幽霊のいない環町 -5-
***
由衣は土埃の舞う道を歩いていた。環町の近くから伸びていた轍を辿って隣村を目指していたが、車は一台も通らない。見渡す限りの森。辛うじて残された道は心もとなく、分け入って進むほど山の奥へ迷い込んでしまっている気がする。道をふさぐ枝、倒れかけている大木、視界を遮る雑草。どこかでガサガサと音がするのは動物だろうか。本当にこの先に井守村があるのかと訝しみながらも、由衣は歩く足を止めなかった。
紬が環町で頑張っている。探偵不在の事件に一人で挑んでいる。頼りになる園寺も傍にいない。
焦燥感だった。
紬に置いて行かれるかもしれないと、最近つくづく思うようになったのだ。紬は成長している。探偵助手の名では申し訳ないくらい、立派になっている。それなのに由衣はあの頃から何も変わっていなかった。探偵としての実力も、ただ経験が積み重なっただけ。ふらりとやってくる稀な依頼人を待つばかりで、園寺が持ってくる事件に頼っている。
情けない。
梢の隙間に見える青空を見上げると、自分との落差に心が沈んだ。
森が開けて平坦な道に出る。大きな石がゴロゴロと落ちて歩き難そうではあるが、明らかに人の手が入った視界の開け方だった。由衣は井守村が道の先にあるのを確信して、砂埃の中を突き進む。変わらなければという衝動が由衣を突き動かしていた。
データによれば、井守村はとても小さな村だ。さすがに誰か住んでいるとは思うが、これだけ人気のない道を歩いていると、段々と不安になってくる。
しかし由衣の予想通り、井守村は存在していた。
民家がぽつぽつと建っていた。村の入り口で、由衣は立ち尽くす。ほとんどが捨てられた家だ。畑も荒れ放題で見る影もない。人の住んでいる気配は微かにするが……あまり、環町の情報は期待できそうにない。
由衣は少しだけ落胆したが、手ぶらで帰るわけにもいかず、村をくまなく見て歩こうと決めた。
村の入り口付近は廃家ばかりだったが、奥に行くと老人が三人ほど見受けられた。周囲にたくさんある荒れ果てた畑はまでは手が届かないのだろう。それぞれ、小さな畑で屈んでいる。
「こんにちは」
由衣は声をかけたが、誰一人として一瞥もくれない。気難しい老人たちの村らしい。近寄ってみれば、彼らは大根を引っこ抜いていた。大根の葉は大きく育ち、手塩をかけて育てられたのが一目で分かる。
由衣はめげずに話しかけた。
「少し、お伺いしたいことがあるんですけど……」
三人のうちの一人が、やっと手を止めて顔を上げ、由衣の方を見た。
「……おぉ腰が痛ぇ」
老婆は抜いた大根を持ってよろよろと由衣の元へ歩む。他の二人は黙々と作業中だ。よく分からないが、由衣を無視している他の二人の手前、老婆はあまり直接的に会話をしたくないようだ。
どうやら老婆は由衣を家に招いてくれるらしかった。そこで詳しく話を聞いてくれるのだろう。由衣は「ありがとうございます」とお礼を言って老婆の後に続いた。
老婆は土間から家に入った。一面にタイルの張られた調理場には釜や鍋が至る所においてあった。老婆は上り框に大根を転がして「よっこらしょ」と家の奥へあがる。老婆はつぎはぎされた障子の扉を開ける。するとそこは囲炉裏のある座敷で、映画の舞台のようだった。
老婆は横になる。由衣はその向かいで正座をし、自分が探偵で環町の事件を調べていると説明する。老婆は静かに聞き、深く考え込んでいた。由衣は老婆が話し始めるのを待った。
「……あの頃はよかった。タケちゃんとおひいがおって、楽しかった……」
「ご友人ですか? 井守村も昔はたくさんの人が住んでいたんでしょうか」
「竹とんぼにべえごま、いつも空ばかり見上げてたのに、今はこんな侘しい暮らしでよ……土ばっか見とる。あたしにも幽霊が視えれば、少しは違ったのかね……」
「! では、もしかしてこの村は、環町には入れなかった人たちの」
「追い出されずに済んだんだ。こんなちっこくて何にもない村に、あたしらだけがずっと縛られとる」
老婆は寝返りを打った。由衣にはその背中がやるせなさに震えているように見えた。
「若い連中はとっとと村を出ていくしよ、残されたのは移動する術もねぇ貧乏な家だ。老人は死ぬし、あたしらは金がねぇし。そんでこの人数まで残っちまった」
「……どうにかしたいと思うなら、今からでも足掻いてみるべきですよ」
老婆はそれには答えず、むくりと起き上がると調理場へ消えていった。何をしているのかと由衣が覗くと、バラバラと切った野菜を鍋に入れている。囲炉裏でスープでも作るのだろうか。
由衣は老婆の背中を眺めながら、環町に思いを馳せた。霊感がある人しか入れない、立派な町に。
***
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