第3話 宮廷魔術師と女将軍
「炎の玉レベル8!」
老魔法使いジブラルドールは、雄叫びと同時に巻物を横に広げた。
真っ白い巻物に描かれた、力ある文字とイラストは、現実の炎となって空間に飛び出した。温度、大きさとも、『レベル8』にふさわしい。
扉を破壊し、部屋をも、燃やし尽くすような炎の爆発だった。照り返しで一同を赤く染め、部屋で暴れていたモンスターの、体の一部を焼いた。
「今じゃ! ミリエンダ将軍!」
「おお!」
女隊長は、ミリエンダという名で階級は将軍なのだ。
床を蹴り、サーベルを振り上げて部屋に突っ込む。そこには、焼け焦げたモンスターの、表皮があった。
縦横に剣を振う。紫色の液体がほとばしる。
「ええい! きりがない。魔法使い、なにか手はないのか!」
部下達も突入の機会をうかがっていたが、なにしろミリエンダ将軍の振るサーベルは危ないので、近づけないでいた。
「ラミリー!」
「いやですぅ。餌はいやですぅ」
まだ震えている。
「そうではない。お前に預けた巻物を貸せ」
「は、はい」
相変らずの腰巻姿で、老魔法使いが走りよる。年の割には、軽い身のこなしだという自信はある。
一方のラミリーは、どれを渡せばいいのかもわからなかったらしく、事前に渡されていた巻物を全て捧げてよこした。
老ジブラルドールは屈みこみ、素早く一巻を取り上げた。
「将軍! 退くのじゃ!」
返事をするよりも早く、ミリエンダは後方に跳ねた。銀色の髪が、残像を残した。
汗が飛沫となって散るのは、炎の熱気ばかりが原因ではあるまい。
「氷の平原レベル8!」
広げられた巻物から、白い風が生み出される。大気を包み込み、辺りを、凍てつかせた。
「せっかく熱で弱っているのに、冷やしてどうする!」
肩を荒々しく上下させながら、ミリエンダが詰め寄った。
「あれでいいのじゃ。このままでは、戦いにならん」
魔法使いの言葉が終わらないうちに、急激な温度変化に晒された、壁が崩壊した。
いままで、よく化物の圧力を防いでいた。限界だったのだろう。
全身をあらわしたモンスターは、確かに伝説のドラゴンに似ていなくはなかった。爬虫類を思わせる顔、皮膚、牙に短い手足、特に巨大な顎が目立っている。
「ドラゴン、ではないようじゃな」
「だから、似ているだけだと言ったのだ」
「うむ……しかし、でかいな。ワニもどきといったところか」
部屋からのそりと出てきたそのモンスターは、あろうことか二足で立っていた。口を開く。
一同が警戒するが、吐き出されたのは炎でも毒きりでもなかった。
「なんだ、お前等は?」
「しゃべったーっ!」
両手を招き猫よろしく頭の横にあげ、ラミリーが引きつった。
「喋るモンスターだと」
ミリエンダも、不吉に眉を歪めている。実に、美しい表情だった。
「うむ。魔界で言えば、魔王クラスというわけじゃ。ドラゴンの方がましかもしれん。将軍、たたみ掛けようぞ」
「承知!」
ミリエンダが躍り込む。
ジブラルドールはまるで他人事のように声援を送るラミリーから巻物を全て取り上げ、そのラミリーを抱え上げた。
担ぎあげ、投げた。ワニもどきの鼻先へ。
「キャー!」
目の前で動く二つの影に、ワニもどきは明らかに戸惑っていた。
猫娘は慌てて逃げていく。ワニの眼球が、猫の動きを追った。無意識かもしれない。だが、間違いなくそちらに気をとられたのだ。
その隙に、ミリエンダは死角に入っていた。大きなワニもどきの膝頭を、蹴った者がいたと気づいて振り向いたときには、赤い軍服と銀色の髪が宙に踊り、青白く輝くサーベルを振り上げていた。
「成敗!」
薙ぎ降ろした。
ワニもどきの、首が飛んだ。
空中で、その向きが変わった。
「将軍、まだ終わっておらんぞ」
「ちっ!」
巨大なワニの首が床に転がる。体も暴れ続けている。
ミリエンダが着地し、踏ん張りきれずに転がった。転がり続け、立ち上がったところに、巨大な顎が迫った。
兵士たちの声援を受け、振り向きざま、縦に切りつける。苦鳴を発し、頭部が遠ざかろうとした。ミリエンダは追い討ちをかける。
「将軍! 伏せよ!」
老ジブラルドールの声に、将軍は即座に従った。普段喧嘩ばかりしていても、城を守る二本の柱は、絶妙な呼吸を見せた。
「ゴルゴンの呪いレベル9」
灰色の光りがほとばしる。ミリエンダの頭上を抜けた。そのままの姿勢で、女将軍が後退する。
ワニもどきは、固まっていた。空中で静止した頭部が、ごとりと石畳をうった。
「石になったのか」
「うむ。砕いてしまえば、もはや復活はできん」
「よし、皆、ハンマーを持て。急がないと、女王陛下がお昼寝にいらっしゃるぞ!」
「まだこだわるのか」
「当然だ。昼寝を妨げられる苦痛は、このミリエンダ、誰よりも存じ上げている」
つまり、ミリエンダ自身が大の昼寝好きなのだろう。
「年寄り、お前も手伝え。この壁を元に戻すのは、魔法が無いと間に合わん」
「じゃから、杖を叩き折られては……ラミリー、予備の杖を持ってこい」
呼ばれた猫娘は、壁際でうずくまっていた。
半裸の師匠が近づくと、甲高い悲鳴を上げた。本気で囮にされたことに、かなりの人間不信に陥っているようだ。猫娘としては、人間種に対する不信だろうか。
「ふむ。仕方ない。将軍、マタタビは無いか?」
「マタタビはないな。これでいいだろう」
「おお。十分じゃ」
ジブラルドールが受け取ったのは、猫じゃらしだった。
なぜ女将軍が持っていたのかは定かではない。モンスター出現の一報があるまで、庭の散策でもしていたのだろうか。
「ほれほれ」
誘いの声に、ラミリーの視線がちらりと動く。視界に入れてしまってはもはや手遅れだ。
目の前で繊毛のついた植物を振られ、正気でいられるラミリーではなかった。
目を大きく開き、耳をぱたぱたとはためかせる。尻から生えた毛むくじゃらの尾は、ぴんと天井を指した。
「ほい!」
持ち上げた。
「ニャー!」
飛び掛った。ラミリーの体重を支えきれず、疲労している年寄りは、後ろにひっくり返った。
ジブラルドールの手から植物を奪い取ったところで、猫娘が正気に返った。
「……あれっ? 師匠、なにしてるんですか? そんな恰好で」
「いや、なんでもない。それより、わしの部屋から予備の杖を持ってきてくれ」
「はーいっ。でも……服はどうします? 風邪引きますよ」
「それも頼む。気が利くな」
立ち上がったラミリーは、小首を傾げた。
「師匠に褒められると、気持ちが悪いですぅ」
「早く行け!」
「はーいっ」
去った。
「便利な奴だな」
「まあな。なにしろ、わしの愛弟子じゃ」
「で……魔法の方は覚えたのか?」
「いいや。さっぱりじゃ」
ここにいたり、ようやくサーベルを鞘に収めた将軍は、兵士の指揮をするために背を向けた。
その動きが、ぴたりと静止した。機敏に敬礼をとり、その姿勢で背筋をぴしっと伸ばす。
原因は一つしか考えられない。やれやれと、老魔法使いも腰を伸ばした。
「何の騒ぎじゃ。台風でも通過したのか」
重々しく、やや掠れた声が響いた。女王陛下そのひとのお出ましである。
「はっ、申し訳ありません」
「わらわの昼寝の時間じゃ。知らぬはずはなかろうに」
「直ちに」
「急いだからといって、直ちに寝られる状況には見えんが」
大きく、きつい視線と、卵形の顔、長い首が印象的な、美女である。
肩から胸元をあらわにした白いドレスを引き摺り、右手を、端整な顔をしたひょろ高い男に預けている。
「別の寝室を用意いたします」
「ジブラルドール、そなた、何をしておった。どうすれば、そんな恰好になれるのだ」
「も、申し訳……ミリエンダ将軍、こんなときだけ知らん顔することはなかろう」
ミリエンダが切り裂いたのである。裸体を隠そうとするが、老人がもじもじしても、気味の悪いだけだろう。
「うーむ。わらわは、ベッドが変わると気持ちよく寝られんのじゃ」
ミリエンダ将軍がしつこくこだわったのは、理由のないことではなかったのだ。
「と、ところで陛下、その男は……」
部下達に仕事を急がせ、将軍が話題を変えた。
その間に、ラミリーが師匠の服と予備の杖を抱えて走ってきた。老魔法使いが本来の力を振るえれば、仕事は格段にはかどるはずだ。
「これか、よいところに目をつけたな。先程出入りの宝石商が手土産にと置いていったものじゃ」
「その、男がですか?」
「うむ。男というてくれるな。これは、枕じゃ」
「では……寝室に一緒に?」
「うむ。枕じゃからな」
「では、昨日までの枕は、いかがいたしました?」
「ふむ……そうさな。将軍、そなた、引き取らぬか?」
「お断りいたします」
「わらわの下げ物を、受け取れぬと申すか?」
若干、語気が荒い。無茶な上司である。将軍は非常に狼狽し、助けを求めた。
しかし、老魔法使いは、今度は無視した。実際には、服を着るのに忙しかったのだ。その傍らに、杖を抱いた猫娘がいた。
「い、いえ、あの枕は……確か、この娘が欲しそうにしておりましたので」
「ニャ?」
「そうか。しかし、あれもなかなかの枕であった。これが気に入らなければ取り替えるかもしれんが、よいな?」
「えーっと……師匠―、なんとか言ってくださいよ」
ようやく服を着た老魔法使いは、杖を受け取りながら、小さくうなずいた。
「ラミリーもよく眠れるでしょう」
「師匠―っ」
「諦めろ」
肩を叩いたのは、ミリエンダ将軍だった。すべては、将軍の責任である。
「では、始めますかな」
ジブラルドールが進め出る。兵士たちが下がった。モンスターの死骸は片付いていたが、破壊された壁と室内は、見る影も無い。
「頼むぞ」
「早く致せ。わらわの我慢にも、限界というものがある」
睡魔に襲われて、ということでもないだろう。足元をもじもじと動かしている。
性欲の化け物め、とは思いながらも、ジブラルドールはうなずく。錫杖のような華美な杖を振り回し、魔法の粉を振りまいた。年の割りに軽やかに舞い、呪文を唱える。
「戻ってちょーよ!」
一発だ。完璧に修復された。
「相変らず、見事な手際だ。ラミリー、お前も早く使えるようになるのだな」
将軍は力強く猫娘の肩を叩いたが、当の娘は複雑な表情をしていた。
「あれを、恥ずかしがらないでやるのが、条件だなんて……私には……無理」
とても、小さな声だった。
女王も老魔法使いを労う。枕を引き連れて寝室に入っていく。その時だった。寝室の中央で、光りが縦に走った。
「危ない! 将軍、陛下を!」
「わかっている」
ミリエンダが飛んだ。女王と、枕に覆い被さる。沈む三人の背後で、魔法使いが杖を構える。
光りが強くなる。魔法使いは、親指と人差し指で輪を作った。その穴から覗く。光りを遮蔽するのだ。
ますます強くなる光りが、横に広がった。その中から、あらわれた、異形の影があった。
「化物じゃ!」
「望むところよ」
全身を飴色に輝かせた、人型の化物を前に、ミリエンダが伏せた体勢のまま、魔法のサーベルに手を掛けた。女王は動かない。そこに、大音声が轟いた。
「出て来い! 大顎男爵!」
輝く化物の言葉だった。将軍と魔法使いは揃って眉を寄せる。将軍が振り返る。魔法使いと目が合った。ジブラルドールが片手を挙げる。『任せろ』の合図だ。
「何者じゃ」
素早く首を動かしていた化物は、その声に反応した。声の主を見、低い体制のまま、答えた。
「カレーソルジャー所属、オニオンソルジャー」
「なんじゃそれは」
「宇宙の平和を守る者だ」
「……正気か? わしには、化物にしか見えんが」
「これは、戦闘モードだ。元の姿にもどれば、お前と大して違いはない。しかし、今は大顎男爵の追跡中だ。ゆっくり話し込んでいる暇は無い」
「大顎男爵……」
「あれか?」
将軍が口を挟む。
「『あれ』だと?」
「『ワニもどき』、とわしらは呼んだが」
「おそらく、それだ。どこに行った?」
「倒した。私が」
「留めはわしじゃ」
「……いや、私だろう」
「とんでもない。最後に石化したのはわしじゃ」
「それは違うぞ。石化する前に、致命傷を受けていたのだ」
睨みあう両者に向かい、輝く化物が口を挟んだ。
「どちらでもいいが、まさか……倒したのか?」
「「よくない!」」
そろって怒鳴りつける。姿勢を正す化物は、左腕を、口(あるとすれば)に近づけた。
「こちら、オニオンソルジャー。どうやら、大顎男爵は現地住民に倒されたようだ……おい、応答しろ。こちら、オニオンソルジャー……どうしたんだ?」
首を捻りながら、左の手首を回す。一際眩しく輝き……その場に、佇んでいた。
「ちっ、転移装置も利かなくなっている」
姿が、変わった。飴色の鏡のような全身が、こざっぱりした、革のジャンバーを着た、逞しい若者へと変貌した。
「しかし、まいったな。戻れなくなった。ここは……なんという国だ?」
角を衝き合わせていた二人は、唖然として侵入者を見やる。
「さっきの、化物か?」
「『化物』は酷いな。これでも、俺は正義の味方なんだが」
「ここは、魔法の王国プロメティーラウンドじゃ。お前こそ、何者じゃ?」
「俺は剛山豪。それ以外は、さっき言ったとおりだ」
見た目には、精悍な顔つきをした好青年、という以外ではない。王国の二人の重臣は、困った顔を突き合わせた。当の剛山は、より困った顔をしていた。
そこに、無理やり伏せさせられていた女王が、不機嫌そうに立ち上がる。ドレスの埃を払い、一同を睨みつけ、一点に止まり、歓声を上げた。うやうやしく差し出されていた『枕』の手を払いのける。
「そなたら、気が利くではないか! 気に入った! わらわの、新しい『枕』じゃな!」
女将軍ミリエンダと老魔法使いジブラルドールは、力一杯否定した。
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