探偵助手はさみしがり -2-
***
遠香紬には霊感があった。それはもうはっきりと幽霊が視える。これまで霊感があってよかったこともあるにはあったが、大抵は押し付けがましい幽霊の、ありがた迷惑だった。「視えるの?」としつこく付き纏うキャッチの如き浮遊霊から、伽藍堂の黒目で恨みがましく紬を呪おうとする地縛霊から。紬にとっては往々にしてあるものだ。慣れているとはいえ、やはり隣に座る霊感ゼロの優雅な探偵を見ていると。親と勘違いして紬と手を繋ごうとする子供の霊が視えない彼とは、別の世界に生きている心地で、眩しい太陽のように恨めしい……違う、羨ましい。
「紬君、着いたって」
ブラウンのスリーピーススーツを探偵らしく着こなす由衣孝彦は、携帯を内ポケットにしまった。渋かっこいい格好なのに、ふわふわ癖毛なのが由衣らしい。
紬が携帯を見ると、グループトークには確かに園寺和也から「着いた」とメッセージが入っていた。
「お迎え行ってきます」
紬は事務所を出て、音の響く階段を下る。コンクリート打ち放しの殺風景な雑居ビルは、二階が由衣探偵事務所、一階が中華料理屋、三階は空きテナント。四階はこのビルの所有者が住んでいる。紬が道路まで出ると、五十メートルほど遠くのコンビニから園寺がちょうど出てくるところだった。
紬が手を振ると浮遊霊が寄ってくるので、園寺が気付くまで待つしかない。薄着で出てきたしまったことを少し後悔しながら、紬は両腕を抱いた。警察という硬派な職業であるのに、どこか洒脱な雰囲気を漂わせる園寺は、カフェで勉強している大学生のようだ。紬はただぼうっと眺めているのに居心地の悪さを感じたが、それも束の間、さすがの気配感知で園寺はすぐに紬を見つけて手を振った。
「紬ちゃんわざわざありがと。行こうか」
園寺は蓋付きのカップを紬に渡す。
「ホットミルクですか。ありがとうございます」
「この間飲んでただろ」
「よく見てましたね」
「偶々な」
園寺は嘯くと、歩き慣れた探偵事務所までの道を悠々と歩いた。一月の東京は年々暖かくなっているような気もするが、結局外に出れば鼻水が出るほど寒い。紬は早歩きしながらホットミルクを両手で包み込んで暖をとった。
事務所に着くと園寺は我が城のようにコートを脱ぎ捨て、応接用のソファに足を組んで座る。由衣はにこにこと嬉しそうに園寺を見ていた。
「久しぶりだね。忙しかった仕事は一段落ついたのかい?」
「どんな仕事もいずれ終わるさ。由衣こそ最近暇だろ?」
「この間の事件っきり、依頼は来ていないからね。いいことだよ」
「警察は山ほど事件抱えてるぜ。由衣んとこも依頼人からの電話待ってるだけだと食いっぱぐれんぞ」
園寺は言いつつも、にやりと笑って胸ポケットから紙片を取り出す。紬たちは事前に園寺から依頼があると電話で聞いていた。警察の手に負えない、幽霊関連の依頼である。
由衣は居住まいを正す。話し込む気配を察知した紬は由衣の隣に座った。
「警察からの依頼を聞こうか。難航してるのかい?」
「まーな。厄介な案件なんだ」
園寺和也。彼はキャリア警察で出世街道を爆走している警視だ。警視庁刑事部捜査第一課管理官。普段は警視庁勤めだが、一度事件が起きると所轄の捜査本部で陣頭指揮を執っている。彼は大学こそ違えど、大学時代に不思議な縁で由衣と紬と仲良くなった。それからは親友として、休日には用もなく事務所に遊びにくるのだ。由衣が探偵をする上で警察に多少の融通を利かせてもらっているのも、園寺の好意によるところが大きい。
仕事モードの園寺は一転して敏腕な雰囲気を纏わせる。普段の靴下を脱ぎ散らかす姿からは想像できない鋭さが目に宿る。紬はやっと冷めてきたホットミルクを飲みながら、二人の観察をしていた。
「環町……って知ってるよな?」
「あぁ、奥多摩の方の……」
「正確にはちょっと場所違うけど。面倒なことに、あそこで事件が起こるらしくてさ」
園寺にしては珍しく歯切れが悪い物言いをする。
「起こる、らしい? それで和也が動くのは……妙だな」
「実際おかしいんだ、この環町ってのが」
「私、知ってます。環町って幽霊がいない町ですよね」
紬は前にやけくその現実逃避で、幽霊のいない町に行きたいとネットサーフィンをしていたことがある。その時に偶然行き着いたのが、匿名掲示板で有名な環町だった。
――環町。
止まらない列車が輪を描き、町を囲い込んでいる。踏切はなく、車が行き来できる道路は、高架になっている一箇所しかない。人々は速度を落とした電車に、観覧車の如く乗り込むという。
――幽霊。
『なんとなく気分が良くない』から『そこに視える』まで。ほんの少しでも霊感を持つ人のみが高架を通過できる。車でも自転車でも、徒歩でも。霊感がからっきしの人は、高架を潜ろうと思っても、視えない力に押し戻されて、そこには壁があるのだという。
環町の中には幽霊がいない。
それ故に霊感体質で困っている人は環町に移り住むことも多い。
紬の説明に由衣はへぇ、と言葉を漏らした。
「都市伝説かい? 幽霊がいるのを実証するのは難しそうだが、その逆は……どうなんだ?」
「由衣さんにとってはどこの町も環町ですね。霊感ないから」
「そう晴れやかに断言されるのも寂しいな」
紬は依頼人として訪れている園寺にコーヒーを淹れていなかったと思い出し、簡易キッチンに赴く。インスタントコーヒーをスプーンで一杯掬っている間にも、二人の話は先へ進む。
「それで、その環町でやっかいな事件が起きる? 詳しくは分かっていないのかい?」
「今分かってる時点では、今年の環町は厄年で、その年には必ず不可解な事故――もしくは事件が起きる。そんで既に一件、年明けて数分で不運にも自動車事故、三人亡くなった」
「それは――偶然にしては出来すぎてるな」
紬はお湯を注ぎながら数える。仕事始めの六日が過ぎて三日、今日は一月九日。環町はそれほど大きい町ではなく、どちらかといえば村に近い。環町の周りを山手線よろしく囲う電車も、距離の短い六駅で足りている。町民も人口密度的には普通、死亡事故は珍しい範囲で、本厄でなければ滅多なことは起きない平和な町らしい。
「しかも起きた場所が環町だろ? 霊感のある警官しか中に入れないんじゃ仕事も滞る」
園寺にも霊感はない。紬はコーヒーを盆に乗せて園寺に差し出した。
「お、ありがと」
「ありがとう、紬君。ところで紬君は……環町には行ってみたいかい?」
「…………見え透いてますよ。私はただの助手で、行っても何も出来ません」
「おや、聞かれていたか」
「丸聞こえです。というか、本当に環町には霊感のある人しか入れないんでしょうか? 迷信では?」
あまりに嘘くさい。掲示板にはああ書かれていたが、霊感なんて目には見えないのだ。入れれば誰でも霊感があり、諸事情で入れなければ霊感なし。噂を聞きつけてやってきた人は、何もない場所に壁を感じたような気になって吹聴する。ループしているだけではないのか。
「とりあえず行ってみようぜ。確実に霊感がある紬ちゃんが入れて、俺らが入れなきゃガチってことだし?」
「それだと困りますけどね」
「この件、忙しいからって一課長のトギさんが俺に一任してんだわ。俺も出世かかってるからよろしく」
園寺は全責任を負わされているとは思えないほど軽い口調で紬の背を軽く叩いた。紬としては正直、環町にはあまり関わりたくなかったが、目の前にもっと深刻な状況に立たされている人を見てしまうと、あまり駄々はこねられなかった。
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