる明確な時間はないらしく、何軒かの屋台は既に営業を始めていた。焼きそばやお好み焼きの匂いが紬の食欲を刺激する。

 そういえば、今日まだ何も食べてないや……。

 紬は空腹に急かされて片っ端から屋台を回った。焼きそばを買っている時に太鼓が鳴り始め、そうだ、と箸を二膳貰う。境界の外側で屋台の匂いを嗅ぐだけなんて可哀想だ。紬は焼き鳥を食べながら神楽殿へ向かった。


 神楽殿では最終調整をしていた。白衣はくえ緋袴ひばかま姿の真白を見つける。紬が手を振る前に気が付いた真白は、神楽殿の縁まで来てしゃがんだ。高床式の神楽殿は、床が紬の頭ほどの高さだ。上品な化粧をした真白は美人に拍車がかかって、まさしく神様の遣いのようだった。

「紬さん! お久しぶりです」

「すごい、綺麗だね真白ちゃん。何時に踊るの?」

「ありがとうございます! 進行表では零時ってなってます。でももうすぐ修祓しゅはつ献饌けんせんが始まりますよ」


「? ふうん」

「お父さんとお母さんがやるんです。その後は零時までお囃子はやしの演奏があって、私の環神楽たまきかぐらの次は葵の祝詞奏上のりとそうじょうがあります。最後には広場の焚き火に火を点けるんですよ! バババッて一気に火が空まで昇ってくの、すごい綺麗なんで見逃しちゃだめですよ」

「そうなんだ。葵君は?」

「あ……それが、」

 真白は声を低くしてせぐくまる。


「昨日、御霊が消えちゃって。ふさぎ込んでるんです。祝詞奏上の時はちゃんとやるとは思うんですけど」

「御霊が、消えた?」

 紬は思わず眉を顰める。環町で堕ち神に襲われた日、御霊が堕ち神を察知してくれたおかげで紬は助かったのだ。葵が小さな頃からずっと憑いていた神様の分身。それが消えたというのは、堕ち神の力が強まったのか……はたまた、御霊が力を使い果たしたのか。


「昨日、神社の裏の結界でテル君たちが襲われて、それを御霊が助けたんです。お陰でみんな無事でしたけど」

 神力は結界を維持するだけの力しかない。堕ち神と対峙した御霊は力を使った代償に、葵に憑く力まで使い果たしてしまったのだろう。

「真白! 巫女装束に失礼ですよ」

 後ろから声がかかって真白は急いで姿勢を正した。紬の場所からは見えないが、恐らく母親だろう。あまり邪魔しても悪い。紬は真白に「頑張ってね」と言い置いて神楽殿に背を向けた。


 太鼓の音が地面を震わせている。心臓まで震える低い音の迫力を感じながら、焼き鳥棒を齧った。気付けばすっかり日も落ちて、屋台もほとんど開店している。環町中の人が集まっていそうな人ごみの中、紬の携帯が震えた。

 由衣かもしれないと逸る気持ちを落ち着けて携帯を見ると、画面には園寺の名前が点滅していた。

「……はい」

『さては由衣と間違えて落ち込んでるな』


 たった一言の返事でよく見抜くものだ。さすがに失礼だったと紬は思い直し、空咳をした。

「すみません……もう着いたんですか?」

『おう。ちょっと見えるよ、大祭。賑やかだな』

 紬は通話中にしたまま木立の中へ歩む。広場近くは人も多かったが、結界にほど近い柵の前まで来ると誰もいない。園寺は線路の向こう側で携帯を掲げた。紬は電車が来ないのを確認して線路を横切り、結界の手前で通話を切った。


「元気そうじゃん。あ、それ俺の?」

 園寺は相変わらず飄々としている。買い込んだものを全部入れたビニール袋ごと渡すと、園寺は目ざとくも袋の底にあった焼きそばを取り出した。

「ありがと。にしても、すげぇ買い込んだな。誰かと食べんの?」

「園寺さんと。……こんなに食べませんでした?」

「や、食えるけど……一応、仕事中だから。残りは帰ったら食べるよ」


「お好み焼きとじゃがバタは私も食べたいので取っといてください」

「ハハ、了解。で、なんかあったって顔してるな。何?」

 園寺は本当に目ざとい。紬がほんの少し辺りを見回しただけで、考えを見透かしている。

「昨日、ここで堕ち神が子供たちを襲ったらしいんですよ」

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