プロローグ -2-
由衣は未だ納得のいかない顔をした春に向き直る。
「海さんはとっさに隠れたんだろう。このソファの影とかにね。春さんは幽霊の何を見たのかな? 顔、手、足?」
「えと、後ろ姿です……透けてて、私が叫んだら、こっちを見たんです」
「それが空さんの幽霊です」
紬が断言すると春は目を見開き、口を手で覆った。
「う、嘘! 空ちゃんはもっと可愛くて、明るくて……全然違った! あんな幽霊じゃない!」
認めない春に、由衣は腕を組んで紬に視線を送る。由衣には霊感がないので、この手の話はよく分からないのだ。けれど紬はよく知っている。
「生前と全く同じ姿で幽霊として現れる方が稀ですよ。私はたくさん幽霊を見ていますが、生きている人間と見分けのつかない幽霊なんてそうそういませんよ。みんな一目で幽霊だって分かります。そのくらい未練の色に歪んでしまっているんです。幽霊には実体がありません。霊魂も所詮時間には抗えない感情です。恋慕は嫉妬に、崇拝は怒りに、優しさもいずれ黒ずむ。この世に留まり続けるエネルギーとして、より苛烈な感情に引っ張られていくんです」
「そ、そんな……」
春は言葉を失くして海を見た。海は爪をいじりながら反論する。
「私にはアリバイがあるし」
確かに、被害者の死亡推定時刻に海はコンビニのカメラに映っていた。だからこそ警察は海を疑いきれず、幽霊事件だと由衣の探偵事務所に依頼したのだ。けれど紬からしてみれば、幽霊のトリックはとてもお粗末なものだった。
「あれは空さんでしょう。実体のない霊魂は瞬間移動だってできる。なにより幽霊というのはカメラに映るのが得意なんです」
「証拠は? そこまで私を犯人扱いするならあるんでしょ」
海は唇を歪めて笑う。警察もお手上げ。探偵には霊感がない。この事件には物証がひとつもない。でも。
「幽霊に証拠なんてあるわけないじゃないですか」
「…………は?」
「幽霊の存在を証明するのはとても難しいことです。カメラに映ったところで本物かどうか怪しまれます」
いくら霊感のある人が「ここにいる」と指を差しても、霊感のない人からすれば「何を言っているんだ」と思われる。目に見えないものは証明なんてできない。
「そんなんで私を犯人だって、よく言えるね」
紬は少しだけ笑って見せた。
「いいんですか、そんなこと言って? 空さんが大地君にしたように、大地君が海さんに同じことをするかも、とは思いませんか?」
「……なに、言ってんの」
吐き捨てた言葉に滲む『もしかしたら』。海は青くなる。握った拳が震えている。
「私、他の人よりすごく霊感が強いんです。だから見えるんですよ、海さんの後ろに」
「やめてよ。そういうの悪趣味なんだけど」
海の声は恐怖に震える。けれど紬は構わず追撃した。
「でも……本当にいますよ。首にロープの痕がある。まだ亡くなって日も浅いのに、もう増悪を募らせて」
「やめてってば」
海はソファから崩れ落ちて地面にへたり込む。
「海さんを見下ろして、恨んで……もう数か月したら、これは立派な怨霊に」
「やめてやめてやめて! わ、私はただ! 空の願いを、叶えたかっただけなの……!」
大地の幽霊に怯えた海は耐えられなくなって、紬の足元に這って避難する。
それまで黙って事の成り行きを静観していた園寺は、ふぅと息を吐いた。ポケットから出した手には手錠が握られている。園寺は海の前にしゃがむと、海と目線を合わせる。
「海ちゃん。いいか?」
海は抵抗しなかった。ずっと堪えていたものが溢れ出したのか、しゃくりあげながら園寺に縋った。
「そ、空は何にも悪くなかった。私よりずっといい子で、高校生になるのを楽しみにしてたのに……あいつは! 私はあいつに死んで欲しかった! 空も同じ気持ちだった! だから私たちは殺したのよ!」
「落ち着けよ、続きは署で聞くから」
園寺はそう言うと、外で待っている部下に連絡を取って海を引き渡した。春は呆然と、海の後を付いて行く。
紬と由衣と園寺の三人きりになった部屋の中で、由衣は不安そうに紬に聞いた。
「本当にここに幽霊がいるのかい?」
「大地君の怨霊はいません。でまかせですよ。そうでも言わないと認めないじゃないですか」
「証拠がねぇから自白一択だったもんな。半分脅しだったけど紬ちゃんナイス」
由衣の深刻な顔とは反対に園寺は面白がっていた。
「でも脅しはあまりよくないね、紬君。恐怖というのは時に冤罪を生むものだ」
「私はただ、そこに幽霊がいると言っただけです。それであそこまで怯えるのなら、それが最大の証拠じゃないですか? だって、幽霊に証拠はありませんからね」
自分が何をしたのか自覚があればこその恐怖だ。人は皆、自分に嘘は吐けない。
「大地君の幽霊がいる。それが何を意味するのか。犯人ならよく分かっているはずです」
紬がそう言い切ると、由衣も理解した顔で頷いた。
「紬君は日に日に成長しているね。私も負けていられないな」
「由衣さんがいるから頑張れるんですよ」
園寺が呆れた視線を送ってくるが、紬はお構いなしだった。由衣も笑って受け入れてくれるから猶更、紬は安心して由衣の隣にいられるのだ。
海と春の乗った車が遠ざかっていく。冷たい隙間風に乗って聞こえてきたエンジン音はいつまでも聞こえていた。無人ビルを後にする園寺と由衣を追いかけて、紬は部屋に背を向ける。部屋の暗がりに溶け込んでいた空は、鬼哭啾啾と掻き消えた。
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