幽霊のいない環町 -6-
紬は通話中の画面とにらめっこしていた。老婆はとりとめのない話ばかりだし、由衣を蔑ろにしている。腹が立つが、ここで紬が声を荒げても意味がない。由衣の戸惑う声色にいちいち心臓が飛び跳ねて、紬はコーヒーを一気に飲んだ。
気が滅入りそう。聞いてるだけで憂鬱になる。
と、ちょうど葵からメッセージが届いた。どうやら葵の姉も一緒に来たいと言っているらしい。
確か、大祭で踊る真白、だったっけ……。
紬は少しだけうきうきした気持ちを取り戻し、カフェを後にした。葵たちとは学校の校門前で待ち合わせだ。まだ真白のクラスのホームルームが終わっていないらしい。
帰り道の丘は下り坂で楽ちんだった。
紬は学校の校門前に到着すると門柱に寄りかかって葵たちを待った。走って下校するのはランドセルを背負った小さな子供たち。その後ろからは紬より背の高い男の子。
紬が待ち始めてから五分ほどで葵と真白は出てきた。
「お待たせしました……こちら、姉の真白です」
「こんにちは! 宇衛真白です。すごい綺麗な着物ですね!」
「姉ちゃん、人見知り治ったんだ……」
葵は肩を竦める。紬がお礼を言うと真白はにっこりと笑って見せた。
葵によく似た真白は、清楚で美人な高校生だった。丁度いい長さのスカートから伸びる足はすらりと女の子らしく、長い黒髪も爽やかだ。控えめに色付きリップだけを塗っているのが高校生らしい。一見するとおしとやかにも見える真白は、話してみれば溌溂とした元気な女の子だった。
葵は、占い婆はアーケード街で占い館をしているから、と丘の麓の方を指差した。先に占い婆のところに行き、その後にももう一か所行く場所がある。真白が行きたいところは加見仁という男性のところらしい。神主の話にもちらりと出てきた人だ。紬が尋ねると、どうやら加見は人間として暮らしている神様で、母体は葵に憑いている御霊と同じ神様だという。
さらりと聞かされただけでは全く意味が分からなかった。
紬は疑問に眉を顰めそうになるが、包含理論……と自分に言い聞かせる。あるものはあるままに受け入れようと、紬はひとまず頷いておいた。
昨今のアーケード街といえば寂れたイメージがあったが、環町のアーケード街は活気に溢れていた。大型のショッピングセンターが進出してきていない環町では、まだ肉屋や魚屋、豆腐屋など個人の店が肩を寄せ合って軒を連ねている。半円を描いた透明の屋根と石畳の通り。新鮮で、どこか懐かしさも感じる。
「占い婆の店は真ん中辺りの左側にあるんです」
葵と真白は慣れた足取りで、時たま店の人に挨拶をする。宇衛の名を背負って、背筋を伸ばして歩く二人の後ろを、猫背の紬は由衣を思い浮かべながら歩いた。
アーケード街の中心が見えてくると、紬にもすぐにそれと分かった。紫色の布が天井から下がり、店の中を隠している怪しい一角。
「あれが占い婆の占い館ね」
「ああ見えて結構繁盛してるんです」
葵はそう言うと、紫色の布越しに占い婆を呼ぶ。真白と紬は一歩離れたところで待っていた。
「ここ、真白ちゃんも来たことあるの?」
「みんな一回は来たことあるんじゃないかなぁ。結構当たるし、人望あるし。クリスマスとか大祭とかバレンタインとか、行事の前なんかは行列になるんですよ」
「へえ、そんなに人気なんだ」
「もはやパワースポットですね」
紫色の布からは想像し得ない繁盛っぷりだ。
葵が手招きをして真白と紬を呼んだ。
「入っていいって。空いててよかったですね」
「今って大祭前だもん、ラッキーだったね」
占い館の中は外観同様、紫色の布で覆いつくされていた。何枚ものちりめん生地の布を潜って横をすり抜けて、ようやく広い場所に出る。一脚だけの椅子と水晶玉を持った占い婆がこちらを見据えて鎮座していた。
八十歳は越えていそうな占い婆は霜髪をきつく束ね、紫色のドレスを着ている。鋭い眼光と威厳に気圧されながら、紬は会釈する。葵を椅子に座らせて、紬と真白は葵の背もたれに手をかけた。
「今日はどうした、初めて見る顔がおるな?」
「初めまして、由衣探偵事務所の探偵助手の遠香紬といいます。実は今、環町の外の森……神社の裏にあたる祠のところで事件がありまして。葵君が占い婆のことを教えてくれました。祠の話を聞いたことがあるとか」
「僕たちが小さい頃に話してくれた昔話に、祠の話が出てきましたよね」
そこまで言うと、占い婆は「ああ、あれか」と呟いて水晶を机の端にどける。机の下から取り出したのはバスケットに入った個包装のお菓子だ。
「お食べ、話が長くなる」
紬はチョコレートクッキーをもらった。占い婆は全員がお菓子を手に取ったのを見ると、自身も煎餅を食べた。
「実際にあった昔ばなしだ。むかぁーしに掻い摘んで話しただけだったのに、よく覚えとったね」
占い婆はそう言うと一拍置いて、一から話し始めた。
環町の昔話だ。
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