「隙」を埋める -4-
太陽が雲に隠れて一層部屋が暗くなる。加見は電気を点けに立ち上がると、その足で段ボール箱を持ってきた。
「お前たちも好きなだけ食べなさい。人間の食べ物は美味い」
中を覗くとみかんがぎっしり詰まっている。真白は遠慮なくもらって、みかんの皮を剥きながら尋ねた。
「『隙』って、結局何なんですか?」
占い婆に聞いた昔話で『下駄と衣隠して大人しくしたり給へ』の意味は分かった。綺麗で鮮やかな着物を着ていると堕ち神にサエと間違われる。サエと他の人間の区別が付かないほど堕ち神は混濁している。
堕ち神に狙われないために、誤解される格好はしないこと。
けれど『隙』というのはよく分からなかった。
加見は剥いたみかんを一口で食べると、新しいみかんの皮を剥きながらもごもごと言う。
「前回の本厄の年に何が起きたか知ってるか」
「知らない……いつだったんですか?」
「十三年前だ。九人が亡くなった」
淡々と告げる。真白は言葉を失って、加見の言葉を繰り返す。
「あの年はそれでも少ない方だった。その前は前回の本厄から数えて十七年前。あの時は五十人近く亡くなってる」
「そんなに……」
母の表情が脳裏に浮かぶ。母は身をもって体験しているのだ。堕ち神が引き起こす厄災を、人が殺されるということを。
本厄と言っても、ただ不運が重なっただけ――心のどこかでそう思っていた真白は、あり得ない偶然に束の間放心した。
探偵助手の紬は憤慨して眉を顰める。
「五十人って……それなのに警察は、前回の本厄では何もしなかったんですか?」
「大々的にはな。環町の警官は警戒してたが、何せ相手は堕ち神だ。フェアじゃない」
「だったら尚更、外部から応援を呼ぶとか……あ、だから園寺さんは今回『起こるかもしれない事件』にわざわざ」
「どうやら、優秀な警察もいるみたいだな」
全く期待していない顔で「頼もしい」と笑うものだから、紬は頬を膨らませた。加見は慌てて付け足す。
「本当に思ってるさ。過去の災厄から学んで隙を埋めてたのを見たからな。なかなかできることじゃない」
「隙を……埋める?」
「そう。優秀な警察は前回と同じ隙を作らないように動いている。前回堕ち神が起こした事件を説明する方が早いな」
加見は人差し指を立てる。
「まず一つ目。朽ちた旧校舎が倒壊したことにより二人が死亡、五人が怪我をした。これは、ほんのひと吹きの風の強さで倒壊してしまうほど老朽化した建物の『隙』だったといえる」
建物の――隙。真白は不安定な積み木を想像する。人差し指で突いたら一気に崩れてしまう危うさ。
「それから二つ目。アーケードでの通り魔殺人があった。四人が死亡、三人が怪我。犯人は恐らく、本当に実行しようとは思っていなかった。想像するだけの凶行だったはずが、堕ち神に隙を突かれて犯行に及んでしまった」
占い婆の館の通りだ。かつてあの通りで凄惨な事件があっただなんて……十三年前、大人はみんなあの通りの事件を、堕ち神の脅威を知っていたのだ。
「三つ目。水害で三人が死亡、十六人が怪我。学校裏の川は大雨が降ると度々警報が出るだろう。あの川が氾濫したんだ。元々そういう危険がある川だからな、その隙を突かれた」
「あ、それって……」
真白は学校裏で見たのを思い出していた。年明けに学校に行った時、工事の人たちが忙しなく川の方へ行き来していた。加見が言っていた『隙』を埋める行為。同じ災害が、かつての恐怖が蘇る危険を、その隙を、堕ち神に与えさせないために。
「段々分かってきました……つまり香々美さんの好奇心は堕ち神にとって格好の『隙』だったんですね」
紬は頷いていたが、真白は心に引っかかっていた。
「あの……年明けてすぐに田中家が交通事故で亡くなった――あれも『隙』があったってことですか?」
「俺も事の子細を知ってるわけじゃないが……運転してた人、車、気象条件、それから道。どれかしらに『隙』があったんだろうな」
「そこを狙われて……」
真白はうなだれる。ほんの一糸の緩みですら隙だというのなら、残り十一か月と少しの間、環町の人たちは怯えて暮らさなければならない。凶行に及ぶ人がいれば、どこを歩いていても安全だとは言えない。文字通り『大人しくしたり給へ』なのだ。
「家にいるのが一番安全なんですね」
「まあな、頑丈で地盤がしっかりした家なら。さらに言えば、自分の部屋に閉じこもってるのが安全だ」
「! ……家族も、もしかしたらってことですか」
加見は険しい顔を一転、ふは、と息を吐いて笑った。
「人間にも人間の暮らしがある。言い伝えを強いるつもりはないし、結界が緩むとはいっても、環町の中に侵入して暴れるほど堕ち神も向こう見ずじゃないだろう。相手は何十年も冷静に増悪を募らせた堕ち神だ。結界付近に近寄らなければひとまずは大丈夫さ」
「同じ神様同士、意思疎通はできないんですか?」
「無理だろうな。もうあいつに声は届かない」
「じゃあやっぱり……神様にもどうしようもないってこと?」
真白が呟くと、加見は居心地が悪そうに頭を掻いた。
「俺らができんのは結界を張って堕ち神から環町を護ることだけだ。今までもそれだけを願われてきたし、それに応えるために俺らは贄の子から力を頂いている」
逆に言えば、それしかできないということ。
神様ならどうにかできるかもしれないと思っていただけに、紬は目に見えて落胆してしまった。
やっぱり贄の子は地道に探すしかないし、堕ち神も用心するしか対策できない。幸いにして贄の子は一年間の期限がある。年末までにはさすがに見つかっているはずだ。堕ち神のことも、環町の結界に近寄らず、極力家で過ごすように気を付ければ平気だと加見も言っている。深刻な状況だけれど、やり過ごす手はいくらでもあるのだ。
けれど楽観的に考えているのは真白だけらしい。
重たい空気に沈黙が下りておりしも、事務室のインターホンが鳴る。加見が扉を開けると、入ってきたのは二人。真白と同い年くらいの男子だった。
「仁さん、テルがまた窓ガラス割った」
そう言った彼は奥にいる真白達に気付くと、目でお辞儀をする。白金の髪に西洋風の整った面立ちがよく似合っている。耳にピアスをしていて、一匹狼のような鋭いオーラに一見不良かとも思ったが、眼差しは存外温かい。対してもう一人の巨漢の男子は一目見て柔道部だと思った。短く切り揃えた黒髪に、あまりにも堂々とした態度。腕組みしている姿はむしろ顧問のようだったが、環町の学生服を着ている。
「おい、またかよ。テルの奴今週二回目だぞ」
「最近あいつ荒れてんだよ。反抗期だろ」
白金の彼は肩を竦める。神様らしからぬ悲鳴を上げる加見は、真白達に「すまん」と片手をあげた。
「野暮用が入った。続きはまた今度にしてくれ」
事務所を出ると、紬はふさぎ込んだ様子で「帰ろうか」と行ってしまった。
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