探偵助手はさみしがり -7-
「あの、私はしばらく……環町に留まってた方がいいんですか」
紬は由衣の顔色を窺う。香々美を探すとは言ったが、もう普通に怖い。由衣と離れないで済む方法ばかり考えていた。
しかし由衣は顔色を曇らせると、憂慮するように葵を見て、
「香々美さんは亡くなっていた。祠の近くで……和也が警察に報告してる」
「! え、それって」
「変死だ。恐らく焼死だろう。火傷で遺体の損傷が酷い。所持品から武人さんが特定したんだが……紬君の言っていた幽霊の見た目も」
「焼けてました……関係あるかも、なんですね」
由衣は顎をつまんで考え込む。
「紬君は環町の中にいてくれるかい? 和也からも近い内に正式な依頼がされるだろうし、紬君は今は安全なところにいて欲しい」
「そう、ですよね……分かりました。由衣さんの頼みなら」
「しばらくは不安にさせてしまうが……すまない、こちらも全力を尽くそう」
由衣は長いまつ毛に影を落とした。紬は由衣の助手になってから、一晩と離れたことはない。常に視界のどこかに由衣がいなければ不安だったし、その隙を狙われて幽霊に酷い目に遭わされたこともある。由衣も心配だったのだろう。紬が一人でやっていけるのか……紬はずっと、由衣の前で離れたくないと駄々ばかりこねていた。
紬とて抗議できるならした。けれどさすがに紬も大人だ。園寺が一人で背負わされている、手に負えそうもない事件と責任。香々美さんが不審死を遂げ、紬は危うく幽霊に殺されかけた。
嫌でも分かる。紬は環町で悪霊から逃れるべきだし、園寺も助けを必要としている。紬にしかやれない。
「やりますよ。だから、由衣さん。電話は繋げたままにしといてくださいね」
「ああ、もちろん。紬君がそれで安心できるなら」
紬は由衣の背中を見えなくなるまで見送って、葵に向き直った。
「…………ずいぶん、大げさな別れですね」
「そう? で、葵君が行きたいところってどこ?」
「占い婆のところです。祠の話を聞いたことがあって……よく覚えてないんですけど」
葵はそう言いながら紬のスーツケースを見る。紬は宿泊予約サイトで安価できれいな旅館を予約しながら聞く。
「先にスーツケース、置いてきていい? 環町旅館ってとこなんだけど、行き先と離れてる?」
「いえ、そっちの方向です」
環町は普通の町だった。
紬の鼻先を一月の冷たい風が吹き抜けていく。やっと寒さにまで目が行った紬は、スーツケースの上に入れていたマフラーを引っ張り出して鼻まで覆った。二回目の列車が鉄道橋の上を通り、白い息が立ち昇っていった。
鉄道橋近くはビル街だと葵は言った。
「あそこの角の一階に喫茶店があって、プリンが美味しいんです」
「へえ。じゃあ今度ご馳走するね」
「ありがとうございます」
葵は寡黙で、必要なこと以外話さなかった。紬は黙って歩きながら、ビルを見上げたり意味もなく後ろを振り返ったりする。
「環町って……本当に幽霊、いないんだね」
紬は都内でたくさん酷い目に遭った。ビルにはサラリーマンの怨念が詰まっているのだ。必要以上に罵倒され、己を犠牲にして会社に通った生霊の恨み。見上げれば確実に逆恨みをされたし、後ろを振り向けば後を付いてくるタイプの霊と目が合った。
けれど環町に入ってから、紬がいくら探しても見つからない。ビルにも、背後にも、道路にも。いろんな色が混ざり過ぎて黒く変色した幽霊の感情が、綺麗さっぱり洗い流された町。それはとても新鮮で、同時に物足りない気がした。
「僕はこの町から出たことないので見たことないですけど。この町の外には、あんな化け物がうじゃうじゃいるんですか?」
「あれは特別。私もあそこまで凶悪な奴には初めて遭遇した。ほんと、葵君がいなかったらどうなってたことか……」
考えただけで嫌な気分になった。
紬個人への恨みがあの悪霊を突き動かしたのならまだ分かる。紬が祠を蹴り飛ばしたとか、古いお札を剝がしてしまったとか。それならまだ分かるのに。
紬はただ見ただけだ。祠から滴る暗い憎悪だった。
思い出すたびに鳥肌が立つ。紬は大きく息を吸って瞼の裏にこびりついた映像を追い払うと、思考を切り替えて葵に尋ねた。
「学校ってこの辺なの? 中学生かな?」
「いえ、学校は神社の方です。ここから二十分くらいの」
「え、じゃあなんでまたここに? 家がこの辺なの?」
「家は丘の上です。環町の中心に丘があって。本当はさっきの喫茶店でプリンを食べようと思ってたんですけど」
葵は言葉を区切ると、紬の目をよく見た。
「信じてもらえるか分かりませんが……僕、神様憑きなんです」
葵は真面目な顔で告げた。
「神様……つき?」
紬は目を瞬かせる。
霊感のない人は幽霊の存在を信じない人もいる。存在の証明ができない、現実的じゃないと。紬からすれば、よくもそんな能天気な、と呆れる話だ。凝り固まった思考は天動説を受け入れられなかった人たちと同じだ。自分の物差しで測れる物事しか信じない。
じゃあこれは、と紬は自問した。
神様なんて視たことない。聞いたこともない。だから、この実直そうな葵の話を一笑に付してしまうのか。
違う。
それは駄目だと、それだけは分かった。紬は少し不安げな葵に頷いて見せて、続きを促した。
「神様の
「ご両親は知ってるの?」
「環町の人はみんな知ってます。僕は地主の長男だし、お役目があるから神様が見守って下さるんだって占い婆も言ってました」
「お役目って何? 風習とかがあるの?」
「ええと……そうですね。神様の手足となって環町を護るんです」
葵だけの虚言でないことは分かった。実際、環町は幽霊を払う境界線がある不思議な町だ。疑問は挙げればきりがなかったが、だからこそ何を聞くべきか分からなくなる。そういうものがあるのだと、紬は無理やり納得することにした。その珍妙な表情を読み取ったのか、葵は「あと……」と付け足す。
「さっきの幽霊の件とも繋がると思います。今、この環町は本厄なんです。それから、贄の子が見つからない」
紬の知らない環町の憂いごとだ。本厄は園寺が言っていたものだろう。自動車事故で、三人が亡くなった。不運が起きやすい年……もしくは事件の起きる年。
けれど――。
「贄の子? って、何?」
「ええと……神様に奉仕する人のことです」
「? ……?」
「……占い婆に詳しく話してもらいましょう」
葵は説明を諦めると、曇りのない瞳で紬を見上げる。
「だからさっき、プリンを食べないで急いで向かったんです。御霊が鉄道橋の境界線に悪い気配が迫ってるって教えてくれたから」
「そうなんだ……じゃあ、御霊にもお礼を伝えてくれる? 私が助かったのは二人のおかげだから」
「はい。――ここが旅館です」
素直な子だ。紬は胸ポケットの重みを感じながら、環町旅館を見上げた。
宿泊サイトの写真通りの日本家屋だ。環町の中心の丘、葵の家の麓に位置する環町旅館は、連子窓の向こうにライトアップされた木々が映える。明かりが点いているのを見て、初めて紬と葵は周囲が薄暗くなっていたことに気付く。
「暗くなっちゃったね……そっか、もう五時になるのか」
「占い婆は明日にしたほうがよさそうですね……僕の家はこの丘の上なので、明日学校が終わって、帰ったら連絡します。連絡先を聞いていいですか?」
紬は葵と連絡先を交換し、葵が丘の緩やかな上り坂を登って行くのを見届けた。それから由衣に話しかける。
「由衣さん、着きました。今日からここに泊まります」
カメラを旅館に向けて、また携帯をポケットにしまう。スーツケースを引く手はすっかり凍えていて、旅館から漏れている暖かい風に、歩く足も早まった。
『いい場所だね』
由衣の穏やかな声を聞き、紬は知らずの内に気を張っていたと気付いた。
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