幽霊のいない環町 -2-
葵は何時に学校が終わるのだろう。昼食後は女将に話を聞いて、それから神社の近くで聞き込みをすればいいか。
紬は上品なサンドウィッチを頬張った。
女将はロビーの受付にいて、紬は食べ終えた足で聞き込みをする。由衣の隣で証言を集める時は、手のひらサイズのメモ帳にこまごまと書いていたものだが、今日は忘れた。携帯でいいか、とメモのアプリを片手に開いて、紬は女将を呼んだ。
「すみません、お聞きしたいことがあるんですけど」
紬は鞄から名刺を取り出して女将に手渡す。
女将は目を見開いて、優美な仕草で頬に手を当てた。
「まあ。探偵の助手さんだったのね。……もしかして、何かあったんです?」
「椚原香々美さんをご存じですか? 年末から、環町に旅行に来ていた人で、えぇと……」
紬はグループ共有フォルダに入っていた、香々美の詳細が書かれたメモを見ながら言う。
「十二月三十日から一月三日に環町に来ていたんです。ここに、泊まっていませんでしたか? この人なんですけど」
紬は香々美の画像を女将に見せる。
「! あら、この方……ご宿泊されておりました」
「! へー、一発で当たった。私、運がいいですね」
「環町は大きな町ではありませんし、旅館はこの環町旅館だけなんです。あとはビル街にビジネスホテルがございますけれど……観光でいらしているお客様はこちらへご宿泊されることが多いんです」
「ああ、二択だったんですね。確かに香々美さんならこっちに泊まりそう。年末の休暇だったみたいだし」
「椚原様は何度か当旅館をご利用されております。今回もおひとりでご宿泊でした。椚原様をお訪ねになる方もいらっしゃいませんでした。一日中お部屋で寛がれてお食事もお部屋までお持ちする日もございましたし、かと思えば朝早くから夜遅くまでお帰りにならない日もございました。お外で何をされていらしたのかは存じ上げませんが、至って普段通り……特に不審な点はなかったかと」
「そうですか……最後に見たのは三日ですか?」
「えぇ。十一時にチェックアウトをされまして、それが最後になります」
「どんな服を着てたか覚えてますか?」
「とても華やかなお召し物をレンタルしていかれましたよ。鮮やかな赤い生地に白梅が咲いていらして、あら素敵なお着物をお選びになったのねってお声掛けしたのを覚えています。椚原様は微笑んでありがとうって仰って、あと……何だったかしら。これから○○なのよ、ってお聞かせくださったのですけど……」
園寺から送られてきた着物の情報とも相違ない。香々美の死亡推定時刻は三日の午後一時。チェックアウトしてからも環町を出ずにふらふらしていた時間が長い。香々美が自ら着物を着て向かった場所はどこだろう。やはり三が日……神社に初詣だろうか。
「初詣って言ってませんでした? それか、この辺に着物を着ていないと入れない場所とか、イベントとか、お祭りとかありました?」
「ああ、初詣……そうね、初詣だったと思うわ。そう思ったの。でも「初詣」とは仰ってなかったのよ」
「なるほど? でも向かう先は神社だったわけですね?」
「そう思ったわ」
これで大体の香々美の行動が分かった。チェックアウトした後に神社で初詣……そして裏の獣道を発見して祠へ向かった……。
紬は女将にお礼を言い、ロビーに備え付けてある環町の観光リーフレットを手に取った。
「そうだ、貴女も着物のレンタルをしていかれたら?」
名案だというように女将は手を叩く。聞き込みをしたとはいえ、リーフレットを持っていたから観光客扱いなのだろう。紬はリーフレットに目を落としてから、郷に入っては郷に従え、と香々美の後ろ姿を追おうと決心した。
「私にも着物をお願いできますか?」
それから女将が選んだのは、黒地に大きな椿が咲いた着物だった。赤、白、黒の配列は大胆なのに計算し尽くされたバランスで、ずっと眺めていたくなる。紬はどうにか着せてもらうと、着物と同じ柄のバッグを借りて荷物を詰め込んだ。
紬は旅館を出てテレビ通話画面にすると着物を由衣に見せた。
「由衣さん、見てください。着せてもらいました」
『とても可愛いね。私も一緒に行けなかったのが残念だよ』
「へへ」
紬はずび、と鼻水を啜る。思いの外、着物は温かかったが、一歩外に出るだけでやはり寒さは身に染みる。首を竦め、携帯を胸元に忍び込ませると、紬は早歩きで神社へ向かった。リーフレットを持つ手が瞬く間に冷えて、カイロを持ってくればよかったと後悔した。
リーフレットによれば、旅館から葵の住む丘をぐるりと回った先に学校がある。そこから環町の境界線へ向かって歩けば神社だ。
丘の下は普通の住宅街で、観光地には程遠い景色だった。葵の通う学校は人数の問題か小中高一貫校らしく、グラウンドにはビー玉みたいな子供から、紬より背の高い男の子までが遊んでいた。年季がおんぼろへ傾いた校舎はどこも同じような見た目だ。紬も自分が通っていた学校を思い出して郷愁を覚えた。
学校から神社までの道は旧街道だ。角笠を被ったような家が立ち並ぶ通りで、さながら宿場町の風情がある。
紬はすっかり観光客の体で、携帯を掲げて由衣に見せた。
「見てください由衣さん、すごいですよ」
『……ああ、本当だ。温泉街みたいだね』
由衣の声の後ろからは鳥や虫の声がしている。
「? 由衣さん、どこか行くんですか?」
『環町の隣村にね、行ってみようと思ってるんだ』
「隣村?」
『環町からは少し離れてて、隣ではないんだが……環町にゆかりのある、霊感のない人がいればもしや、と思ってね』
武人さんが言うには環町の周りは森と川。由衣はどこに向かっているのだろう。
「なんていう村ですか?」
『
紬は地図のアプリですぐさま検索する。すると、本当に赤枠で井守村が囲われた。環町の三時の方向、事件のあった祠とは真逆の位置に、森を隔てて井守村はあった。環町と同じ、周辺には商業施設一つ建っていない。バス停のマークもない。
「小さい村ですね。人住んでるのかな」
『どんな村かは行ってみれば分るよ。私もじっと待っているのは苦手でね、これで何かのヒントが見つかればいいんだが』
紬は神社に到着したので携帯を胸ポケットにしまった。ひとまず、由衣が祠の近くへ向かおうとしていなくてよかった。いくら由衣に霊感がなくて幽霊に見逃されているとしても、悪いものがいると分かっている場所に由衣が向かうのは嫌だ。
けど、もし向かう先が祠だったら、境界線越しに由衣さんに会えたのだろうか……。
それはそれで悪くない。寧ろ危険がスパイスになる。紬は境界線に手をつく由衣の姿を想像して楽しんだ。
神社はこぢんまりとしていた。本殿と拝殿が一体になったお社に、柄杓が一つだけの小さな手水舎、赤い鳥居は入り口に一つだけ。本殿の右手裏には広場があり、神楽殿らしき建物。その裏には社務所がある。町の人によほど大切にされているのか、どこも人の手が行き届いている。丹念に掃除された綺麗な境内だ。
社務所に行ってみよう。
紬は神主を探して、臆せず社務所の戸を叩く。
「すみませーん、誰かいますよね」
明かりは付いている。紬の声に反応した誰かの影がすりガラス越しに見えた。やがて出てきたのは装束姿の矍鑠とした老爺だった。
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