第55話 白い世界とケラヴノス

「…………は?」


 突如現れた奇妙な生き物に、リアンは呆然と声を漏らしていた。

 母親に会えるかもしれない、と昂っていた感情が、一気に地に落ちていくのを感じる。


「なんじゃ? うっすい反応じゃのう。もっとこう、『えっ!? あのケラヴノス様ぁ~!?』とかあるじゃろうが」


「……いや、知らないし。てかなんでそのケラヴノスがここに出てくんのよ?」


 やけに図々しい物言いに、リアンも苛立ちを隠さず聞き返す。


「ん? 御星みほしの小僧から聞いとるんじゃないんか? ほれ、近くにおった、ここんとこが桃色になった小僧じゃ」


 そう言って自らをケラヴノスと名乗ったトカゲは、右のこめかみあたりを指さした。


「テルアのこと? なにも聞いてないし……」


 どうやらテルアも一枚噛んでいるらしい。

 したり顔をしたテルアの表情を頭に思い浮かべながら、リアンは内心で舌打ちをしていた。


「不器用じゃのう……ところで、シャリテは死んだんか?」


 ケラヴノスは軽くため息をつくと、思わぬ人物の名を口にした。


「シャリテって……華色かしょくの長だった人?」


「おう、そうじゃ。おまえさんと同じルーリインじゃ」


「えっ……わかるの?」


 ルーリインという言葉に反応して、思わずしゃがみ込んだ。

 ケラヴノスと目線が近くなる。


「おまえのう……目の前にいるのを誰じゃと思っとる?」


「気持ち悪いトカゲ」


「…………わしのことをそんなふうに言った華色はおまえが初めてじゃ……」


 ノータイムで正直に答えると、ケラヴノスは少しへこんだようにうつむいてしまった。

 

 しかし立ち直りは早いようで、すぐに顔を上げると、


「……ほんなら、おまえさんの記憶を少し読ませてくれ」


 そう言って右手――というか前足を突き出してきた。


「そんなことできるの?」


「そりゃあ、わしくらいになるとのう……! 額に手を当てさせてくれたらええで」


 細い三本の指。その先端は丸い肉球のようになっている。

 それを、うにゅ、うにゅ、と動かして催促してくるケラヴノス。


「えぇ……イヤだよ気持ち悪い」


 やっぱり正直に答えた。

 

(昔はヘビとかトカゲもつかんで遊んでたんだけどなあ……)


 そんなことを思っていると、ケラヴノスが呆れたようにうなだれた。


「……おまえさん、ほんっと礼儀を知らんやつじゃな……。ほんなら手でええわ」


 ケラヴノスが妥協したので、リアンも妥協して左手の人差し指をおそるおそる差し出す。

 

 すると、三つの肉球のような指に、ぶにゅ、とはさまれた。


「うえぇ……」


「そがぁな顔せんでも……」


 リアンが気持ち悪そうに顔を歪めて声を出すと、ケラヴノスが少し傷ついたように半目で睨む。

 しかし、すぐになにかに気がついたように、ハッとして表情を変えた。


「シャリテめ……曼殊沙華まんじゅしゃげをやりおったか……」


 曼殊沙華――ウブリが残した本に書いてあった言葉だ。


「なになに? どういうこと?」


「……いや、こっちの話じゃ」


 ところが話してくれる気はないようで、大げさに嘆息すると、切り替えたように顔を上げた。

 

「……まあ今は昔話はええじゃろ。それより、おまえさんはほかにやることがあるじゃろうて。それでわざわざこのわし自ら出てきてやったんじゃからの」


 ふたたび腕を組み、偉そうな顔を浮かべるケラヴノス。

 その言葉に、この白い空間に来る前のことを思い出す。


「――そうだよ! 今あんたの体におじいちゃんが入ってて――」


「それで、躊躇しとんのじゃろ? みんなを助けたいけど、相手は殺したくないとか。見とった見とった」


「……っ」


 どうやらしっかり見ているだけではなく、さっき指に触れたときので心まで読まれているらしい。

 

 ケラヴノスは嘆くようなため息をすると、意外なことを話し始めた。


「……わしが見てきた華色のやつらも、今のおまえさんみたいなのばっかりじゃったわ」


「え……」


 唐突に言ったケラヴノスの言葉に、頭が真っ白になった。


「みんなと仲良くしたいだの、傷つけるのが嫌だの……仲間思いの強い一族じゃったわ。いや、仲間どころか、敵でさえも必死で助けようとするようなやつらじゃ」


 初めて聞く、華色の人たちの話。

 気になってなかったと言えば、嘘になる。

 しかし、あまり考えないようにしていたのも事実だ。

 一度考え出すと、どうしようもない不安が襲ってくる気がして――


「それゆえに、敵に付け入れられることも多かった。その結果が今の惨状でもあるんじゃがの」


 だがこちらの心境など知ったことかのように、ケラヴノスは淡々と続ける。


「あやつらにとっては、繋がりが大事であり、そしてなにより紡ぎを大切にしていた」


「紡ぎ……?」


「散っていった花が、次の芽の糧になるように――親から子へ、代々紡いできたもんがなにかあるんじゃろ。わしは知らんがな」


「肝心なところで……」


 大事なところをはぐらかされたみたいで、恨めしく睨むリアン。


「まあ言っとったろう? 自分のできることをやればええって、少し前に」


「えっと……ミナスさん?」


「そんな名前じゃったかな。まあ、自分に向いてないことをする必要がどこにある。たかだか数十年の命のくせに、傲慢にもほどがあるわ。わしなんて未だに方位が覚えられんでな。……大体、そんなことで毎回グチグチ言われる身にもなってみいっちゅう話じゃ……」


 アドバイスをしてくれているのか、愚痴を言いたいのか、ケラヴノスは自由気ままに語り続けている。


「おまえさんのがんばるっちゅうんは、人殺しができるようにがんばるっちゅー意味なんか?」


「……っ、そんなわけないじゃん!」


 少し煽ったようなケラヴノスの言い方に、リアンがムッと反論する。


「じゃあなんじゃ?」


「そ……それは……」


 しかしその他愛のない返しに、言い淀むリアン。

 

 ケラヴノスはそんなリアンをしばらく眺めると、少し目を伏せ、やさしげな口調で喋り出した。


「のう、ルーリイン。おまえさんは一族のやつらのことを知らんかもしれんが、死んでいったやつらは、おまえさんにすべてを託して死んでいったんじゃないかのう」


「……っ!?」


 ズキン、と心臓をなにかに突き刺されたような感覚に襲われた。


「おまえさんのまわりにおるのは、不器用なおひとよしばかりのようじゃからの……。まあそいつらに言えっちゅうんも酷な話じゃから、わしがはっきり言っちゃるわ」


 ケラヴノスは小さくため息をつくと、改まってリアンの目を見据えた。


「華色の長……ルーリインの血を引き、死んでいった仲間の紡ぎを託された最後の希望――それがおまえさんじゃ」


 それは、わかっていながらも目を逸らし続けた、罪悪感にも似た重荷のようななにか。


「べつに敵討ちをせえとか言うとるんじゃなくてな、長の娘として、残された自分がどう生きるかの覚悟くらい示しとけ、っちゅー話じゃ。……おまえさんの背負っとるんは、母親だけじゃない」


 テルアもカルミラもソラも、誰も言わなかった。

 おかげで普段はそれを見ずにいられたが、たまにどうしようもない不安に囚われる。

 ユニアの母親について聞いたときのように。


「まあ心配するな。おまえさんはひとりじゃない。一緒に背負ってくれるのが一匹おるじゃろ?」


 うつむいて自分の世界に入っていると、ケラヴノスが少し明るい口調で言った。


「……テルア?」


 確かめるように聞き返す。

 するとケラヴノスは黙ってうなずき、


「おまえさんができんことはそいつがやってくれる。……あまり人の記憶を見て言うもんじゃないが……ひとりにさせんって言っておったろうが、生意気にも」


 そうだ、テルアはずっとそうだった。

 いつも不器用で気が利かなくて余計なことばっかりするくせに、そういうとこだけ……。

 

 頼れとも言わない。がんばれとも言わない。

 いつもそばにいて、いつの間にかうまいことやってる。

 ムカつくくらいに。

 

 ふと勘ぐってしまう。

 カルミラを助ける前、家の屋根上でのやり取り――今回のようなことがいつか起きると思って言った言葉なのだろうか、と。

 

 なら――たまには、頼ってもいいのかもしれない。

 

(いやまあ、表面上ではかなり頼ってはいるんだけど……)


 魔法関連のことを思い浮かべたが、都合の悪い事実はいったん消えてもらうことにした。

 

「ほかにも仲間がおるんじゃろうし、それに……わしも少しは力を貸しちゃる」


 そう言って、やけに真面目な顔をしたケラヴノス。

 

 気持ち悪いなんて言ってしまったが、案外いいやつなのかもしれない。


「そっか……。ありがと……ケラちゃん」


「なんじゃそれは……わしは偉大なるケラヴノス様じゃぞ」


 謝罪を込めて名前を呼んでみたが、ケラヴノスは不服そうに両手――というか両前足を腰に当て、体を大きく見せようとしてきた。

 

 そんな姿に、ふと疑問に思い聞いてみる。


「……でも、なんでこんなに私によくしてくれるの? ケラちゃんって悪い龍じゃないの? 悪いことしてウブリって人に封印されたんじゃ……」


 リアンが何気なく問うと、それを聞いたケラヴノスが眉を逆立てて叫び出した。


「ドアホ! このわしはただチャンスと思うて昔の宿敵に勝負を挑みにいっただけじゃ! それをあのアホが……」


「知り合いなの?」


「おまえさんが読んだ書物にはえらい大層なこと書いてあったけどな、ウブリとわしは盃を交わしたこともあるただの腐れ縁じゃ。後世に残す書物っちゅうことで大げさに書いとるだけじゃボケ!」


「えぇ……」


「なぁ~にが大魔導士の館じゃ。あっこはほとんど酒飲みに使われとって、死ぬ少し前にそれっぽく整えたんじゃ。なんならわしも手伝ったからな?」


 とんでもない、というか意味がわからない事実に、すべてを台無しにされたような気分になった。

 

 自分の出会う人は変な人ばかりと思っていたが、死んだ人も生き物もやっぱり変らしい。

 

 どうして毎回大事なところをぶち壊す人らばかりなのか、呆れを通り越して怒りすら込みあがってきた。

 

 


「一撃じゃ」


 そんな落胆気味の心の内を知ってか知らずか、ケラヴノスが気を取り直したように、少し真剣な口調に変わった。


 リアンがなんのことか、と首を捻っていると、


「一撃で倒せ。その一瞬だけ、わしの体に入っとるジジイを守っちゃるけえ。それくらいなら力が残っとる。あとは御星がなんとかするじゃろ。……見せてみい、華色の本気を!」


「――ケラちゃん……!」


 その言葉に、思わずケラヴノスを抱き掲げる。

 

 力を貸してくれる。助けてくれる。

 今はそのことがなにより心を強くさせた。


「わかった! やってみる! ――あっ」


 思わぬ助っ人に、力強く答えた――そのときである。

 

 視界が揺れ、肉体の感覚がぼやけてきた。

 

 力の抜けたリアンの手からケラヴノスが落ちる。


「いでっ!? ……ん、そろそろ時間かのう……久しぶりに会話できて楽しかったわい」


 ケラヴノスが頭に手を当て、つぶやきながら起き上がる。

 

 どうやら今回のこの白い世界も終わりが近づいているらしい。


「……ケラちゃんはどうなるの?」


 少し不安に思ってたずねる。


「わしは肉体に残った絞りカスみたいなもんじゃからな……本体の精神がどっかにおるわ。……まあ、どこかで会うことがあったら酒でも飲もうや」


「私まだお酒飲めないけど……」


 人間の年寄りみたいな言い方をしてきたので、こちらも人間の都合で返した。


「そんなすぐに見つかるもんでもないわ」


「そっか……じゃあね、ケラちゃん。ありがとう――」


 にいっ、と心のままに笑顔で伝える。

 

 ケラヴノスは少し呆れた笑みを浮かべると、やっぱりちょっと気持ちの悪い三本の指を上げて応えてくれた。

 

 そんな憎めない顔を最後に見たところで、すうっ、と意識が途絶えた。

 





 

 リアンが消え、少しずつ歪み崩壊していく白い空間の中で、ケラヴノスはひとり天を見上げていた。

 

 目を細め、しみじみとした表情でつぶやく。

 

「懐かしいのう……あいつも元気にしとるようじゃしのう」


 そして、尻尾、足、胴体と順にゆっくりとぼやけていく、

 

「まあ……借りは返したぞ、エアル――」


 そう言って、白い世界とともに消えていった。

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