第2話 ある日の出来事

 王宮つきの偉大なる老魔法使い、ジルラブドールの私室に、弟子のラミリーが飛び込んできたのは、うららかな春の日だった。


「師匠! 師匠!」

「どうした? 世の中に、それほど慌てることがあるとは思えんが」


 読書中だった。真っ白な髭を胸元まで垂らした魔法使いは、本から顔を上げもしなかった。

 達観していることもある。何より、魔法使いとしての自身の力を疑っていないこともある。


 しかし最大の理由は、弟子のラミリーが持ち込む面倒をまともに相手をしていては、きりがないということだ。


「慌ててください! 巨大モンスターが暴れています」


 部屋のドアを乱暴に開け放ったまま、ラミリーは戸口でぴょんぴょんと跳ねている。


「どこで?」


 さも落ち着いた様子で、ジルラブドールは湯気が立ち上るティーカップに口をつけた。


「女王様の寝室です」


 吹き出した。


「もう! 汚いなぁ」

「そんなはずがあるまい! どうやって巨大なモンスターが、城の最奥にある小部屋で暴れられるというのだ!」

「知れませんよぉ。とにかく、暴れているんですからぁ。早く来てくださいよぉ」


 両手の拳を胸の前であわせ、ラミリーがもじもじと身をよじる。状況が状況でなければ、トイレを我慢している風情である。


「女王様はどうした?」


 本を閉じ、指を鳴らした。ふわりと浮いて、本が本棚に戻っていく。その結果を見届けず、ジブラルドールは魔法の杖を手にとった。


「ご無事です。幸い、謁見中でしたので」


 珍しいラミリーの軽快な返答にうなずき、腰の帯に巻物を挟んだ。


「衛兵達はどうした?」

「出口を固めていますけど、危なくて踏み込めません。なにしろ、部屋よりも大きいんじゃないかってモンスターですもん」


「そんなモンスターがどうやって出現したのかはわからんが、衛兵達はそれでよい。下っ端の衛兵でも、貴族の子弟が多いでな。怪我でもされたら、見舞いが高くつく」

「そういう問題ですかぁ」


 ラミリーは首を傾げたが、否定するつもりはないようだ。


「それより、ラミリー、そんなところで跳ねてないで、手を出さんように伝えに行かんか」

「師匠は?」


 複数のことを頭に入れるのが苦手な不肖の弟子は、すでに慌ててはいなかった。慌てていた理由を忘れたに違いない。


「すぐに行く」

「わっかりましたぁ」


 元気の良い返事とともに、ひらりと駆け出した。


 ――また、四本足で走りよって。


 弟子のラミリーは、化け猫と人間の子供である。普段は直立歩行しているが、時々無意識に四足歩行している。

 王宮付きの正魔法使いの弟子としては体裁が悪いので、気をつけるよういつも注意していたのだが、簡単にはなおらないものらしい。


 ――さて、わしも行くか。


 ジブラルドールは机に積み上げてある巻物を一巻取り出し、壁に掛けた。何も描かれていない、真っ白の紙である。


「北より西側へ三〇度。距離八〇。水平」


 壁に掛かった白い紙に、景色が浮かび出った。それを、足で蹴る。ジブラルドールの足の先端が、掛け軸の中に吸い込まれた。


「やれやれ、いつも思うのだが、入り口はもう少し広いほうがいいな。まあ、作ったのはわしなんじゃが」


 文句を言いながら、老魔法使いは消えた。


 ※


 王女の寝室前で、近衛隊長ミリエンダは声を張り上げた。


「ロンメル隊は右手に展開! ソムメル隊は左側だ! 残りは私と突入。遅れるな!」


 ミリエンダはシルバーブロンドの髪を無造作に垂らし、軍服とは思えない鮮紅色の服をまとっている。王族を守る近衛兵士をまとめる立場であり、戦神の異名をとる剣の名手だ。

 号令とともにサーベルを抜き放つ。


 鋼鉄の鋼は、青みを帯びた鋭い光りを放った。

 ただの鋼ではない。びっしりと紋様が描かれ、自ら輝いている。強い魔力を物語っていた。


「行くぞ!」

「「「「おお!」」」」


 近衛兵士たちが唱和する。別の声が重なった。


「ダメ―!」


 今にも扉を蹴破らんばかりに片足を振り上げた女隊長ミリエンダの背に、叫んだ人影が後ろから飛び掛った。

 小柄で、身が軽く、猫の耳を持っていた。


「こ、こらっ! ラミリーだな。何をする」


 背後に手を回した。髪を掴み、投げ飛ばした。


「い、痛たたたた……何をするんですかぁ」

「それはこっちの台詞だ。いきなり出てきおって。『ダメ』とはどういうことだ」


 サーベルを突きつける。

 突入しようと気負っていた矢先に水を差されたので、気が立っていた。

 ミリエンダが持つのは、切れない物は無いといわれる魔法のサーベルである。切っ先を突き付けられている、ラミリーがさすがに緊張して息を飲むのがわかった。


「だ、だってぇ、師匠がぁ……」

「ふん。あの老いぼれか。奴など、姿も見せておらんではないか」

「近衛兵に死なれると、香典がもったいないから、突入させるなって……」

「なんだとお!」


 死ぬことが前提なのだ。

 ミリエンダの頭に一気に血が登った。


「あのじじいを連れて来い! 先に始末してくれる!」


 怒り心頭に発した銀色の髪を持つミリエンダは、闇雲にサーベルを振り回した。

 周りにいた、突入しようと身構えていた近衛兵たちが逃げ惑う。剣身にこめられた魔力は凄まじく、触れるものをことごとに切り裂いてしまった。


 そこへ、階段をえっちらおっちら上がってきたのは、白い髪と髭を伸ばした、老ジルラブドールだった。

 移動の魔法を使えるはずなのに頻繁に階段をしようしなければならない理由は、かつて本人から聞いたことがあった。


 魔法使いの自室より、女王の寝室はずっと高い位置にあるのだが、そのことを忘れて、魔法で水平移動してしまうらしい。ミリエンダは、老ジブラルドールが移動するたびに、結果として毎回階段で汗をかくのを見ている。


 どれだけ便利なものでも、使う人間しだいで役に立たないことになるという好例だ。

 ミリエンダは、階段の下から見慣れた禿げ頭の先端を見た瞬間、自分の言葉を実践に移す機会を得たと悟った。


「やれやれ、間に合ったようじゃな」


 階段を上り切り、額を拭うジブラルドールに対しても、容赦などしなかった。


「老いぼれめ! そこになおれ!」


 強い魔力を放つサーベルを振り上げ、ミリエンダンが石畳を蹴りつけた。


「ぬおぉぉぉ!」


 魔法の杖を頭上に構える魔法使いに対して、ミリエンダはあらゆるものを切り裂くサーベルを全力で振り下ろす。

 魔法の杖に接し、ミリエンダの剣は……止まらなかった。


「ちっ、手元が狂うたわ!」


 ミリエンダは吐き捨て、きびすを返した。とりあえず一撃で気が済んだのだ。とどめまで刺すつもりはなかった。

 ミリエンダの背後では、高価な魔法の杖を真っ二つに裂かれ、衣を割られた老魔法使いが腰巻一枚の姿で立ち尽くしていた。


「わ……わしが何をしたのじゃ」


 茫然とつぶやくジブラルドールに、ミリエンダは背を向けたままで答えた。


「自分の弟子に聞くのだな」

「こりゃあ、ラミリー! お前、あの女に何を言ったのじゃ!」

「キャァーーー! 師匠、醜い体で近づかないで」


 廊下の端で、老いぼれた魔法使いと不肖の弟子が口論する声を聴きながら、近衛隊長ミリエンダは仕切り直した。


「では、者ども! 行くぞ!」

「「「「「おお!」」」」」

「だから、それは待てと言うのじゃ」


 片付けたと思っていただけに、老ジブラルドールから声をかけられて、ミリエンダは柳眉を凶悪に歪めながら振り返った。


「服を裂かれただけでは懲りないらしいな。今度は体の肉を切り裂いて、骨だけにしてやるぞ」

「まあ、待つのじゃ。むやみに被害を大きくすることもあるまいが」


 ほぼ全裸で、なおも落ち着いた態度のジブラルドールに、ミリエンダは剣呑に切り返した。


「『香典がもったいない』か?」

「うん? ミリエンダ、誰がそんなことを……」


 魔法使いが、近衛隊長と似たような表情で、弟子を睨みつけた。


「だ、だって……本心でしょ?」


 ラミリーが、三角の耳をぱたぱたと動かした。


「黙らんか! お前が話をややこしくしておるのがわからんのか! 明日から一週間、ケルベロスの餌やり係りじゃ」

「いやーっ!」


 ジブラルドールに怒鳴りつけられ、猫娘ラミリーが頭を抱えこんだ。

 ケルベロスは地獄の番犬とも呼ばれる大型の犬で、頭が三つある化物である。城の地下につながれているのを見たことがある。


 当然、猫科のラミリーとは相性が最悪だ。そもそもラミリーは犬が苦手で、小型犬に吠えられただけでも全身の体毛が逆立つほどだ。

 魔法使いと弟子に気を取られて任務が進まないので、ミリエンダは話題を変えることにした。


「まあ、ラミリーがケルベロスの餌やり係なのはいいが……」

「よくないですぅ!」


 悲鳴を上げるラミリーは無視して、女隊長ミリエンダは老魔法使いに話し続ける。


「何か手があるのだろうな」

「うむ。まあ、わしに任されよ」


 無暗に突撃して、事態を収拾できるとは、ミリエンダも考えてはいなかったのだ。

窓の外に目を向ける。太陽の位置で、時刻がだいたいわかる。ミリエンダは老魔法使いを睨みつけた。


「急げよ。そろそろ、女王陛下のお昼寝の時間だ。それまでに片付けねばならん」


 腰巻一枚で進み出たジブラルドールは、呆れたように口を開けた。

 右手には、分断された衣を引き摺っている。衣服としてはすでに役に立たなくなったものをいつまでも持っているのは、服の中に魔法の巻物をいくつも隠してあるのだろう。


「女王陛下には、別の部屋を使って頂いたらどうじゃ。怪物を片付けても、すぐに中で昼寝できる状態ではなかろう」

「わかっている。だからこそ、早く片付けたいのだ。一刻も早く、お昼寝ができる状態に戻さねばならない。執務でお忙しい陛下に、客室などでお休みいただけるものか」


 どうやら本気らしい。論議しても無駄なようなので、老魔法使いは顔をしかめたまま扉の前に立った。

 静かだ。部屋と同容積の怪物が、中で暴れているにしては。

 どうして静かなのか、原因は推察できる。


 熟睡いただくために、音を遮断する魔法をかけてあるのだ。

 中の音も漏れ出なければ、外の音も侵入しない。警備上の問題があるとは思うが、近衛隊の隊長は、女王の安眠は生命の問題よりも大きいと思っているらしく、結果はいつもジブラルドールが負ける。

 もちろん、最後は暴力で脅かされる。扉に魔法を施したのは、ジブラルドール本人である。


「どんな化物なのかは見たのか?」


 ただの布切れと化したローブから、巻物を取り出し、それを床に並べながら問う。どれを使うか、物色しているのだろう。


「ああ。ドラゴン、というのが近いかな」

「ドラゴンじゃと!」


 いわゆる、最強のモンスターだ。外見は首の長い、翼を持ったトカゲだが、まず、人間が敵う相手ではない。


 何より驚くほど大きく育ち、その巨体を全く苦にしないだけの力がある。これだけでも、普通の人間には手に負えないが、ほぼ全身を覆う鱗を持った革は金属のように丈夫でありながら、伸縮性に富む。ドラゴンの革で作った服は、金属の鎧以上の硬度を誇る。


 その上頭が良く、魔法を使うとも言われるが、ジブラルドールとは別種類の魔法らしく、魔法にスクロールを使用しないらしい。ちなみに、人間の魔法使いが魔法を使うには、スクロールの他にいくつもの道具や儀式が必要なのだ。


「落ち着け、くたばり損ない。ドラゴンに似ている、というだけだ。実際には、見たこともない形状だな」


 ミリエンダは冷静を装っているが、炎のように激しい気性の女である。冷静なのを装うのは、近衛隊の隊長になってからだろうか。

 幼いころからミリエンダを知っている老ジブラルドールは、無理をしおってと思いながら、問い質した。


「その言い方では、まるでドラゴンを見たことがあるかのようじゃな……どこで見た?」

「おかしなことを言うな。ドラゴンぐらい、誰でも知っているだろう」


「……ドラゴンに遭遇して、無事に戻ってくることができる者などそうはおらん。一体、どこの秘境へ行った?」

「秘境? そんなところに行く必要があるものか。私の寝室にかかっているではないか。兵士の練習に使っている木型にも、ドラゴンの形をしたものがある」

「つまり……想像で造られたものしか、見たことがないのだな」

「そうなのか?」


 老魔法使いは、大きく息を吐き出した。


「気合を入れたのか。格闘家のようだな」

「呆れただけじゃ。今のはため息じゃ」

「どうしても、その首飛ばされたいとみえる」


 輝くサーベルが、裸の肩に乗る。老魔法使いは動じずに続けた。


「今はそれどころではない。なぜ、奴は外に出ようとせんのじゃ? この扉、音は遮断するが、強化はしておらんのに」

「それは簡単だ。体がでかすぎて、この扉からでは出入りできんのだろう」

「なるほど……では、どうやって入ったんじゃ?」


「私が知るか」

「……ふむ。では、部屋の中に突然あらわれたというわけか。やはり、お昼寝は別の部屋でしていただくしかなかろう。化物が現れた原因を特定できるまで、危なくて誰も入れられん」


「昼寝の時間まで、二十分もあるではないか。十分で退治して、十分で原因を探れ。中の掃除は兵士たちで引き受ける」


 隊長は、冗談を言う女ではない。


「全く、無茶を言いおるわい」


 一本の巻物を拾い上げた。残りはラミリーに投げ、抱えておくように告げる。


「始めるのか?」

「うむ。時間がないのだろう。しかし、巻物分の魔力しか使えん。あまり、魔力を頼るなよ」

「どうした。調子でも悪いのか?」

「お前さんが、高価な杖を叩き切ったからじゃ」


 ジブラルドールは近衛隊長に、文字通り歯を剥いた。


「ふん。では、巻物を使ったら下がっていろ。私の見せ場というわけだな」


 サーベルを一振りすると、実に美しい光跡を残した。高価な杖を叩き切ったことにたいする罪悪感はないらしい。


「ラミリー」


 老魔法使いが、実に優しげな声を出す。ケルベロスの餌やり係りをどう回避するか悩んでいた猫娘は、少し間の抜けた声を出した。


「ほえっ?」

「いざという時は、頼むぞ」

「……えっ?」

「お前が、一番美味そうじゃろうしな」

「師匠―っ」


 餌になって注意を引けといいことだ。情けない顔をしたラミリーに、女隊長が厳しい表情を向ける。


「女王様のお昼寝のためだ」

「えーんっ」


 しゃがみこんだ。


「では、行くぞ!」

「うむ!」

「やだよーっ」


 約一名を別にして、居並ぶ者達が気を引き締めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る