「隙」を埋める -12-
「そこにいるの?」
真後ろから、聞き馴染んだ声がした。
「葵! なんでここに……」
「全部知ってるから。見殺しにはしない」
葵の双眸は強く揺るぎない。必ず助けると、確固たる意志が迸る。
「御霊が助けられる」
葵は言い切って結界の外側を見据え、手を翳した。
――焦げた着物が燃えていく。闇に溶けていた堕ち神の着物に、金色の炎がめらりと色づく。ほんの小さな光の玉は一瞬にして閃光のように眩しく燃え盛り、塗りつぶされた暗闇に太陽が降りたみたいだった。ぼろぼろと崩れ落ちる着物。地面の底から憎しみのこもった呻き声が震えている。
御霊の力は人知を超えた神の加護だ。
袖は灰になりはらはらと舞い落ちる。堕ち神の気配はいつの間にか消えており、四人は灰を被りながらも、命からがら結界の内側になだれ戻る。ぜえぜえと息を吸い込み、恐怖に震えている。樹と健吾は四人を抱えて竹の柵の内側へ連れ戻した。
テルは頬の灰をぬぐおうとして余計に汚した。いつもの彼の威勢は命の危険に剥がれ落ち、今にも泣きだしそうなのをぐっとこらえていた。が、他の三人は既に滂沱の涙を流しており、健吾が介抱している。結界の内側にいた真白ですら怖かったのだ。囚われかけた彼らの恐怖は計り知れない。テルは鼻を啜りながら地面を睨んでいる。
「だから言っただろ、自業自得だぞ。助かっただけ運がよかった」
険しい顔をした樹がテルを見下ろす。
「……うるせぇ」
「まだ言うか」
元気をなくして萎れたテルに、樹は薄く笑った。先ほどまで樹も取り乱していたが、すっとクールな態度に戻っている。真白は結界の外を見つめる葵の傍に寄った。
葵は泣いていた。
「だっ大丈夫?」
葵は呆然と結界の外を見つめている。涙が頬に一筋伝い、はらりと垂れる。
「消えちゃった」
御霊が。
「力を使い切ったんだ」
贄の子の、力を使い果たしたのだ。
葵が御霊を賜ったのはずっと幼い頃。御霊は葵を誰よりも近くで見守っていた。体の五感を共有し、時にはババで一緒にプリンを食べていた。葵の友人であり相棒だった。
真白はかける言葉を見つけられなかった。
家族を喪う悼みと同じだろうか。自分の内側にいた存在だから、それ以上かもしれない。葵が泣いているところを見るのは初めてだった。
「御霊は……大元の神様のところに戻ったってこと? それなら、加見さんに頼んでみれば、もしかしたら……」
「力を使い切ったんだ。余力がないってことだよ」
「そ、うだけど……」
人間ではない。神様は死なない。それならば、まだどうにかできると思いたい。
「今年は無理でも、来年になれば、また戻ってきてくれるんじゃない? 今年は本厄だからいつも以上に力を使ってるんでしょう? 来年の贄の子からまた力をもらえば、葵のところに帰ってくるぐらいはできるんじゃない?」
「そう、だね……」
葵は悄然と答える。この過酷な本厄を御霊なしで乗り切った先の来年。遥か先で、本当にくるのか疑わしいほど遠い未来の話。今の葵を元気づけるには絵空事の、か細い希望の糸だ。そもそも、神様の考えなど人間にはとても読み切れない。御霊が帰ってくる確信はどこにもなかった。
樹と健吾は四人を孤児院に連れて帰った。悲しみに浸っていても真冬の夜中は思考を凍らせてしまう。明日の大祭で風邪を引きでもしたら大目玉だ。真白は「家に帰ろう」と、その場を離れたくなさそうな葵を無理やり引っ張って帰った。
そうっと自室に戻った真白は、両親に気付かれずに布団に入って安堵の息を吐いた。目を瞑ると、堕ち神が瞼の裏に鮮明に映り込む。闇に呑まれる四人、黒焦げの袖がサエの最期と重なって、人間を呪い、堕ちた神の赤い瞳がちらつく。はっと目を見開いて、瞼の裏に描かれた瞳を忘れようと、体を起こして窓の外を眺めた。定刻通りに流れる列車を見ると安心する。前照灯の軌跡が真白の呼吸を落ち着けた。町の明かりは星を散りばめたようで、宇宙船から星々を見ている宇宙飛行士の気分になれる。列車の公転する回数を数えて、真白は座ったまま浅い眠りに就いた。
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