「隙」を埋める -3-


      ***


 加見仁は面倒見のいいおじさんだ。

 環町には孤児院がある。何らかの理由で親が環町を出なければならなくなった時。子供は環町に残されることが多い。

 理由は単純。外は幽霊がいて危ないから。

 環町に残された子供たちは孤児院に預けられている。加見はその孤児院の経営者だ。


 葵は今日から大祭の儀式の練習をすると決めたようで、加見の元へは真白と紬の二人で行くことになった。宇衛の人間はみんな真面目だ。真白も本当は大祭の準備をしなければならないのだが、正直加見の方が気になる。昨日の占い婆のショックも抜けきっていなかった。真白は練習には後から行くから、と葵に言付けて、紬に連絡を取った。

 紬と合流すると、真白たちは加見の家へ向かった。


 昨日と同じ人気のなさ。ビル街より北東、環町の底に第二の住宅街はある。第一の住宅街は宇衛家のある丘とその近辺を指している。近所にはアーケード街や学校があり、家族層が多く住んでいる。第二の住宅街はビル街に近く、通勤の便もいいため、単身の人たちにはうってつけだ。だからなのか、第二の住宅街の日中は静まり返っていて、明るい夜みたいだった。


 加見の家は第二の住宅街の中でも、瓶の渣滓さしのように隅に建っていた。何の変哲もない家だ。周りの家々と同化し、それが加見の家だと言われても翌日には忘れてしまいそうな家。

 真白は臆面なくインターホンを押したが、やはり留守のようだった。昨日と変わらず締め切ったままのカーテン、たまった郵便物はポストからはみ出している。昨日と言わず、もう何日も帰ってきてないようだった。


「今日もいないみたいね」

 紬が寒そうにマフラーに鼻を埋め、真白を見る。少し憂鬱そうだった。

「……孤児院に行ってみましょう。私たちもそろそろ大祭の準備で忙しくなるので、もうあまり放課後に時間が取れないんです」

「あぁ、そっか。真白ちゃん神楽踊るんだもんね」

「はい! 動きは体に染みついてるので、ちょっと練習すれば、すぐ感覚を取り戻せると思います」


「すごいねぇ。大祭まであと少しだもんね。頑張って」

 紬はどこか上の空だ。真白はこっそりと耳に口を寄せて「大丈夫ですか?」と尋ねたが、帰ってくるのはあいまいな微笑みと頷きだけだった。体調が悪いというよりも鬱屈としている。

 でもそれなら、これから行くのは神様のところだし、四日後には大祭も控えている。町のお祭りムードに当たれば少しは気分も向上するはず。


 真白は早々に終止符を打つと、孤児院に足を向けた。

 孤児院は第二の住宅街から学校側に少し歩いたところにある。真白も小さい頃に何度か遊びに行ったことがある。全員が家族みたいで、とても居心地のいい場所だった。

 孤児院は二階建てのアパートで、一階と二階に三部屋ずつある。一階の角部屋は事務室になっていて、残りの五部屋で子供たちは生活している。男女別で小学生までが一階、中高生は二階だ。男子の人数が多いので二階は二部屋を男子が使っている。


 アパートは築二十年ほどの建物だ。階段は錆びついているし、扉やポストは昔ながら。真白が事務室のインターホンを押すと、やっと加見らしき人物が出てきた。

「あぁ、真白」

 加見はTシャツにジーンズといった人間らしい格好をしている。つっかけた健康サンダルから覗く足は骨ばっていて、痩せぎすの体系だ。剃り残した髭を撫でながら、加見は二人を事務室へ招く。

 この人が神様だよ、と小声で告げると、紬は変な顔をしていた。


 アパートの一室の事務所だ。真白は生活感を感じながら、ダイニングテーブルに座った。電気が点いていないので外よりも暗く感じる。テーブルの上には食べかけのカップラーメンと散らばった割りばし。

「で、どうした?」

 加見は全員に缶のお茶を渡して、昼食を再開した。麺を啜る音と匂いに、真白もお腹が空いてくる。短縮授業が終わってそのままここに来たから、まだ昼食を食べていなかった。

「聞きたいことがあって」


「ほう? 言ってみろ」

 加見を前に、少しだけ緊張している。紬はわざとらしく空咳をしてから本題を切り出した。

「……神様について教えてください」

「その神様ってのは止めてくれ。加見さんでいい」

「加見さん」

 紬が素直に言い直すと、加見は頷いて箸を止めた。


「信仰は先か後か。まず、俺らは人間に創られた神だ。人間が必要とし、俺らは生まれた。信仰が先にあるんだ。人間に与えられた使命は『環町を護ること』そのためには力が必要だ。俺らは贄の子に力をもらって環町に結界を張っている」

 ここまで言うと、加見は紬に顎をしゃくった。紬はおずおずと頷く。

「贄の子って……なんですか」

「力の源だ。年に一度、ランダムで選んだ環町の人間を神界の『あるところ』に寝かせて力を頂く。人間に願われて顕現した神には、元来の力がない」


「? え、じゃあ今も……」

「今年はな。俺らが力も頂くのは一瞬で済む。が、俺らでは眠らせた人間を起こせない。神界で眠る人間を起こせるのは環町の人間だけだ。環町の人間が贄の子の名前を呼べば、贄の子は目を覚まし環町に帰ることができる」

「名前を呼ばなかったら?」

「期限は一年間だ。一年経っても呼ばれなかった場合、贄の子は神界に囚われる」


 加見は敢えてショックな単語を避けていた。真白の聞いた話では、贄の子は一年を過ぎると、二度目の贄の子として力を吸われる。けれど人間には二度も連続で贄の子の役目を果たせるほど強くはない。二度目に力を吸われれば最後、命を落としてしまう。つまり神界で死に、二度と環町には戻れなくなる。

 紬は開いた口が塞がらないといった風に真白と加見を交互に見た。


「今年はって……もう十日以上環町で行方不明になってる人がいるってこと? なんで名前を呼ばないの?」

「みんな誰がいなくなったのか分からないの。とりあえず片っ端から名前を呼んでるみたいだけど、まだ贄の子が戻ってきたって情報はないんです。私も冬休み中に葵と探したんだけど……第二の住宅街にも単身で住んでる人がいっぱいいるでしょ? でも、みんないるんだ。誰もいなくなってない」


 加見はスープを全部飲み干すと、空の容器をゴミ箱に投げて優雅に口を拭いた。

「葵にも聞かれたな。今年は手違いで誰も贄の子にならなかったんじゃないかと。だが、神界には人間の魂の気配がある。結界を保つエネルギーも十分だ。俺らは今年も贄の子を頂いていると断言できる」

 おかしな話なのだ。誰かがいないはずなのに。誰も、それが誰か分からない。

 加見は紬の疑問がなくなると、話を本筋に戻した。


「本厄っつうのは稀に起きる神力が弱まる年だな。ほんの一糸の緩みだが、堕ち神はその『隙』を逃さない」

「なんで本厄が……緩みが生じるんですか?」

 紬が言葉を選びながら尋ねる。

「神だって完璧じゃない。息をするのと同じで、強固な結界に息を吐き続ければ、やがては息を吸う必要がある。堕ち神は虎視眈々と、その一瞬の緩みを狙っている」


「堕ち神がいるって分かってても」

「息は吸わなきゃならない。だから言い伝えがあるんだ」

 真白は母の陰鬱な溜息を思い出した。『本厄の年に森より堕ち神打ち出づる。隙を作るべからず。下駄と衣隠して大人しくしたり給へ。然らば災厄降りかからん』因習の桎梏が今は心強い。


「絶対に結界の外――環町を出るなってことですか?」

「そうさ。が、それよりも重要なのは『隙』を作らないこと」

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