第56話 闇夜打ち払う桃光のデュオスレギア

「――リアン!」


 気がつくと、テルアの声が耳に響いていた。

 おぼろげにまわりを見回すと、心配そうに見つめるユニアやミナスたちの顔が。

 

 なにがどうなっているのか、よくわからないままテルアのほうを振り向く。


「…………テルア?」


 リアンが魂の抜けたような面持ちで答えると、テルアがおそるおそる聞いてきた。


「……ひょっとして、ケラヴノスと話せたのか……?」


「……あっ! そう、それで――」


 その問いに、ようやく記憶が繋がり、慌ててテルアに詰め寄る。


「あんたねえ! そういう大事なことは先に教えてって――もう何回言ったと思ってんのよ!?」


 一転して怒鳴り散らすリアン。

 テルアの両肩をつかんで激しく揺らす。


「わ、悪かったって……そ、それより、今は時間が……」


 その言葉に、ハッとして手を離し、空を見上げた。

 

 空は黒い雲に覆われ、あたりを暗く染めている。

 そして黒雲を海のようにして漂う、ケラヴノスの体に入ったダークス。

 その姿をじっと見つめると、リアンが覚悟を決めたように告げる。


「……テルア……私やっぱり、みんなを助けたい」


「いや、だからそう簡単には――」


「だって私、ひとりじゃないもん」


 言いかけたテルアが、リアンの言葉に面食らったように固まる。


「だから、みんなの分も背負う」


 そう言ってテルアを見据えた。


「私は、お母さんの娘だから」


 たぶん、強がりの笑顔だったように思う。

 

 それでも、今は強がりでも、はったりでも、大事な一歩なんだと、そう言い聞かせる。

 

 しばらく見定めるように見つめていたテルアだったが、リアンのまっすぐな目に、降参したように肩をすくめた。


「…………わかったよ。なら、俺も最後まで付き合う」

 

 そのいつも苦労が絶えないと語る表情が、今日は少しだけ、うれしそうに見えた。


「でも、問題はどうやってダークスを助けるかだ……」


 切り替えたテルアが、腕を組んで首を捻る。


「それなんだけど、一撃で倒せば、ケラちゃんがやられる直前に守ってくれるって!」


「ケラちゃん……? えーっと……とにかく、ダークスについてはケラヴノスがなんかやってくれんだな?」


 テルアの察しのよさに、ブンブンと首を縦に振るリアン。

 六年前のやり取りのようだ。

 

 ミナスやマルク、リーゼルト、調査団員たちは、ケラヴノスが復活したこの状況でも希望に溢れた会話を広げるリアンとテルアに、もはやどう接していいかわからないでいた。


「だとすると……あとは結界をどうするかだが……」


 口に拳を当て、考え込むテルア。

 

 

 

 境界断截きょうかいだんせつの結界を張るには、ケラヴノスの影響力が大きく、時間がかかる。

 張れたとしても、テルア自身がそれで手一杯になってしまうだろう。

 

 町人の命には代えられない。結界なしで花の魔力を使うしかないか、そう考えながら視線を泳がせていたときだった。


「……ん?」


「?」


 ユニアと目があった。

 

 そして、テルアがハッとなにか思いついたように微笑むと、


「……よし、これでいくか」


「え? なんなんテルちん」


 テルアの妙なつぶやきに、訝しげに聞くユニア。

 頭上のレノウも警戒の色を浮かべている。

 

 テルアがユニアのもとまで近寄ると、悪戯な笑みを浮かべて言った。


「やりたかったんだろ? 撃たせてやるよ――”最強魔法”」






「ホロボスッ! ロントリアァ!! ゼッタイニ、ゼッタイニィ――――ッ!!」


「お父さん……」


 黒い空で苦しげに足掻くケラヴノスを、リーゼルトは地面にへたり、力なく見上げていた。

 

 その後ろ姿を見つめ、リアンが拳を握りしめる。

 そのまま意を決したかのように、やさしい足取りでリーゼルトの隣に立った。

 

「リーゼルトさん……お父さん、必ず助けるから」


「……え?」


 狐につつまれたような顔をしたリーゼルトを横に、リアンが空を見上げた。

  

 そして、大きく息を吸うと――


「おじいちゃああああ――――――――んッ!!」


「!?」


 突然のリアンの大声に、リーゼルトはもちろん、全員の視線が集まった。

 しかしリアンは気にせず、空にいるケラヴノスに向かって大声で続ける。


「あのねー! 私、昨日ねー! テルアと、ユニアちゃんと、レノウ君と、ボードゲームやったの――! すっっっっごい楽しかった――――ッ!!」


 心の底から、満開の笑顔で叫んだ。

 

 リアンを見つめるまわりの顔は、ぽかん、となにを言っているのかわかっていない様子だ。

 ただひとり、テルアだけは――子供を見るような、呆れた苦笑を浮かべていた。


「ししょーにも、お母さんにも、いつか絶対聞かせてあげるの!! 昨日のことも、今日のことも、みんなと仲良くなったって、そう伝えたいの――――ッ!!」


 その声に気がついたケラヴノスが、巨体をうねり、リアンたちのいる場所を見下ろす。


「……ナカヨク? フザケルナ――ッ!! ソンナコトデ、コノニクシミガ――」


「うん! だから、私が背負うよ――」


 ケラヴノス――いや、ダークスの叫びを遮り、リアンも叫ぶ。


「おじいちゃんの分も、奥さんの分も、リーゼルトさんの分も、全部! 全部背負うから、いっしょに笑おうよ。死んだ奥さんも、おじいちゃんやリーゼルトさんが復讐することなんて望んでない、私はそう思う!」


「ダマレッ!! クチダケノ、コドモニ、ナニガワカル――ッ!!」


 リアンの言葉にも怯むことなく、ダークスは怒り狂ったように魔力を高めると、ロントリアの町に向かってふたつの大きな魔法陣を展開した。

 魔法陣は黒く染まり、大量の電流を放出しながら大気を震わせる。


「コレガ、ワガニクシミ、ワガゾウオ――! ナニガセオウダ……セオエル、モノナラ、セオッテミロ――――ッ!!」


 ふたつの魔法陣が重なり、凝縮された膨大な魔力が、その魔法の名を雄弁に語る。


「こ、これは……」


 ミナスが愕然とした表情で声を震わせる。


「デュオス……レギア……」


 調査団員からぽつりと声が上がると、その場にひとり、またひとりと膝から崩れ落ちていく。

 

 西方大陸が誇る最強魔法。

 それもケラヴノスの力まで得たダークスの魔法に、彼らの戦意は瞬く間に折られていった。


「コレガ、ナキ……亡き妻との――我らの魔法だああああ――――ッ!!」


 ロントリアの町に向かって叫ぶダークスの声は、どこか泣いているようにも聞こえた。


「……なんだよ。あるじゃねえか、おまえらの魔法――」


 リアンの隣に立ったテルアが、目を細め、生意気な、しかしうれしげな笑みをこぼしていた。


「……テルア?」


 そんなテルアにリアンが声をかけると、


「いや……。応えるぞ、あいつらの想い」


「――うん!」


 完全に迷いのなくなったテルアの目に、リアンも迷いのない声で答える。


「さあ、時間がねえ! 飛ぶぞ!」


 テルアはリアンの肩に手を当てると、舞凪なぎでユニアのもとまで瞬時に移動した。

 

「ほえ?」


「……おい、まさか……」


 まだ状況が理解できていないユニアが疑問符を浮かべ、不穏な空気を感じ取ったレノウが顔を引きつらせる。

 そんなふたりの反応を無視して、テルアはユニアの肩にも手を当て――

 

 ヒュンッ、とその場から消えた。

 

 

 

 


「――え? ……うわああああ――――!?」


「なっ……!?」


 ユニアの叫び声が空に響く。

 一瞬の出来事を理解したとき、そこはロントリアの町の遥か上空だった。

 遠く離れた正面には、デュオスレギアの黒い魔法陣。

 

 すぐにダークスを見据えるリアン。

 昂る感情を表すかのように、落下の勢いで髪がバサバサと逆立つ。

 見るとテルアも同じだ。

 

 レノウは飛ばされないよう、必死にユニアの頭にしがみついている。


「騒ぐなユニア! 華装機かそうきを構えろ!」


「ああぁぁ――え? こ、こう?」


 ピタッ、と騒ぎ止むと、ユニアが言われるがままに華装機を構える。

 

「レノウ! ユニアの魔力制御を頼む!」


「ったく……どうなっても知らんぞ!」

 

 すると華装機が、ガシャン、と音を上げ変形した。

 さらに先端から、巨大な桃色の魔法陣が現出。


「お、おおぉ!?」


 ユニアが目を輝かせながら変な声を上げる。


「……いくぜリアン」


 したり顔で言うテルア。


「……おっけー、私の想いも魔力も、全部乗っけるから!」


 そうして目で合図したふたりはケラヴノスに向かい、詠唱を始めた。


「絆の御華みはなこいねがう」――リアンが右手をかかげる。


「不変の御星みほし恋詠こいうたう」――テルアが左手をかかげる。


 その言葉に、レノウが目を剥く。


「「春宵しゅんしょう翠嶺すいれい宿命しゅくめい霊犀れいさいかたみに流した悔しさの天泣てんきゅうは、切先きっさき重ねたちかいのちぎり。

  我ら願いうたう決意の詩想しそうが、御華みはなえにしかなうなら――此処ここささ反逆はんぎゃく誓歌せいか!」」

  

 そのとき、リアンとテルアの目に、桃色の光が灯った。

 輝きを増した桃色の魔法陣を、銀色の光沢が覆う。

  

 そして、リアンとテルアの詠唱より先に、ダークスが詠唱を終えようとしていた。


「――すめらぎ御手みてたるかみ双炎そうえん此処ここしめせ!

 ”デュオスレギア”――――ッ!!」


 瞬間、爆音を上げ、黒い魔法陣から、ふたつの黒い炎が放たれる。

 

 

 

 しっかりと黒い魔法陣を見据えるリアンの目が、わずかに潤む。

 

 その魔法が語る想いが、流れてくるような気がした。

 自分の無力で失った妻に報いるため、町人の死を無駄にしないため、娘を守るため――

 復讐に身をやつしてなお、その輝きだけは失っていなかった。

 

 だからこそ、全力で応えたい。紡いでいきたい。

 華色がそうであったように、母親もきっとそうだったはずだから。

 

 悔しさも、悲しさも、寂しさも、すべて力に変えて――暴れる感情を激しく燃やし、想いのままに猛り叫ぶ。

 

 


「「乱吹ふぶけ紡ぎの献花けんかがせ激情の烈火れっか

  落ちろよ闇天あんてんせろよはな御空みそら――偽りの万象ばんしょう穿うがち、果てなき蒼天そうてんに咲き誇れ!

 ”華色かしょく・デュオスレギア”――――ッ!!」」

 

 瞬間、凄まじい爆発音を上げながら、魔法陣からふたつの桃色の炎が燃え上がった。

 同時に竜巻の如く桃色の花びらを舞い上げた桃色の炎は、螺旋らせんを描きながら空を駆け抜けると、ダークスのデュオスレギアに直撃。

 

 魔力と魔力の衝突が空間に激しい歪みを起こす。

 

 しかし桃色の炎は勢いを落とすことなく、ダークスのデュオスレギアを食い散らかすように爆散させ、そのままケラヴノスの体を飲み込んだ。

 

 ケラヴノスの悲鳴が上がる。

 

 それでも物足りないと言わんばかりの桃色の炎は、ケラヴノスが出した黒い雲まで届くと――

 

 ズンッ、と大気を震わせながら、黒い雲をすべて蹴散らした。

 

 あたり一面に蒼天が広がる。

 

 青々とした空に、無数の桃色の花びらが舞っていた。







「まさか……本当に……」


 ミナスは戦慄するかのようにつぶやいていた。

 

 たった今、ダークスのデュオスレギアによって、町がひとつ滅びようとしていたはずである。

 あのとてつもない魔力では自分たちも助からない、そう悟っていた。

 

 なのに――それすら上回る威力のデュオスレギアで返して見せたのだ。

 

「……これが、華色……」

 

 かつてこの大陸を守護していた最強の一族。

 その力の一端を垣間見た気がした。

 

 

 

 

 

 そして、空を見上げるリーゼルトは、静かに涙を流していた。

 

 ケラヴノスの体がゆっくりと落ちていく。

 少しずつ魔力となって消えていくその中に、はっきりと父親の魔力を感じた。

 なにかに守られるように包まれている。

  

 その安心感から脱力し、ただ今は空を見上げていた。

 

 理由はわからない。記憶もなにが本当で、なにが嘘なのかもわからない。

 ただ、空に舞う桃色の花びらを見ていると、遠い昔の、母親との思い出が蘇ってくるような気がした。

  

「……ごめんなさい、お母さん……」







 デュオスレギアを放ったリアンたちは、その反動で後方に飛ばされていた。

 

 ロントリアの上空から近くの森のほうへ、一直線で落下している。


「――テルア! 魔力全部使っちゃったから着地お願い!」


 無事うまくいったことを確認したリアンが、最後を締めるように言う。


「――え? 俺も全部使ったんだけど……」


 しかし返ってきたのはまぬけな声と言葉。


「……へ?」


 リアンの表情が引きつり、テルアと顔を見合わせながら思考する。

 

 沈黙。


「……ってことは、うちらは……?」


 そこにユニアの声も加わり――


「「「ああああぁぁ――――――――ッ!?」」」


 リアンとテルアとユニアの絶叫が重なる。

 

 そして勢いよく地面に急降下していき――

 

 

 

 大地が迫る瞬間、ザブンッ、と大きな水玉のようなものに落ちた。

 

 ブクブクと水玉の中でうねりながらリアンたちの勢いがなくなっていく。

 だがそろそろ息が苦しい――と感じたところで、パンッ、と水玉が弾けた。


 おわっ、とそれぞれに声を上げながら地面に倒れ込む。

 

 どうやら水玉が落下の勢いを殺してくれたようだ。

 

 しかしどうして、とそれぞれ思っていたところに、


「――まったく、おまえらはもう少し計画性をだな……」


 呆れた声でそう言ったのは、レノウだった。

 さっきの水玉はレノウの魔法らしい。


「いやぁ、危なかったぁ~……ありがとう、レノウ君」


 頭の後ろに手を当てながら、苦笑いするリアン。


「さすがレノちんなん!」


 ユニアはいつものようにレノウをつかんで掲げる。


「やっぱおまえに任せて正解だったなぁ……!」


 そして、まるで自分の手柄のように言うテルア。

 

 そんな面々に、レノウは視線を一周させると、深々とため息を漏らしていた。

 

 

 

 ユニアとレノウがじゃれ合っている中、リアンは静かに立ち上がり、少し離れていった。

 

 青く澄み渡る空に、桃色の花びらが無数に舞っている。

 

 その光景を、リアンは少し心細げに見つめていた。


「……ひとりじゃねえからな」


 そんな心の内を見透かすように、後ろからやさしく語りかけたテルア。


「え?」


 気の抜けたように振り向くと、そこにいたテルアは、少し呆れたような、照れくさそうな、そんな顔をしていた。


「言ったろ、前に。忘れんなよ」


 それだけ言うと、テルアはくるりと背中を向け、ユニアたちのほうへ歩いていった。

 

 本当に、いつもそういうとこだけちゃっかりして――

 

 一緒にいてくれる。

 今はそれだけでうれしかった。

 

 大変なものを背負ってしまったと思う。

 でも、ひとりじゃない。テルアとなら、がんばれる気がした。

  

 華色の生き残りとして、母親の娘として、みんなの分も紡いでいくと決めたのだ。

 もう一度、目に焼き付けるように、空を見上げ、心の中でつぶやく。


(がんばるっ!)


 そうして、テルアのもとへ駆けていった。

 

「……うん!」

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