此の世

向乃 杳

此の世

 不幸なことに、人間は幸せにはなれないわけだ。人生が確実にどこかで躓くメカニズムになっている限り、これは覆らない。

 幸せは大衆受けする結末などではなく、下手くそな脚本のエピローグである。貪欲さが産み出す疑念と馬鹿げた向上心の行く先には全身全霊の妥協があるだけだ。結局は道程に勝手な終着点を設け、価値観を下げるという臆病な行為に打って出る。そのことに気づけない人間が何と多いことか。しかしそれが真理ということになる。諦念によって初めて、幸せが主観的に形成されるのだ。

 人間が間違いを犯す生き物で、理想的なエンディングには理想的なストーリーが必要であるというジレンマに、人間の間違いを正当化するという特性が加わった。故に人間が幸福を追い求める話ほど滑稽なものはないのである。

 ある男の話をしよう。自由を謳歌しているとも、人生をふらついているともいえる大学生である。彼には三年来のガールフレンドがいた。

 二人が付き合い始めたあの日は運命的に映った。当時男には他に好きな女、それも初恋の相手がいて、高校生の彼にしてみれば実に一般的な感情として、彼女を追いかけることに夢中になっていた。しかし世の中の大抵の物事は、自分が動いてほしい方向と逆向きに動くと決まっている。不思議なことに、彼が彼女にぞっこん惚れこめば惚れこむほど、事は上手く運ばなかった。そしてまた人間とは単純で、弱った心が優しさに触れると、いとも簡単にそちらに流されてしまう。人間がそうできていなければ、彼が幼馴染の女と付き合うことにはきっとならなかっただろう。



  ✽



 夕暮れがコンクリートに電線の痕を映し出す光景は、彼にしてみれば好都合だった。思い詰めるほど行き詰まってはいないが、この状況であれば黄昏れることに格好がつくと見た。

 走ってきた。走ってきた。だが結果が見えなければここまでの距離にすら確信が持てない。彼は正直すぎるほど人間的で、だからこそ理想が実現可能であるとする確信があって初めて走り出す。確信が理にかなっていなかったとしても、それを熱意の裏に隠しているうちは、勢いに任せて生きていける。問題は、それを信じることができなくなったときだ。大いなる成果のための投資だと思っていたものが、実は底に穴が空いているのではと疑心暗鬼になり始めたが最後、ただひたすらに苦しいだけだ。

 前方に見覚えがある後ろ姿を認めたが、今は一人で思考を練りたかったし、一人で悩むことが苦だとも思わなかった彼は、信号待ちするその背中にわざと距離をとって立ち止まった。しかしやはり世の理とは常に逆向きに動くものであり、彼が足を止めてからほどなくして彼女は振り返った。彼女の笑顔がぱあっと輝くのを見て、彼は自分が不満を顔に出してしまう性分なのが嫌になった。

 世間話もそこそこに、彼女は彼の異変に気づいた。それが変な同情でも誰かの受け売りでもなく、本当は理不尽に叫んでとことん落ちぶれたいところ、それを制御されている感じだった。それでもやはり腐りたいという潜在意識からか、今は彼女が気を使える人間であることが癪に触った。彼女に胸の内を明かしている理由を、単に彼女に気を許しているからではなく、巧みな話術に乗せられていると勘ぐってしまう自分に吐き気がした。

 彼女はまとまりのない彼の話を、最後まで黙って聞いていた。ここで、彼女が途中で割り込んで、見当違いの私見を述べてくれさえすればいいのにと彼は思った。

「今はあの娘が好きだろうけど、それは分かるけど、何だかそれが辛そうで見てられないの」

 だが自分の一番欲しい言葉をくれるのは、彼女だった。

「幸せを追うことが幸せじゃないってこと。言いようもない不安に苛まれているあなたに、私はここにいるって伝えたいの」

 それは彼の自己否定を諭すような優しい陽だまりであって、彼を尊重しつつも引き止める勇敢な親切心であった。それはなんて粋な好意の伝え方なのだろうと、彼は思った。

 男はここに終着点を設けた。見えないくらい遠い場所へと向けられた目線がぶつっと遮られて拍子抜けしつつも、男は自分が安堵していることに気づく。幸せの追求が皮肉にも彼を不幸にしていたのであって、苦しいながらやめ時を見失った行為が第三者の介入によって強制的に止められる。ここまでの長い距離が決して無駄ではなく、自分は初めからここを目指していたんだと錯覚するのが自己防衛本能というやつだ。

 あの日彼は、自分が幸せになる道ではなく、誰かを幸せにする道を選んだ。しかしそれはあの日を境に、彼が幸せになる道と重なった。それは彼の確固たる意思で、逆説的であるようで全く矛盾していない。

 彼の幸せはようやく定義づけられた。そしてそれは、彼の鈍感さにしびれを切らした初恋の相手が気持ちを打ち明ける、僅かに前だった。


 先にも述べたように、当事者からしてみればそれはいかにも運命的だったろうが、第三者、それも冷めた者から見ると、男はそれで良かったのだろうかと疑問に思わないこともないのであった。

 放っておいて良いものか、というか本来時の流れに命運を預けておくべきなのだろうが、少々行き違ったようなこの状況を、なるようになるさとして良いのだろうかと思った。もちろん今のガールフレンドとの関係を壊す理由はなかった。しかし、男の初恋とは時におかしいほど特別なものである。自らが歩んできた年月が全て人生に必要な要素だと思い込んでいる人間はそういうことを見落としがちである。

 彼は幸せであったのだと思う。しかしそれはあくまでこの人生の最高点に過ぎない。もし、別の人生を歩んでいたら?人生における本筋からの屈折がもっとあとに起きる人生があったとしたら?数あるパターンの中で、この人生が最も不幸に近いとしたら?懐疑心が止まらない。

 世の中には丁寧に説明したほうがいいことがあると同時に、極力端的に伝えるよう努めたほうがいいものも存在する。この件は後者であり、そうするとあまりに急に感じられるとは思うのだが、男のガールフレンドは消滅した。



   ✽



 「高級な味」なんて何の説明にもなっていないと思っていたが、今なら分かる。色鮮やかなソースが占領する巨大なプレートにちょこんと乗った、何の肉かも分からぬ小さな塊を口に入れ、とりあえず「ほぅ」なんて感嘆してみたものの、味はよく分からない。真っ白なクロスのかかった丸テーブルの向こうで、すました顔をして肉を咀嚼する彼女のほうはどうなのだろうか。

 今日は記念日だった。とりわけうちの彼女はそういうのを定期的に祝うタイプで、まるで無頓着な自分としては、一ヶ月が何だ、と思っていたが、一年ともなれば流石に思うところはある。

 彼女は街を歩くと一際目立つ美人だ。透き通る白い肌に長い黒髪がよく映え、ただでさえ大きな目を長いまつげがより強調する。すっと通った鼻筋をなぞると小さくチャーミングな口へと辿り着く。「顔で選んだ」と言われると反論したくなるが、現にこうして彼女のルックスへの評価が止まらないことが一つの証拠であり、半分くらいは事実だと認めざるを得ない。

 初恋の女性と一緒にいられるのが嬉しい反面、何が良くて自分のそばにいてくれるのかも分からない。ほらまた、こういう頼りないところも、自分の欠点だと自覚はしている。

 一年もの時間を費やしてくれた──彼女はそうは思っていないと思うが──彼女に、自分は相応のことをしてあげられただろうかと思う。今日このフレンチだって、彼女がかねてから行きたいと思っていた店らしい。思えば幾度となく重ねたデートも、大概彼女が色々決めてくれていた。「私、そういうの好きだから」と彼女は言ってくれたけど、本来なら二人の関係に無関心なのかと咎められても仕方ないものだ。

 そこまで分かっていながら結局彼女任せなのは、自分の弱気さに原因があるのだと思う。相手の反応に神経を使いすぎてしまうところがある。自分の行きたいところに、相手は行きたいのか。自分の興味があるものに、相手は寄り添ってくれるのか。そうやって悩むくせに結論いつも相手に合わせてしまう。それに、恋人ならなおさらだ。

 「この一年で一番幸せだったのっていつ?」と彼女は尋ねた。そうだなぁと考え込む目線の先にはきらびやかなシャンデリアがあった。

 告白してくれたとき。初めてデートに行った日。初めて手を繋いでくれたとき。初めてキスをされた瞬間。初めて体を重ねた夜。思い出という単語に反応する断片はいくつもあった。それはどれも心を温めてくれるものだが、果たして自分は幸せだっただろうか。それとも幸せであるかのように感じていただけなのだろうか。

「君といて幸せじゃない時はなかったかな」

 言っている途中でまずかったかなと思ったが、彼女の照れた顔を見て胸を撫で下ろした。少しキザな科白が女に刺さるというのは、どうやら本当らしい。

「私ね、ずっと恋愛って追われるほうがいいものだと思ってたの。でもあなたと付き合ってすっかり変わったわ。相手に何かしてあげることが喜びになったら、それが愛なんじゃないかしら。それが幸せなんだと思うの」

 そっちのほうがおトクだしね、と彼女は無邪気に笑った。しかし今のは響いた。まるで自分の頭の中の靄が透き通っていくような、それでいて靄が晴れたあとに残るものは、望んでいたものではないような──

 初恋の女性と付き合っている。どこに不満があろうか。男が毎日布団の中で夢見ていた光景だ。無駄と分かりつつ作業の手を止め妄想していた内容だ。それがどうだ。自分は幸せだが、それだけでいいだろうか。無力さが男を包み込む。

 男は幸福を客観的に自覚していながら、自信を持てずにいた。

 トイレに立った彼女の後ろ姿をぼんやりと眺めながら、この関係は長く続きそうにないと、男は考え始める。こういうとき、自分は情けないくらい落胆するのだろうと思っていたけれど、それが腑に落ちてからは色々なことに辻褄が合って、理想だ理想だと言いながら溜め込んでいたものの大きさにようやく気づいた。



  ✽



 此の世で一番論理的な感情が愛で、此の世で一番感情的な論理が幸せだ。人を夢中にさせるものと苦しめるものは紙一重というわけだ。

 何かを得るために何かを失わなければならない。目の前のことに気をとられすぎて、その大きすぎる対価に気づけない。その間にある乖離がどれほどかは、試してみてからでなければ分からない。

 他人から見た幸せが自分にとっての幸せではないし、自分にとっての幸せが真の幸せかも分からない。一方通行では確信が持てず、自己では完結し得ない。

 幸せが幻想か、幻想が幸せか。此の世の幸せとは存在自体胡散臭い。

 それでも人間は生涯をかけて幸せが虚無でないことを証明しようとする。人間の儚さの所以はここにある。

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