第10話 はじめての仲直り

 テルアは例の部屋でずっと作業をしていた。

 何やら書き出した紙は更に増え、足の踏み場もない。


 外はすっかり暗くなり、魔法製のランプだけが部屋を照らしている。

 あれから雨が降ってきたらしく、雨粒が屋根をたたく音が響いていた。


「ここは……こうでいいか……よし」


 そんな独り言をこぼしたところで、ドアが開いた。

 カルミラだ。


「あーあー……こんなに散らかしやがって。もう一匹のはもう寝たぞ? お前は飯食わねえのか?」


 散らかった部屋を見回しながらカルミラが言う。


「いい、時間が惜しいから」


 テルアは床に置いた紙を見比べながら、簡単に答える。


 カルミラはそんなテルアをいぶかしげに見ると、


「……少しは食っとけ、持ってきといてやるから」


 まるで母親かのような呆れた口調で言い、台所へ向かった。


 すると、あっ、と何かを思い出したかのように頭を上げたテルアが、カルミラを追いかけた。


「カルミアさん!」


「カルミだ」


 語尾を強め、眉を寄せた般若はんにゃ顔でカルミラが振り返る。


「う……カルミラさん……。明日のことで、お願いがあるんだけど……」


 真剣な表情で言うテルア。

 カルミラは怪訝けげんに思いながらも、お願いとやらが何なのかをたずねた。







 翌日の午後。

 リアンとテルアは家の外にいた。


 天気はあいにくの曇り。

 午前中まで降っていた雨はなんとか止んでいたが、空には分厚い灰色の雲が広がっている。


 ふたりは、小屋にいた大きな鳥に乗って、遊びに行くことになっていた。




「おっきなとりさん!?」


 庭に出ていた大きな鳥を見て、リアンが目を輝かせて叫んだ。


「クエッ!」


「くえっ!? ないた!」


「いや、こいつ喋れるからな」


 いかにも普通なフリをしている鳥に、テルアが半目で睨みながら口にする。


「そうなの!?」


 テルアの言葉に、リアンは期待感たっぷりの眼差しで鳥を見つめた。


「……あまり簡単にバラすでない小僧。わしの威厳っちゅうもんも――」


「どうせすぐわかることじゃん」


「しゃべった!? しゃべるとりさんだ! すごい!」


「話を聞けこわっぱども!」


 庭で騒がしくしているふたりと一匹に、家から出てきたカルミラが声をかけた。


「気をつけて行ってこいよ、このあたりは気性の荒い魔物もいるからな」


 しかし帰ってくる返事はなく、何を食べるだのどっちが前だの敬語を使えだの、誰も話を聞いている様子はない。


 結局、リアンが前、テルアが後ろで鳥に乗ると、終始騒がしいまま飛び立っていった。


「はあぁ……」


 庭で見送ったカルミラは、がっくりとうなだれ、今日も大きなため息をついていた。







「すご――い! そらとんでる!」


 リアンが興奮気味に叫ぶ。


 下には森や草原が一面に広がり、遠くには大きな山も見える。

 ヘビのような長い川もあった。


 そして今日の目的地は、ここらで一番広い草原地帯らしい。




「そういや、おまえって名前あんの?」


 しばらく飛んだところで、テルアが鳥に向かってたずねた。


「わしか? ふふん、聞いて驚け……かの大空の覇者とうたわれ、あるいは天空の帝王と呼ばれ――蒼極そうきょくの王と恐れられたのは……そう! このわし、エアルじゃ!!」


 鳥がいかにもな仰々しさで答えた。


「おおぞらの……? てん、そう……? えっと、空が好きなのか? じゃあソラだな!」


「ソラさん! ソラがいい!」


「……おまえさんら、ほんと話を聞かんの……そんなんじゃから喧嘩になるんじゃろうに」


 呆れた表情をしたソラが言ったとたん、ずっと賑やかだったふたりが喋らなくなった。


「ん……どした? 急に静かになりおって。……ひょっとしてまだ謝っとらんかったんか?」


 互いに目線を逸らすリアンとテルア。

 無言の肯定を察したソラが嘆息しながら、


「かぁー……。ほんならわし、しばらく飛ぶほうに集中しとるけぇ、おまえさんらさっさと謝っとけえの」


 そう言うと、少し飛ぶスピードを上げ、喋らなくなった。


 賑やかだった空の旅に沈黙が訪れた。







 テルアの横顔をうかがう。

 リアンは、テルアをチラリと見てはすぐに視線を逸らして、を繰り返していた。

 つい、昨日のことを思い出してしまう。


 そんな挙動を察してか、最初に口を開いたのはテルアだった。


「……昨日は、ごめん。その――ふてくされたみたいな言い方して……」


 テルアのほうを見ると、右手で頭をかきながら、視線を横にやったまま喋っていた。


「あ……わ、わたしも、ごめんなさい。えと……テルア、まもって、くれたのに……」


 少し慌てて、テルアの言葉を追うように、リアンも言葉に詰まりながら声に出す。


 リアンが言い終わると、ふたりはそっと顔を見合わせ、少し照れたように安堵の笑みを浮かべていた。

 

 するとテルアが、さっきまでの調子とは変わり、やや真剣な口調で聞いてきた。


「――なあ、リアン。おまえ、自分なんか死んでも誰も悲しまないとか思ってないか?」


「……え?」


「ずっと違和感あったんだ。クマの魔物んときはビビってたみたいだけど、魔族のやつには怖がるどころか、絵本が――ってばっかだったし……」


(わたし……のこと?)


「先にこれだけは言っとくぞ。俺はおまえが死んだら悲しいし、つらい。だから――絶対死ぬなよ」


(しんだら、かなしい?)


 それは、大切な人に向けられる言葉で、感情で、自分には関係のないものだと思っていた。


「なんで、テルアはそうおもうの……?」


 混乱と、不安と、僅かな希望とを込めて聞く。


「さみしいのもいっしょ、って言ってたろ? ……俺もだよ」


 そう言うとテルアは恥ずかしげに苦笑しながら、優しげな口調で語った。


「俺もさ、街のやつらと遊びたくて声かけたり、家族もいねえからひとりで飯食ったりしてた。でも、誰も相手してくんなくてさ……。このまま誰にも受け入れられないで、ひとり死んでくんだろうなあって思ってた」


 まるで、自分のことを見てきたかのように。

 でも、その声は、さみしいのを知っている声だった。


「だから……うれしかったんだよ……。おまえが、俺が死ぬのが怖いって言ってくれたこと。本当の人間だって言ってくれたこと」


 答える暇もなくテルアは続ける。


「たったそれだけのことが、どんなに救われるか……。だから――その、死んでもいいなんて絶対思うんじゃねえぞ」


 最後は少しだけ言葉を濁したテルア。

 

 リアンはうつむき、ぎゅっと拳を握りしめていた。


 視界がぼやける。胸もぎゅっとされる。

 初めてだった。人からそんなふうに言ってもらえるのは。

 初めてできた大切な人。でもそれは自分の一方通行なだけだと思っていた。

 

 どう表現すればいいかわからないこの感覚に戸惑う。

 それでも、ぐっと唇を一文字に結び、右腕で目頭を拭う。

 精一杯のだみ声で答えた。


「……わがっだ!」


 拭いきれてない涙と、ぎこちない笑みで答えたリアンに、テルアは照れながら目を逸らし、少しツンとした表情で返していた。

 

 





「それで、その……仲直りのしるしとして――」


 テルアが恥ずかしげに何か言おうとしていたときだった。


「――っ! テルア! うしろ、なにかきてる!!」


 毎度のことながら、いつもの調子に戻ったリアンが何かに気がついた。


 後ろを振り返ったテルアが目を凝らす。


「げぇ……鳥の魔物か!?」


 見えたのは、ソラよりもさらに大きな鳥の魔物だった。


「キュアアア――――!!」


 こちらの視線に気づいたのか、鳥の魔物が咆哮を上げる。


「ちょっ、おい! お前らなんとかせい! あれ絶対わしのこと食べようとしとるじゃろ!?」


 黙っていたソラが急に慌てたように喋り出した。


「そんなこと言っても、今の俺らじゃ……あっ」


 迫ってくる鳥の魔物を見つめたままテルアが固まった。


「テルア?」


「……やるか、あれ!」


 思いついたみたいな顔をしたテルアが、にいっ、と口角を上げて言った。


「あれ?」


「絵本の――最後の魔法!」

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