ヒロイン無くして純愛成り立たず

「でさー?雪先輩ってば―――」


俺の隣に座る、目の前のラーメンには一切手を付けずひたすら自分の恋人の話をしてくるクラスメイト、井口に適当な相槌を打ちながら、黙ってカレーライスを食べる。

普段は母さんが弁当を作ってくれるのだが、今日は彼女が寝坊した為学食になったのだ。

安い分どこか味の薄いカレーライスを口に運びながら、考えるのは井口の話についてではなく昨日の夜の事。食堂に飽和している生徒たちの喧騒や井口の惚気話なんかが聞えないくらい、俺の意識は遠い場所にあった。


(好きな人、ねぇ)


夜の住宅地に響き渡るような声量で聞かれたあの事が、どうも頭から離れない。

彼女は俺のここ最近の変化の原因が、恋愛にあるのではないかと考えていたようだ。それで気になって質問してみた、という事らしい。

あの時は「別にそういう訳じゃないよ」と言って納得してもらったが、好きな人……つまりヒロインについて深く考えていなかった事実に気づかされ、何とも言葉にしがたい感情を抱く事になってしまった。


愛島純也に、物語開始時点では特定の想い人はいない。ストーリーを進めていく都度、ヒロインの好感度が上がると同時に純也からヒロインに対しての感情も変わっていくのだ。

今はゲームで言う所の共通ルート。つまり、まだ誰にも好意の類を抱いていない状態。彼の感情も、記憶も、一人を決めるための判断材料には使えないのである。

そして俺は優柔不断。ヒロインを一人決めて、その子とだけ幸せになる……まぁ、純愛厨を自称する以上そういう欲求はあるが、じゃあ誰と付き合いたい?と聞かれればすごく迷う。

なんせヒロイン達、全員俺の好みドストライクなのだ。ただでさえ優柔不断な俺に、一番を今すぐ選べなんて難題過ぎる。


―――まぁ、まだ焦る必要はない。現状ネームド竿役(個人名が登場し、複数のルートに登場するようなボスキャラ的存在)が猿島と監督以外に登場していないし、本格的に寝取られイベントが開始するのはもう少し後の事だ。

ルート決めはハッピーエンドを目指すにあたって最も重要な事だ。急いで後悔の残るようにしたくないし、慎重に、丁寧に考えよう。


……って事を昨日から何度も決心しているはずなんだが、なんというかこの時点で先が思いやられる。


「おい、聞いてんのか?」

「おうともよ。やっぱここのカレー薄いぜ」

「いや全く聞いてねぇし関係ねぇし味は普通だよ」

「ツッコミ凄いな」

「うっせ」


最後の一口を食べ、両手を合わせる。ボーっとしていた俺なんてお構いなしに話し続けていた井口も、あのマシンガントークの合間にちゃんと食っていたようでどんぶりが空になっていた。

結構いい時間が経過していたようで、隙間も無いと言ってよいほど混雑していた食堂は座席に空きが目立つようになり、時計を見ると後十分もしないで五限目が始まる時間だった。


「さっさと教室戻るか」

「まぁ待て、俺の話はまだ終わってねぇ」

「先に昼休みが終わるだろ。話してて良いけど俺は先に戻るぞー」

「ソレ意味ねぇじゃねぇか!!」


怒鳴りながら俺の後をついてきた井口は、結局教室に戻るまでの移動の間も、恋人との話を延々とし続けてきたのだった。


※―――


「ねぇ、純也。少し話があるんだけど」


靴箱から靴を取り出した丁度その時、背後から声をかけられる。声の主は朱音。俺と共に陸上部を退部し、現在帰宅部の少女。『愛する彼女が堕ちるだけ』のヒロインの一人であり、天真爛漫の擬人化のような少女だが……。


「どうした?なんか元気ないけど」

「そんな事は無いと思うけど……それで、今良い?」

「まぁ、あまり長くならないなら別に。この後バイトの面接あるし、それに間に合わなくなるようだったらまた後日って事になるけど」


浮かない表情の彼女は、俺の言葉に少し目を見開いて、小さく「意外」と呟いた。

恐らくは、俺からバイトという言葉が出てきた事だろう。母さん達にも言われたし、俺自身純也らしい発言ではないとわかっているからソレは良い。


「純也、バイトするの?」

「おう。部活も辞めたし、社会経験?ってヤツも欲しいし。まぁ、一番の理由は小遣い稼ぎだけどな」

「そ、っか。凄いね、純也って」

「?何が?」


なんだか要領を得ない彼女に、俺は本気で首を傾げる。何を言いたいのか、そもそもなぜ暗い雰囲気を纏っているのか、全くわからない。

鈍感系の純也と混ざったからなのか、元々俺自身が相手の感情を理解できない人間なのか。原因はともかく、寝取られ完全回避を目的に掲げる俺としては、相手の感情の機微がわからないのは中々不味い。ヒロイン決めの話と言い、俺の『何とかしなければならない事リスト』が充実しているな。全く嬉しくない。


俯き気味のまま、朱音は口を開く。


「私、何をすれば良いかわからなくなっちゃってさ。そりゃもうあの部活には戻りたくないし、当面は男の先生と関わるような事、したくないよ?でも空いた時間に何をするかとか、何がしたいのかとか、考えれば考える程わからなくて……全部自由時間にする、って言っても、ソレはなんかモヤモヤして嫌だし」

「なるほどねぇ」


元々は純也を支える、純也と近づく、という理由で始めていたマネージャーという役職も、いつしか彼女にとって欠かせない物になっていたという事だろう。

実際、俺以外の部員が何らかの活躍をした時でも一緒になって喜んでいたし、何なら選手よりも部活動に熱く燃え上がっていたようにもみえた。

そんな彼女が、あんな事があったからとは言え部活を突然辞める事になれば、言いようの無い漠然とした不安に襲われても無理はないだろう。


俺ですら、未だに部活に対して未練がある節があるのだ。純也の残滓でこれなのだから、純度100%の彼女が抱える未練は相当の物のはず。


俺も朱音も靴を履き、外に出る。まだ太陽が眩しい。面接まで、まだ時間がある。

無言のまま校舎を出て、近くの公園に向かう。ベンチに座って話をするためだ。俺の意図を察しているのか、彼女は特に何かをいう事無く黙って付き従ってきた。


「……で、なんでそれを俺に?」

「純也の方が、部活に熱中してたから。私と同じか、それ以上に悩んでるんじゃないかなぁって思って、どうすれば良いか相談しに来たの。だけど、純也は意外と割り切れてたね」

「まぁ、色々悩んだ末、だけどな。俺だって部活辞めるのは心苦しかったさ。けどほら、俺の方は替えがあるとか色々言われたし。そのせいで妙に冷めちゃったってのは確かにあるな」


それが違いじゃねーの、と笑いながら近くの自販機でジュースを買い、投げ渡す。朱音は特に慌てることなくソレをキャッチし、「ありがと」と呟いてプルタブを開けた。


「どこでバイトする予定なの?」

「コンビニ。面接あるって言ったけど、もう殆ど日時とかも決まっててさ。形式上だよ形式上」


実はほぼ個人経営なので、そこら辺自由なのだ。まぁその自由さが原因で寝取られの温床になるわけだけど、その話は実際にコンビニの竿役と対面した時にでも話そう。


俺の分のジュースも買って、ソレを飲みながら朱音の隣に座る。野球部が校舎の外を走り込んでいるのが、このベンチからは良く見える。

純也の記憶が微かにフラッシュバックし、ペットボトルを握る手に力が入った。


「私も何か、バイトとか始めてみようかな」

「悪くないとは思うけど、どこで働くんだよ」

「それこそ純也と同じコンビニとか」

「多分俺が入ったら求人終わると思うけど」

「え、そうなの?」


本当はそんな事無いだろうが、何度も言っている通りコンビニは寝取られイベントのある場所なので、朱音に来てもらう訳にはいかない。

いや、下手に違うバイトをされてそこでゲームに無い寝取られイベントが発生する……なんて事になる方が困るか?でも危険だってわかってる場所に敢えて連れてくるようなリスクを負う必要があるのかと言えば……悩ましいな。


色々と考えている俺に、朱音は空を見上げながら笑った。

悩みがある、といった最初の様子から一変して、なんだか憑き物が取れたようだ。


「なんか、純也と話してたら悩んでたのが馬鹿みたいになってきちゃった」

「それ、良い事なのか?」

「うん。良い事。純也君が前向きに頑張ってるのに、私がくよくよしてても仕方ないって思えたし、それにやりたい事も見つかったし!」

「やりたい事って、まさかバイトか?」

「ううん。やりたい事については、あまりさっきの会話は関係ないかも」


よっ、と勢いよく立ち上がり、眩い笑顔をこちらに向けてくる。なんだかよくわからないが、バイトに行くって話じゃないなら一安心だ。仮に彼女がバイトしたいと願うようなら、別に無理矢理止めるような真似はしないが。


「私、良い大学入ろうって思ったの」

「………というと?」

「きっかけは特にないよ?ただ、純也がバイトするって聞いて、でも同じバイト先に行くのが難しいってなったら、他に学生らしい事ってなんだろうーって改めて考えてみたの。そしたら受験とかどうかなって。パッと思いついちゃった」


朱音は元々成績が良く、そちら方面でも期待されているという描写がゲームでもあった。本来なら部活に全身全霊を尽くしているからあまり受験勉強についての話をしていなかったが、今は部活を辞めているのだから、より高いレベルの大学を目指す事も可能だろう。

これなら多分、ある程度竿役の影も無いだろうし………うん。良い流れが来ている。


「良いんじゃねぇの?応援するぜ」


これでも前世の俺はそこそこ良い大学に入りそこそこ良い企業の内定を貰っていた半分エリート。彼女が勉強だとかなんだとかで息詰まる事があれば、出来る限り力になろうじゃないか。

胸をドンと叩きながら言うと、朱音は「えー?純也がー?」とやや失礼な事を言いながら笑い、そして中身の無くなった缶をゴミ箱に投げ入れて、


「でも、ありがと!これから頑張ってみる!」


コイツはこうじゃ無いとな。そんな感想が脳裏をよぎる。

それがゲームでの彼女を知る俺の素直な感想だったのか、純也自身の思いだったのか。それは俺にもわからない。

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