始まる学生生活②
帰りのホームルームが終了し、一時静かになっていた生徒たちが喧しさを取り戻す。
一人帰り支度を済ませ足早に教室を去って行く者や、友人との雑談に興じ居座り続ける者など。思い思いの事をしている生徒たちを視界の隅に映しながら、さっさと部活に向かおうとカバンの中身を再三確認し、立ち上がる。
その瞬間、声をかけられた。振り返ればそこには、ニヤニヤしながら近づいてくる
「なんだよいきなり。この後部活なんだけど」
「つれねぇなぁ。アレだよアレ。前に言ってたヤツ、貸してやろうと思ってな」
「前に言ってたヤツ?」
「忘れたとは言わせねぇぞ~?ほら、これだよ、こーれ」
カバンの中身をチラリと覗かせ、気持ちの悪い笑みを深める。
俺はその中身と、キャラ設定の知識とで全てを察し、半眼で彼を睨むようにしながら、
「お前、今出す事ねぇだろ。まだ先生いるじゃねぇか」
「このスリルもたまらねぇだろ!って言いつつ、実は俺がこの後用事があるんでな。部活終わりを待つのが無理だから今しかねぇんだ。ほらさっさと受け取れ」
教斗と同じくゲーム本編でも名前が出ていた友人、
彼は所謂悪友というヤツで、純也に対し……というか、誰が相手でも猥談を繰り広げる筋金入りの変態だ。
女がいる場所でもお構いなしに「セ●クスしてー!」と叫び、エロ本、エロビデオの類を隠すことなく机に並べ(それが学校であっても、だ)誰にでも貸し出す。なんなら自分から借りるように勧める。
別にここまでなら、ライトノベルなんかに居そうなおバカな友人キャラ、所謂当て馬枠だろう。だが『愛する彼女が堕ちるだけ』は寝取られエロゲー。
つまり、竿役である。
「悪いけど今日は無理だ。っつーかその作品、前は気になってたけどもういいわ」
「はぁ?せっかくもってきてやったってのに、そりゃねーぜ」
「すまんな、代わりにほら、ジュース代やるから好きなの買っていいぜ」
「ちぇっ。いいよ別に。いらねぇ。けど、次に見たくなっても貸さねぇからな」
「はいはい。わかったよ。―――んじゃ、またな」
「おう、またな」
猿島はブツブツと「あー、俺もこのAVみたいなセッ●スしてぇなー」とか呟きながら、やや不機嫌そうに去って行く。すれ違う人々から侮蔑の視線を浴びせられてもお構いなしだ。アイツの心臓、毛が生えてるとかそんな次元じゃねぇな。
だから友人から、俺から恋人を寝取るような真似を平然とできるんだろうが。
今は友人同士だが、俺経由でヒロイン達となんとなく仲良くなってそのままなし崩し的に性行為まで持っていく、という大罪を犯す事を知らない訳じゃない。そしてある程度楽しんだ後捨てる事が作中で名言されているキャラなので、竿役の中でも一際俺の敵だ。仮に誰かと交際する事になった際、コイツとの縁は切る事に決めている。
まぁ、まだ遠い話だろう。今はただコイツに夢を見せない事……暴走するきっかけを与えない様に気をつければ良いだけだ。何せこの段階だと、コイツよりも警戒しないといけない相手が山ほどいる。
「俺もさっさと部室行くか」
溜息混じりの声と共に教室を出る。
ヒロインの内一人がいる場所へ。混ざる前の愛島純也が情熱の全てを打ち込んでいた場所へ、向かう為に。
※―――
グラウンドの脇に設営された小さなプレハブ小屋。それが俺達陸上部の部室であり、備品置き場である。とはいえそれは名目上であり、実際は監督が私物化していると言って良い。
ゲーム本編では、監督がここにヒロイン(九割方朱音)を連れ込み、性行為に及んでいた。俺が訪れるのは初めてだが、既に因縁の場所である。
そんな小屋のドアの前で、俺はただ突っ立っていた。他の陸上部の仲間たちが部活動に勤しんでいる中、有望株と持ち上げられそれに恥じないくらいの結果を残しつつ常に努力を怠らなかった純也は、部活が開始してそれなりの時間経過しているくせに何もせずにドアの前に立っていた。
だがそれを誰も訝しむ様子はない。一応、この体がどこまで動けるのかを確かめる意味も込めてそれなりに動いたし、きっと休憩中だと思われているのだろう。運が良い事に、今俺が立っている場所がちょうど日陰のできている地点になっているし。
実際は休憩しているわけでも無く、寧ろ運動していた時以上に神経を尖らせているのだが。
目を閉じて瞑想しているように見せかけながら、意識の全てを聴覚に集中させ、小屋の中から漏れ出て聞える会話を聞く。
何かを言い争う男女の声。両方とも聞き覚えのある声だ。互いに声を荒げて言いあっているというよりは、女の方が声を荒げ、男性は落ち着いて対応しているという感じだ。
正直、はっきりと内容が聞える訳ではない。グラウンドから聞こえる生徒たちの声や、吹奏楽部が練習する音の方がよっぽど聞こえる。
だが聞いている、という今の状況が大事なのだ。言い争いが終わったのか、比較的聞こえていた女の声の方も聞こえなくなり、代わりにドタドタという足音が近づいてくる。
そのタイミングに合わせて、俺はさも「今さっきまで全力で走った上で休憩していました」感を出すように、その場に座り込む。
そんな俺の真横を、開いたドアがスレスレで通過した。
「っ、じゅ、純也……」
「ん?あぁ、部室に居たのか。見当たんないから風邪でもひいたのかって心配したぜ」
「ご、ごめんね?ちょっと、監督と話してて……」
部室から出てきたのは、ヒロインの一人、立花朱音。普段は明るく、常に感嘆符が付いているような声量で話す彼女は、やけに重苦しい表情をしていた。
「どうした?なんか元気ないけど」
「う、ううん。別に、なんでもない」
「そうか?なら良いけど……あ、そうだ。もうちょい休んだらタイム計ってくれよ。なんか記録更新いけそうな気がする」
「そう、なの?」
「おう。これなら、今度の大会選出も夢じゃねぇ。なーんてな」
「―――そ、っか。うん。わかった」
あくまで普段の純也らしい発言を意識する。彼女に既に竿役の魔の手が向かってきている事は重々承知しているが、今早速動いてしまってはほぼ確実に逃げられるし、止めるタイミングが読めなくなってしまうのだ。だから、まだ知らないふり、気づいていないふりに徹する。
俺の言葉に、彼女は何かを決心するような顔を見せ、そしてすぐに彼女らしい明るい表情に戻る。
無用な心配はかけたくない、という事だろう。病的なまでに鈍感な純也では気づかなかったのだろうが、俺にはちゃんとわかる。
「………ごめんな」
「?何か言った?」
「いや、なんでも。―――うっし、休憩終わり!早速頼むわ」
「一応ストレッチはしなさい。怪我するわよ」
「わかってるって」
俺にとっては初めてながら、純也と朱音にとってはいつも通りのやり取りをしつつ。
どこか影のある表情の彼女と共に、残りの時間をしっかりと部活動に費やした。
※―――
「―――と、今日の進捗はこんなところか」
日記帳を閉じ、背中を伸ばす。今日の出来事、今日達成した事、今日やるべきだった事。その他諸々の『対寝取られ』に必要な事項を書き込んだ、秘密の日記だ。
今日は初日という事もあって、特に書く事が多く時間がかかってしまった。ゲームで言えば今がどの時期なのかといった考察等を書き込んでしまったのも原因だろう。
今日俺が接触したのは、俺の通う学校、
彼女達との間に発生したイベント、或いは彼女達に発生したであろうイベントは、どれもゲームでは最序盤の物。ゆらぎ(以降母さんと呼ぶ)や美月(以下美月姉)、香澄の俺への接し方も、恐らく彼女達の個別ルートが始まる時点と同じ。可もなく不可もなしと言った好感度の状態だ。
これらを踏まえるに、恐らく今は全ヒロインの攻略開始前。本編開始前の地点だろう。
今日の成果と言えば、やはり真尋や由希亜のルートに入る為に必須なボランティアとカラオケのイベントに参加できるようになったこと。何より、朱音の寝取られイベントを回避する前段階に至る事が出来た事。
何を隠そう、あの時俺が小屋の前で突っ立っていたのは中での会話を聞くため……では無く、出てきた彼女に俺が会話を聞いていた事がわかる様にするためである。
勿論今はまだそんな事気づいていない。俺、というか純也は鈍感キャラが定着しており、ヒロイン達の好意に気づかない事が多々ある。物語開始前から一部ヒロインより「鈍感バカ」と揶揄されている程だ。だから、部室内でとある竿役と会話をしていた事なんかわかっているはずがない―――と、思われている。彼女の様子を見てもそれは明らかだったし、ソレが俺の狙いだった。
「今はまだ共通ルート。朱音のルートに入りかけ、って感じか。運が良いんだか、どうせなら準備期間がもうちょっと欲しかったと思うべきか」
既に全ヒロインが竿役達と関係を持った後、とかじゃない分マシだと思うべきだろうか。ここ最近露骨に回数の増えた溜息を、またしても吐く。見上げた天井は、ややくすんだ白色をしていた。
まさしく『住み慣れた家』って感じだ。年季が入っている見た目が、見慣れないはずなのに懐かしさを感じる。
今の俺にとってヒロイン達や竿役達がこの世界を生きる人間であるように、愛島純也もまた、一人の人間だ。
俺は、ソレと混ざった。記憶も感情も感性も、何もかもが一つに混ざったのだ。言葉で聞くだけで、いかに不快かわかるだろう。ヒロイン達の事を考えている間はその感覚も忘れられるが、こうして一段落ついて他の事を考える余裕が生じてしまうと、気分が悪くなる。自分が自分じゃない感覚、自分が他人を侵食する感覚。まともに生きていれば決して味わう事の無いソレに、吐き気や頭痛を催すのは当然の事であった。
「………寝る、か」
本当なら、各ヒロインのルートで起こるイベントや攻略法を改めて文字にして、明日のすべきことの再々々確認を行うつもりだったが、この状態でやっても無意味だと考え、ベッドに向かう。その途中で電灯のリモコンを操作し、部屋を真っ暗にするのも忘れない。
純也の寝る前の行動だ。リモコンの位置もボタンの配置も、見ずともわかる。その状態が俺に引き継がれ、普段通りの動きが実行できてしまう。
俺がただただ俺であったならあり得ない事だ。余計に気分が悪くなる。
一度トイレに行ってこっそり吐いて来ようか。そんな風にすら考えながら、ベッドに体を放り投げたその時。
「純兄ー、入るよー?」
「……香澄?」
ノックも無しに、入室許可を得るような言葉と同時に香澄が入って来る。その手には大きめの本が握られており、陰になって見えにくいが筆記用具も持っているように見える。
「あれ、寝るところだった?」
「いや、少しくらいなら大丈夫だけど。取り敢えず電気付けてもらって良いか?」
「はーい」
パチ、と壁のスイッチを押す音が聞こえ、部屋が明るくなる。まだ暗闇に目が慣れる前だったから、視界が眩む事は無い。
部屋が明るくなったことで、香澄の持っている本の正体が算数のドリルだという事がわかり、ついでに彼女がなぜ俺の部屋に突然入って来たのかもわかる。
どうやら、勉強を教えてもらいに来たらしい。純也の記憶にも、彼女がわからない所を尋ねに来ることが度々あったとある。
体を起こして、机の方へ向かう。香澄も無遠慮に机に近づき、俺の椅子に我が物顔で座った。
とはいえ、純也と香澄の間ではよくある光景だ。一々何かいう事も無いか、と肩を竦め、問いかける。
「今日はどこがわからないんだ?」
「えーっとね、これなんだけど」
彼女が指さしたのは簡単な図形の問題。応用問題と書いてあり、中身だけで言えば社会人の俺には余裕で分かるが、小学生の彼女には難しいだろう。
今日は疲れてるからまた明日な、と言っても良いのだろうが、純也の記憶や感情がある為に、俺はコイツを本気で家族だと、妹だと思ってしまっている。頼られて拒否するなんて、とてもじゃ無いが出来ない。
やれやれ、とため息を吐きながら、どう教えるべきかを考える。
頭の奥が痛む中、しばらく寝れなさそうだなと苦笑して。
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