第54話 迷う心
青い空に漂う、黒茶色の長い体。
額にはまっすぐに伸びた立派な一本角。
鼻先からは触角のような細長い髭が
大人を数十人は乗せられそうな巨体だが、前足と後ろ足は比較的小さめだ。
その長い体をうねらせるたび、尋常ではない量の魔力が、雷となってほとばしっていた。
絵本の中でしか見たことのない――紛うことなき龍の姿である。
「うそでしょ……封印したんじゃなかったの……!?」
リアンがケラヴノスを見上げたまま、追及するようにつぶやく。
「いや……封印は完了してる。今、空にいるあれは、力を失ったケラヴノスの体に憑依してるだけの、ダークスだ」
「力を失ったって……これで!?」
テルアの言葉に、思わず振り向いて聞き返す。
ケラヴノスが発する魔力は、さきほどのダークスの力を大きく超えており、とてもではないが、封印されているようなものとは思えなかった。
はっきり言って、魔力量だけなら出会ったばかりのころのカルミラすら超えている。
「……ったく、ウブリってやつはなにを考えてるんだ……?」
テルアの額を伝う汗が、事態の深刻さを表している。
そんなテルアを見て、息を呑んでいるときだった。
後方から声が聞こえた。
「――リアンさん! テルア君!」
その声に、後ろを振り返る。
「……ミナスさん! みんな!」
声の主はミナスだった。
ユニアやレノウ、団員や人質たちも、負傷はあるが大丈夫そうだ。
初めての顔合わせなどもあったが、事態が事態だけに、すぐに現状の報告と確認に移った。
「……なにがあったか、聞かせてもらえますか……?」
真剣な表情で聞いてきたミナスに、反射的に目を伏せたリアンが、重い口を開く。
「……実は――」
◇
ケラヴノスは依然として空を漂っている。
動きがないのは、まだ同化が完全ではないらしい。不安定な魔力が、それを物語っていた。
テルアがそれを監視しているあいだ、リアンはさきほどダークスが言っていた、モルトリアの町のことなどを話していた。
「……それは少し違う」
リアンが語り終わったとき、冷静な口調でそう言ったのはレノウだった。
「……どういうこと?」
リアンが眉をひそめながら、相変わらずユニアの頭に乗っているレノウに聞く。
レノウはやや目線を落とすと、少し憂いげに語り始めた。
「ロントリアがモルトリアから役目を奪っていった――それも国の主導のもと、というのは事実だ。だがそれは、モルトリアの住人を守るためだ」
「え?」
想定外の回答に、一瞬思考が固まった。
「当時はまだ
なぜそんなことを知っているのか、という疑問は誰もが持っていたが、今そこに口をはさむ者はいなかった。
華色についての声も出てこないあたり、やはり調査団内には認知されていることがうかがえる。
「そんな中で、いくつかの町をまとめたり、より安全な地域へ移動させる動きが強まっていった。その中でも特に危険視され、急がれたのがモルトリアという町だ」
「……どうして?」
「モルトリアは、大魔導士ウブリが生まれ育った町だ。……だからといってなにがあるわけでもないんだが……。それでも過去に優秀な魔導士を輩出した町は、目をつけられる可能性が高かった。実際、住人の移動中に、何者かが町に火を放ったらしい――」
「えっ……でも、あのおじいちゃんは国の人が火を放ったって……」
食い違う話に、リアンが困惑しながら遮る。
すると、硬い表情で聞いていたミナスが、口を開いた。
「ルヴァンシュは、人が持つ復讐の感情を利用し、心の隙に入り込みます。なんの能力かはわかりませんが……捉えた元ルヴァンシュの人たちは、例外なく復讐の感情を持ち、一部記憶の改ざんが行われていました……」
その説明に、黙ってうなずくレノウ。
「……おそらく、ダークスも復讐の感情を利用され、やつらに都合のいいように使われたのだろう……」
「……それじゃあ……あのおじいちゃんも、被害者ってこと……?」
レノウが言い終わると同時に、リアンが悲痛な面持ちで声を震わせる。
その言葉に返ってくる答えはなく、レノウとミナスはやるせなく唇を噛んでいるだけだった。
そうして生まれた重苦しい沈黙。
そこに割って入る声があった。
「――そうよ!! お父さんは町のみんなを助けるために――なのにあいつらは、私たちの町を――!」
リーゼルトだ。リアンたちが話している最中に意識を取り戻したらしい。
魔力封じの手錠をかけられ身動きは取れないが、激しい形相で叫んでいた。
「リーゼルトさん……って……ええ!? お父さん!? あのおじいちゃんが――――ッ!?」
予想外の事実に思わず叫ぶリアン。
「……そんな繋がりが……」
「……そういうことか」
ミナスとレノウも、リアンよりは落ち着いているが、少し驚きの色が見える。
「……ちょっと待って……ってことは……」
リアンが独り言ちながら顎に手を当て、少考したのち、テルアへ視線をやった。
その疑い深い目に、テルアがばつが悪そうに目を逸らす。
「まあ……なんとなくは……」
「――あんた、そういうことは早く言いなさいよ!?」
リアンがテルアの胸ぐらをつかんで激しく揺らす。
テルアの魔力感知はかなり深いところまで探れるため、血の繋がりのある者を見分けられることもある。
ただ正確性には欠けるし、意図して探らないとわからないため、テルア自身はその能力にあまり興味はない。
「いや……! だってそれ知ったからってなにができるわけでも――」
テルアが弁解の言葉を吐いていたときだった。
「――あれ! なんか様子がヘンなん!」
ユニアがケラヴノスを指さして叫んだ。
「「え?」」
リアンとテルアが空を見上げると、そこには苦しそうにうねりながら声を上げるケラヴノスの姿があった。
「お父さん――――ッ!!」
リーゼルトがケラヴノスに向かって声をかける。
しかし、それが届くことはなく、ケラヴノスが苦痛を紛らわすかのように大きく咆えると、上空から黒い霧のようなものが噴き出した。
漆黒の闇が、青い空を染めていく。
「空が……闇に……」
「これではまるで……あのときの……」
ミナスが声を震わせてつぶやくと、マルクがなにか悪いものでも思い起こすように、顔を青ざめる。
あっという間に近くの空が闇に覆われ、夜のように暗くなった。
黒い霧は雲を形づくり、雷鳴が鳴り響く。
「まずいな……封印が不安定になってる……早めに倒したほうがいい」
「――待って! お父さんを殺すっていうの!? 悪いのは国のやつらなのよ!!」
テルアが言った倒すという言葉に、リーゼルトが激昂したように叫ぶ。
「それが間違いだって、さっき聞いてただろ?」
その言葉に、テルアはいたって冷静な口調で答えた。
「だからってなんでお父さんが――」
「落ち着けリーゼルト!」
暴れ出したリーゼルトを、ミナスがなだめるように抑える。
その姿を、テルアはただ唇を噛みながら、ぐっと食いしばって見ていた。
「……行くぞ、リアン――今ならまだやれる」
そして、リーゼルトに背を向け、歩き出した。
しかし、リアンの返事はなく、テルアがすぐに振り返る。
「リアン?」
「……それって、リーゼルトさんのお父さん、殺しちゃうってこと……?」
否定を求めたリアンのか細い声に、テルアは静かに目を伏せながら、
「…………そうなるのなら、それは俺が引き受ける」
「そんなのだめ! だって――」
「リアン」
悲痛な表情で叫ぶリアンに、テルアが強く、しかしやさしく声を張る。
「おまえだってわかってるだろ。俺らの旅は、いずれそういう場面がやってくる……覚悟ができてないと、死ぬのは俺らだぞ」
「それは……そうかもしれないけど……」
テルアの言葉に言い返すことができず、情けなくうつむいた。
わがままなのもわかってる、時間がないのもわかってる。
(でも……でも……!)
心の中の葛藤は、決断を鈍らせる。
震える手を握り、ぎゅっと目をつぶった。
(……こんなのって――)
そのときだった。
「――ド、コダ……!」
上空から、体に響くような声が聞こえた。
「……なに!?」
異様な声につられ空を見上げると、ケラヴノスが苦しげに足掻きながら、なにかを探すように上から眺め回していた。
「――ロン、トリ――ニクイ――――ッ!! ――ッントリア!! ィクイ……ォロボス――――ッ!!」
それがケラヴノスの声なのか、ダークスの声なのか、もはやわからない。
ただただその声は、悲しい憎しみの記憶を、断片的にまき散らしているようでもあった。
「リーゼルトさんの、お父さん……」
その姿を見つめ、呆然とつぶやいた。
頭の中で自問自答が繰り返される。
このケラヴノスなのか、ダークスなのかわからない怪物を倒すことが、本当に正しいのか。
それが本当に、大切な人を守ることなのか。
守るために得た力で、他人の家族を奪ったことを、カルミラに――母親に聞かせたいのか。
自分の求めていた世界は、本当にこんな世界だったのか。
弱った心を見透かしたように、ずっとひとりだった数年間と、テルアたちとの六年間の記憶が、いっせいに押し寄せてきた。
(違う……こんなの違う……!)
迫る決断。
迷う心は、しだいに外の世界から音を遮断し、視界を曇らせた。
「――ィアン!」
テルアの声もかすれ、心はいっそう揺らぎ、呼吸は早くなっていた。
カルミラの言っていた、”おまえらの運命は呪われている”という言葉が
テルアたちと会う前の、つらい記憶が脳裏に蘇る。
ひとりのごはん。ひとりの夜。
夕日を背に、両親と手を繋いで歩く子供の姿を、羨ましく眺めることしかできなかった、あのころ。
「いや……いやっ! 違うっ……私は……私は……!」
閉じ込めていた感情を、振り払うように叫んだ――
『ルー……リイン……、キケ……』
突然、聞きなれない声が聞こえた。
「……え?」
心の中に入ってくるような声だった。
「……誰? なにを――」
ふいに声がした上のほうを向いたとき、ケラヴノスと目が合った。
瞬間、視界が揺れ、音が消え、温かな白い光に包まれる。
なにかの魔法か、とすぐに対策を考えようとして、そこで――
意識が途絶えた。
◇
「……あっ……」
気がついたときには、真っ白な空間にいた。
一瞬、なにが起こったのかわからなかったが、どうやらまたあの空間に来たらしい。
昔、ウーニラスに襲われたときと、華色の力を暴走させたときに来た、真っ白な空間だ。
「…………」
周囲を見回すが、なにもない。気配もない。
見渡す限りの真っ白だ。
しかし以前よりはっきりと意識があり、体の感覚も現実と変わらなかった。
そして、もしここがあのときと同じなら――
「――お母さん!? お母さんいるの!?」
母親らしき人がいるかもしれない。
そう思い、必死に声を上げた。
「お母さん――! ねえ、いるんでしょう!?」
すがるように叫んだ。
今ならきっと顔もわかる。話すことだってできるかもしれない。
今度こそ会える。そう確信していた。
成長した自分の力を確かな自信に変え、おもいっきり叫んだ。
「お母さん――――ッ!!」
そのとき――
「――るっさいのぉ……響くからもうちょい静かにしてくれんかのう……」
返ってきたのは、妙に老人くさい口調の声だった。
「――えっ!? どこ!?」
あきらかに母親のものとは思えない声に、困惑しながらあたりを探す。
「ここじゃ」
すると、下のあたりから声が聞こえた。
真っ白な景色から、ゆっくりと視線を下ろしていく。
「…………えっ…………?」
と、思わず気の抜けた声を発してしまった。
そこにいたのは、大きなトカゲのような生き物だった。
子犬くらいの大きさに、黒茶色の体。全体的に丸っこく、マスコットじみた印象を受ける。
トカゲは、よいしょ、とつぶやきながら二本足で立つと、腕――というか前足を組み、偉そうにふんぞり返って、
「ほれ、ほれ」
ムカつくくらいのドヤ顔をしながら、顎をクイックイッと動かし、なにかを促してきた。
なんとなく、誰なのかとたずねろ、と言われた気がしたので、思考停止した脳でそのまま答える。
「……ダレ?」
その一切感情のこもっていないリアンの声に、トカゲは満足げにニヤつくと、待ってましたとばかりの仰々しい口調で言った。
「んん? わしか? ははーん。そこまで言うなら仕方ないのう……! 聞いて
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